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22.
翌日、ユリウスが仕事に行った後に、ノアとオルデールが屋敷を訪れた。
二人の乗ってきた馬車の後ろには、立派な荷馬車があった。
荷馬車には、結婚した後でノアが使う調度品や、衣服の数々が積まれており、全員で協力しながらそれらを部屋に運び込んだ。
彼女が使う部屋は、ユリウスの部屋の隣だ。
「ふう。手伝ってくれて、ありがとう。シュンスケさん」
全員がかなりの力持ちである為、思ったよりずっと早く、荷物が片付いた。
三人は、家具を運び込んだばかりの部屋を満足そうに見つめた。
まだ完全に荷ほどきは出来ていないが、これなら、普通に部屋を使う事が出来そうだ。
「疲れたからお茶しようよ。ここに来る前に、買って来たんだ」
オルデールは、綺麗に包装された箱をテーブルに置いた。
「中央で、一番人気のあるお店のお菓子だよ」
リディルがお茶を淹れてくれ、クッキーや、芸術品みたいに繊細なボンボンを摘まむ。
オルデールが選んだだけあり、どれもとても美味しい。
口に運ぶ度に、俊輔達の頬が蕩ける様に緩む。
穏やかな陽光が差し込む部屋で、三人の会話に花が咲いた。
「そういえば、ノアさんはいつも、ドレスを着てますね」
ノアが着ているドレスを見て、何気無く言った。
彼女の瞳と同じ、柔らかな若草色のドレスは、袖口がゆったりと広がったデザインをしている。
「仕事をしている時もローブだし、私はドレスでいる方が楽だわ」
ノアの雰囲気的にも、ドレスの方が似合っていると思う。
「あ、シュンスケ。少しはユリウスにも言ってやってよ」
「ユリウスさん?」
オルデールは紅茶を一口飲み、渋い顔で頷いた。
「あいつ、まだ一度もドレスに袖通した事無いんじゃないかな。たまにはしっかり、着飾らせてみたいんだけど」
お洒落で派手好きな彼女からすると、ユリウスの質素な格好は、物足りないらしい。
「私も何度か勧めた事あるんだけど…。ドレスは、あまり好きじゃ無いみたい」
ノアも、ユリウスのドレス姿に興味津々らしかった。
「乗馬や、鍛練の邪魔になるって言いそうですよね」
オルデールは軽くため息を吐いた。
「貴族の令嬢で、あれだけ容姿に恵まれてるってのに、毎日毎日、剣ばっか振り回してるしね~」
俊輔からすると貴族というのはユリウスが基準だった為、今まで何とも思わなかったが…。
以前オルデールが指摘した通り、彼女は確かに、変人なのかも知れなかった。
「…という訳で、シュンスケからもユリウスに言ってやってね。よろしく」
キラキラの笑顔で、オルデールに肩を叩かれた。
「構いませんけど…。でも、ノアさんが言っても聞かないなら、期待はしないで下さいね」
いつも通り、夕方前にユリウスが屋敷に帰って来た。
ダイニングに併設された部屋で、彼女のマントや剣を受け取り、片付けながら、俊輔は尋ねた。
「ユリウスさんは、ノアさんみたいなドレスは着ないんですか?」
「…ドレス?」
唐突な質問に、眉を顰める。
「そういえば、着ている所を見た事がないなーって…」
「乗馬や、鍛練の邪魔になるからな」
予想通りの答えが返って来て、苦笑が漏れた。
「ドレスが嫌いなんですね。動きにくそうだし、気持ちは分かります」
ユリウスはそれには答えず、暫く黙っていたが、
「シュンスケは、ドレスを着ないのか?」
と、大真面目に訊いて来た。
「…えっ!?いや、俺は、一応男なので…。ドレスは着ないです」
「ああ、そういえばそうだったな」
やっと、そこに思い至ったという納得の仕方をした。
「シュンスケのいた世界では、女性はみんなドレスなのか」
「うーん。似たようなのは着てる気がしますけど、普段からドレス着てる人は、いないかな。でも、結婚式や大事な日には、着てみたいって女性は多いと思います」
「そうか」
「まあ、何を着てたって、ユリウスさんに変わりは無いですからね。好きな格好でいるのが、一番ですよ」
自分だって、いきなりドレスで過ごせと言われたら、かなり嫌だと思う。
「ユリウスさん、何着てても綺麗だなって思いますし」
クローゼットの扉を閉めて振り返ると、ユリウスの頬が少し赤い。ばつの悪そうな顔をしていた。
「?」
「何でもない。…まあ、気が向いたら着てみる」
「それって多分、着ないパターンですよね」
二人でダイニングへ向かう。
ノアとオルデールが、二人に笑顔で手を振った。
夕食は四人で賑やかにテーブルを囲み、普段より楽しいものになった。
