私の大切な友達。

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私の大切な友達。

 小学三年生くらいの頃の話。  私には、親しい友達がいなかった。  否、トモダチは居た。数人グループの中の一人に所属していたが、それでも、その中で息をすることに、毎日なんだか疲れていた。  女子は早熟、と今でも思う。あの日々を思い出す時、大人の今の私の見解も含んで、少し事実とは脚色されてしまっているかもしれないけど。私は、周りの友人のことが苦手だった。子供だな、と思っていた。  と、言うのも。  何か気に入らない事があれば、「○○ちゃんと話しないで」なんて言うくせ、暫くすれば仲直りしていて。また別の子をのけ者にしていたりする。  正しく言うのなら、当時の私は、他人が怖かったのかもしれない。  心境がよくわからない。彼女達は、私と親しく接している裏で、私の悪口も言っているのだろう。何か、気に触ることをすれば、明日のけ者にされるのは私かもしれない。  読めもしない空気を瞬時に読むことを求められているようなプレッシャー。言葉を選び、愛想笑いを覚える。  大人の言うことは絶対だと思っていた私は、先生の言う通りに行動するタイプだったが、それがクラスでは浮いたりした。皆、私より遥かに早く、思春期を迎えているような空気があった。先生の言うことは聞かず、反発することがクラスで浮かない為のポイントで、少し禿げた頭の見るからにオジサンだったクラス担任を「きしょい」と言わなければ、グループの女子の中では、一緒に笑い合えない。  私の通う小学校、進学して通うことになる中学校は、少し遡れば、なかなか評判の良くないところで。中学では私の卒業式でも未だにパトカーが駐在していた。  確かに、色んな親が居て、この親ありきと思うような生徒が居た。そう言う子達は既にクラスを牛耳っている女子グループに所属しており、彼女達に目をつけられるのはヤバいと、子供心に思っていたりもした。  兎に角、学校に行くのが嫌だった。  トモダチと遊ぶのも、苦痛だった。  顔色を窺わず接することの出来る友人は居なかったように思う。  そんな中、必然的に、好きになったのは読書だった。  恐らく、学校で設けられた『読書タイム』のような時間が、読書を好きになるきっかけだったと思う。  それから、好きな本に出会い、休み時間はトモダチに誘われても断って、一人で席に座って本を読んだ。  その時、それでも必ず遊びに誘ってくれる友人が居て、或いは彼女こそが、本当の友達……になれたのかもしれない人だった。私が読書を決め込んだ時も、私の机の横に控えて、じっと私を眺めていたりした。  それでも私は、読書を選んだ。  息の仕方を考えなくてもいい。没頭すれば時間が経ち、それが惜しくて、借りて読んだ。読み終わっても、何度も読んだ。  もう数十年も昔の事なのに、未だにタイトルと翻訳した方の名前は覚えている。短編集で、その中の作品の名前が本のタイトルだった。 “魔法使いのチョコレートケーキ”。  石井桃子・訳。 (調べてみると、作者はマーガレット・マーヒーと言う方らしい)  ちょっと不思議な話が詰まったその短編集は、たちまち私を虜にさせた。色んな感情を与えてくれた。原点のようなものだと思っている。(私はあまりファンタジーを書かないけれど……)  私の子供の頃の友達はそう、“魔法使いのチョコレートケーキ”。その、本だった。  その本がクラスの本棚にあったから、学校に通えた。休み時間に、無理して笑う方を選択しないで済んだ。  その時の結果なのかもしれないと思う程、今の私は人付き合いが苦手だし、空気も読めない。だけど、それでいいと開き直ってる節があって、そんな自分が嫌いじゃない。    時は流れる。  素行が悪い生徒が多いと評判の中学では、幸い、浮くことも無理して笑うこともなく、過ごす。既に、『自分』と言うものが形成されていたように思う。