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見上げると、そこだけ雲の無い青空が、円く穴を開けていた。 ずっと見続けていると、底なしの空洞に落ちてしまいそうな感覚に陥り、ヒヤリとした汗が背中を伝い流れた。 「…痛ッて!」 唐突に、視界に飛び込んで来た丸い影が額を直撃し、激痛のあまりその場にしゃがみこむ。 小柄な身体のすぐ側に硬いボールが落ちて、足元で何度か跳ねた。 「おい、大丈夫か俊輔!」 グラウンドの砂地を蹴って、慌てて駆け付けて来たのは、幼なじみの北野透だ。 「声かけても、ぼーっと空見てるからさ、高い球投げてみたんだけど。ごめん」 照りつける太陽を遮るように立つ透を見上げ、守屋俊輔は、額を擦りながら立ち上がった。 「いや、キャッチボールの途中だったのにな。ボケッとして、見てなかった…」 「もしかして、熱中症じゃないのか?」 心配そうに覗きこんだ透の頬を、汗が滑り落ちた。 今日は朝から高温注意報が出ている。 まだ昼には早い時間だが、すでにウンザリするほど暑い。 ジリジリと皮膚を刺すような太陽から逃げ、木陰に移動すると、透が保冷バッグから、良く冷えたスポーツドリンクを手渡してくれた。 開けて、一気に飲み干す。 ドリンクの冷たさが全身に行き渡る感覚が、心地好い。 風が吹き付けてきたが、灼けたグラウンドの、ほこりっぽい臭いが混じった熱風だった。 「生き返った…。ありがとな」 まだ冷たさが残る缶を、額に軽く当てる。 ズキズキ痛むが、ボールが当たったせいで、熱中症では無いと思う。 「昼前だってのに、暑すぎだろ。まだちょい早いけど、メシ食って帰ろうぜ」 俊輔の元気そうな様子に胸を撫で下ろし、透もスポーツドリンクを飲み干して、首に掛けたタオルで汗に塗れた顔を拭いた。 暑過ぎるせいか、蝉の鳴き声がいつもより大人しい。 近所のグラウンドを出ると、道路には自分達しかいなかった。 今日は湿度も高く、歩いていると、汗を含んだズボンが脚に張り付いて歩きにくい。 夏休み中とは言え、こんな日に外で遊んでいるアホは自分達だけだ。 焦げ付きそうなアスファルトの上を歩きながら、俊輔は、あのさ。と話を切り出した。 「うちの担任、進学先だけじゃなくて、将来どうしたいのかとか、細かく訊いて来るんだよな…」 タオルで強烈な日差しを遮りながら、隣を歩く透を見上げた。 「なんだ。将来に悩んでて、ボール捕れなかったのか?」 俊輔は首を捻りつつ、曖昧な返事を返した。 ー正直な所、自分が何をしたいのか分からない。 こういう仕事がしてみたい。という夢や希望があれば、この大学に入りたい。という目標が一つ、見付かりそうなのに。 進みたい方向が定まら無いまま、その場で足踏みばかりしている。 「夢とか、やりたい事とかが無い状態で、妥協して進学先を選んだらさ」 ぽつりと、胸の中で渦巻いている不安を口にした。 「ホワイトとも、ブラックとも言えない中途半端な会社に入って、特にやりがいも感じないまま、じいさんになっても、あくせく働き続けるだけの人生送るのかなって」 「リアルすぎて、怖いな…」 ぴしっと口元を引き攣らせた透だったが、 「でもさ、仕事はそんな感じになったとしても、私生活はまた別だろ?薄給の会社員でも、可愛いくて優しい女の子と、幸せ一杯な結婚出来るかも知れないんだしさ。悪い方に考えすぎだって」 と、励ました。 「…俺は、薄給とまで言ってないぞ」 「あ、悪い」 全く悪びれずに笑顔で誤魔化した透につられ、俊輔も笑い返した。 透とは、小さい時から家族ぐるみで付き合いがあり、互いに気心が知れている。 小学生の頃は同じ少年野球チームに所属して、毎日練習浸けだった。 中学に上がって野球は辞めてしまったが、今でもお互い暇な時、ふらっとグラウンドに立ち寄って、キャッチボールをしながら近況を話すのがお決まりになっている。 住宅地を抜けた先にある、ファストフード店に自転車を停め、話の糸口を探しながら、透は俊輔を振り返った。 「やりたい事って、ある日急に思い立ったりするもんだしさ。案外悩んでいる内に、落ち着く所に、落ち着いてるかも知れないぜ」 「そうだといいけど…」 風除室を抜け、店内へ通じるドアが開くと、冷房の効いた空気が外の熱気を押し戻して、汗だくの二人はようやく、沸騰しそうな暑さから解放された。 「悩むのは、ちゃんと考えてる証拠だろ。俺なんて、お前はもっと将来を悩めアホって、昨日も親に叱られたけどな。おっ、これ旨そう」 そう言って、新メニューのポスターに釘付けになっている透の隣に並んだ。 「…うん、ありがと。俺も、このセットにしようかなぁ」 「ボリュームがあって、旨そうだよな。でも値段がなー。今日は、アップルパイ諦めるか…」 空腹具合と、財布の中身を比べて悩んでいる透より先に、俊輔はカウンター前に立った。 いつもさりげなく励まそうとしてくれる、幼なじみの分のアップルパイも、ついでに注文しておいた。
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