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23.
「シュンスケ、さっさと起きろ。朝だ」
言い様、俊輔の上掛けを掴んで剥ぎ取る。
「ンフフフ……ん?ぎゃあっ!ゆ、ユリウスさんッ?!」
枕元に立つ無表情のユリウスに本気でビビり、寝台から飛び上がった。
「鍛練に行くぞ」
「あ~、そっか鍛練か。服、服…どこだっけ…」
寝ぼけ眼のまま、枕元に置いておいた服を探し、はたと動きを止める。
「…あれ?今日、ユリウスさんの結婚式ですよね」
「そうだが」
「昨日リディルさんに、式当日の鍛練はダメって、言われてましたよね」
昨日どころか、三日位前から口酸っぱく忠告されていたはずなのだが。
彼女は神妙な表情で、大仰に腕を組んだ。
「いいか、シュンスケ。鍛練と言うのは、積み上げて行く石と同じだ。積めば積むほど、些細な粗が後々響いて、いずれは倒れてしまう。だから毎日同じ鍛練を繰り返す事で、少しずつ調整して行くんだ」
「駄目です」
面白くなさそうな顔で、ユリウスはそっぽを向いた。
大きく息を吐き出し、傍らに立つ彼女を見上げる。
「…鍛練したい気持ちは分かりますが、怪我でもしたらどうするんです。式当日に花嫁が血まみれにでもなったら、笑えませんよ」
宥め、諭そうとする俊輔に、
「怪我なんかしない」
と、ユリウスはにべもなく返した。
「小学生じゃないんだから、聞き分けて下さい。明日からまた鍛練に付き合いますから、今日は…」
「嫌だ」
「……」
俊輔は頭を抱えてしまった。
こうなってしまったら、彼女はもう絶対に、譲らない。
「もおぉ~ッ!後で、リディルさん達に叱られても、俺は知りませんからね!!」
結局、ユリウスに従うしかない状況に半ば自暴自棄になって怒ると、
「その時は、シュンスケも一緒に謝ってくれ」
と、悪びれずにニヤリと口元を吊り上げた。
その後、屋敷にユリウスがいない事に気付いたリディル達は、血相を変えて鍛練場まで駆け付け、無理やり彼女を、屋敷まで引き摺り戻す騒ぎになった。
靴職人のレドナに作って貰った、真新しい革靴と、オーダーした正装を着た俊輔は、聖堂の扉が音を立てて開いたのに気付き、そちらに向き直った。
聖堂の入り口に並んで立つユリウスとノアの姿に、一瞬で、心を奪われる。
ユリウスは、光沢のある純白の上着に、ブリーチズとマントを纏い、膝上まである白いブーツを履いている。
ボタンや装飾品は全て金で揃えられており、階級を表す勲章を胸に付け、儀礼用の細身の剣を佩刀している。
銀の髪はきっちりと結い上げ、これまた純白の軍人用の帽子には、宝石と羽飾りが縫い付けられてあった。
階級の高い武官の、婚礼用の正装だ。
聖堂の中央の道を、歩幅を合わせてゆっくりと、二人で歩く。
ノアの方は、首上と手の甲まで覆われた、純白のローブを纏っていた。
金糸で細かな刺繍が全体に施され、小さなダイヤモンドが、刺繍の絵柄に合わせて縫い付けてある。
彼女が歩く度、辺りには精彩な輝きが満ち、エメラルドの耳飾りや、胸元を飾る豪奢なネックレスが、玲瓏な音を立てた。
桜色の髪を結い上げ、先の尖った白い帽子には、ローブの裾より長いベールが付いていた。
こちらは導官の、婚礼用の正装である。
神々しいとも言える二人の美しさに、参列した親族や貴族から、次々と感嘆のため息が漏れた。
フラウ・エレンディルの木のステンドグラス前には、現司教であるレーナ・フレイトスが待っていた。
二人が司教の元まで辿り着くと、彼女は祝福の言葉を贈り、持っていたクリスタルの宝杖をかざす。
ユリウスとノアは、宝杖の鋭い先端で指先を刺し、用意された美しい羊皮紙にサインをした。
互いの手を重ねて参列者側に向き直ると、聖堂の鐘が高らかに鳴り響き、大きな拍手と歓声が、ワッと湧き上がった。
( あ…。ノアさんのお父さんだ )
オルティニア家の親族側に、ライアの姿を見付けた。
俊輔のいる場所からは表情までは分からないが、威厳のある高潔な雰囲気は、最初に見た時と同じだった。
その隣に、黒髪の若い女性がいる。
( もしかして、ノアさんの妹かな… )
顔立ちが、どことなくライアに似ていた。
俊輔は拍手を送りながら、ユリウスとノアに視線を戻した。
多くの喜びに包まれ、幸せそうな笑顔で互いに見つめ合う姿に感動し、少し目頭が熱くなる。
( 良かった…。二人とも、凄い綺麗だなぁ )
結婚するまでに紆余曲折があり、今朝もどうなる事かと肝を冷やしたが、無事にこうして、式を終える事が出来たのだ。
この後は、キルシュタイン家での晩餐会が待っている。
オルティニア家のメイド達もやって来て、共に準備や給仕を手伝う事になっていた。
一人、そっと聖堂を出る。
良く晴れた明るい青空の下に出ると、強い風が音を立てて、俊輔のマントを翻らさせた。
それと同時に、彼は胸の奥に、微かなざわめきを感じ取った。
厳かな式を終えた二人は、聖堂と壁に守られた、フラウ・エレンディルの木の傍で寄り添い合った。
「…やっと、ここまで来た」
ユリウスの呟きに、ノアは柔らかく、若草色の瞳を細めた。
「初めてユリウス様にお会いした日を、思い出しますね」
あの時はまだ子供で、お互いに親を亡くし、常に心細くしていた。
今は、こうしているだけでも心強く感じ、穏やかさに満ちている。
木の周りには、式を済ませたばかりの二人や、子を望み、祈りを捧げに来た者達の姿がある。
「ノア、すまない」
気遣う声音に、ユリウスを見上げた。
「グアド族との戦闘が近い。子は……」
そっと手を包み、慎ましやかに微笑む。
「はい。お待ちしております」
上空から強い風が吹き降り、フラウ・エレンディルの金の葉を、シャラシャラと揺らした。
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