同じ空間にノアとオルデールがいるだけで、更に場が華やぐ気がする。
「アリシアさんも今日、来る予定だったんですか」
「ええ。でも近くの聖堂で、欠員が出ちゃって。来られなくなったの」
残念そうに、ノアは口唇を尖らせた。
俊輔は、以前彼女の前で取り乱した事を思い出していた。
目論見が外れ、自信を失い、全てかなぐり捨てて、元の世界に逃げ帰ろうとした。
でも、彼女とユリウスに諭され、日々模索しながらも、ここにいる事が出来ている。
もしあのまま帰っていたら、その後もずっと、後悔し続けただろうと思う。
あの日の後、アリシアにお礼を兼ねて報告に行ったら、彼女はいつもの笑顔で喜んでくれた。
( アリシアさん、いい人だな。ユリウスさんも、リディルさん達も、ノアさんも、オルデールさんも… )
ーお世話になってばかりじゃなくて、もっと、頑張りたい。
膝の上で、ぎゅっと手を握った。
「シュンスケ~。最近、乗馬の練習始めたんだって~?」
大分ワインが進んだらしく、頬を赤くしながらオルデールが言った。
「はい。難しいけど、楽しいですね」
「馬は良いよねぇ。私は軍馬の育成と、調教をしてるんだぁ~」
「軍馬?」
テーブルに突っ伏したオルデールの代わりに、ユリウスが答えた。
「軍馬は戦場で乗る馬だ。馬は本来臆病なんだが、訓練を受けた軍馬は、鎧を纏った兵士でも、嫌がらず乗せてくれる」
「オルデールの家は、大昔から軍馬の育成と、調教を任されているのよ」
ニコニコと話すノアの頬も、大分赤い。
「へえ~、軍馬かぁ…。ちょっと乗ってみたいかも」
「いいよぉ~。今度、乗せてあげるぅ~」
「やった!…って、オルデールさん、大丈夫ですか?ていうか、皆飲み過ぎですよ」
リディルが片付けたワインの空き瓶は、かなりの数になっている。
「なぁユリウス~。私も今日、ここに泊めてよ。ノアも泊まるんだろ~?」
「厚かましい奴だな」
グラスを傾けながら、ユリウスが面倒そうに言った。
オルデールはムスッとして、隣に座る俊輔に抱き付いた。
「なら、シュンスケの部屋でいいからぁ~!シュンスケは、椅子で寝てくれていいよぉ」
「良かないですよ。わあっ!ちょっと、そこ触らないで下さいよ」
ユリウスは貴族らしからぬ、虫の羽音ほどの舌打ちをした。
「…リディル。オルデールに、二階一番西にある部屋を用意してくれ」
「かしこまりました」
屋敷で一番豪華な客間を与えられたオルデールは大喜びし、ユリウスは酔ったノアと共に、寝室へ上がった。
俊輔はリディル達と片付けや洗い物をし、湯浴みをして一息つくと、やっと、慌ただしい一日を終えたのだった。
バスルームを出たユリウスは、大きなベッドに座るノアに微笑んだ。
「…酔いは、醒めたか?」
「はい。今日はとても楽しかったので、つい、お酒が進んじゃいました」
上機嫌なノアの隣に、腰を下ろす。
まだしっとりと濡れた髪を拭くノアに、ユリウスが言った。
「そういえば…。シュンスケにドレスの事を訊かれたんだが、お前達が何か言ったのか?」
悪戯っぽく笑い、頷く。
「やはりな…。そんなに、私にドレスを着せたいのか」
ええ。と、苦笑しているユリウスを見上げる。
「それでユリウス様は、何て答えたのですか」
「ん…。シュンスケの世界では、特別な日にドレスを着るらしいから、そういう日に着てみるのもいいかと思って、気が向いたらと答えたが」
ノアは若草色の瞳を何度も瞬かせ、ユリウスの蒼い瞳を、じっと覗きこんだ。
「…やっぱり、シュンスケさんは、凄い方ね」
呟き、顔を臥せる。
何度勧めても、絶対着ないと頑なになっていたユリウスが、妥協を口にするとは思わなかった。
ノアの胸奥を燻しながら、ジリジリとした熱が、伝い拡がって行く。
「…妬けます」
「妬ける?なぜ?」
分からず狼狽するユリウスに、ノアは小さく笑った。
「ユリウス様のそういう所も、好きです」
「ノア…」
真摯な瞳を向け、ノアはユリウスの手を包んだ。
見つめ合っている内に、ノアの澄んだ瞳が潤んで来て、中で光が幾重にも、さざめいて見える。
触れ合う事でノアの望みを悟ったユリウスは、自分の鼓動が高く鳴ったのを感じ取った。
「愛しております」
「私もだ。…愛している」
ユリウスの目元がほどける様に和らぎ、赤く染まる。
小さな桜色の口唇に、自身の口唇を重ねた。
ー結婚式まで、あと僅か。
それぞれの夜が、更けていった。
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