会いたくないな、と思うようなクラスメイトは居なかった。普通に、楽しかった。  高校は、県内でもなかなか名の知れた高校を受験し、合格した。「もうワンランク、上を目指さない?」と当時のクラス担任に提案されたのが、なかなか人には言えない自慢になっていた。でも私は既に、『強固な私』が形成されていて、「そっちの高校には興味が無いので」と答えたと思う。生徒会長をしていた別れた彼氏の志望校が私と同じところで、別れたなんて知らずに変な気を回して来ていたその教諭が、恐らく、「彼氏と同じところに行きたいのか」と思ったかもしれないことが苦々しかった。  その頃にはもう、すっかり、大人には期待していなかった。……生意気な物言いだが、事実、大人に対して内心ではかなりツンケンとした子供だったと思う。  大人だからと言って、子供の心を熟知しているわけではないし。いつだって正しいわけでもなく。大人だからと、無条件に尊敬できるわけでもなく。  母が私の望む言動を返してくれなくても、「まぁ、母さんも初めて『母親』を経験してるわけだし。当然か」くらいに思っていた。それは、きっと諦めだった。因みに、私には姉が一人いるが、総じて『初めての子育て』と一括りにしていた。  そんな生意気だった私は、家族の中でもやっぱり、一人を好んだ。部屋に籠る事が好きだった。  中学では、勉強が好きで。知識欲に溢れていた。ぐんぐん上位に上り詰めていく順位を見るのが好きだった。読書より、一人で勉強する時間が好きだった。  高校では、友達に漫画やゲームの楽しさを教えて貰った。二次創作と言う言葉を知り、「腐女子」と言う言葉を知ったのも、そこ。  読書も勉強も、あんまりしなかった。  それでも、一年のブランクの後、大学生になった。  実家は居るとイライラしてしまう場所だったので、実家から程遠い大学を選んで、受験した。一人暮らしに憧れたし、自分なら新しい環境でも上手くやっていけるだろうと思うくらいには、自分自身がすっかり私の味方だった。 「人生の夏休み」と言われる大学生活で学んだものは、経済学でもマネジメントでもなくて、「上手い授業のサボり方」「複雑な恋愛」「バイト」。  夜遅くまで部活かバイトに打ち込んで、夜の十時くらいから早朝の二時くらいにかけて遊ぶ日々は、確かに楽しかった。  自由って、そう言うことだったように思う。  何時だろうと、連絡のつく友人と会ってお酒を飲んだり。来て貰って宅飲みしたり。社会人の友人も出来て、色んな所に連れていって貰ったりもした。  相変わらずそれでも、人付き合いは苦手だった。  心の中の奥深くには誰も居ない。ーーーそんな、どうしたって埋まらない虚しさのようなものが、一人の夜には存在していたように思う。  そんな時に、ふと、思い出した。  子供の頃の、『友達』の存在。  一人の夜に調べてみれば、記憶のままの表紙が出てきて、堪らず、中古で注文した。  今。  いつ、いかなる瞬間にも、想像していなかった未来に居て。  まさか私が。結婚をして、子育てをしている。  結局、手元に届いた、かつて私の心の奥底を満たした唯一の友人は、その表紙に少しだけ触れるなり、クローゼットに仕舞い込んでいる。  私は多分、『上手く』生きていくことに少しだけ長けていて、でも、実際はハリボテのようなものなのだから、いつも何処かで頓挫し、長く深く、無駄な時間を使ってしまう。すぐに、いっぱいいっぱいになってしまっていた毎日に、読書をする時間を設けられなかった。  大学を卒業して、就職し、結婚し、子育てをするーーーまでが本当に、怒涛のノンストップで。    大切な友人は今も、私にページを捲られる事もなく。あの日の感動を鮮明に思い出させるような機会を得ることも出来ず、実家のクローゼットの中に眠る。  いつか、また。  もう少し落ち着いたら。  彼女に……彼に?……会いに行きたいと思っている。  あなたが必要にならなくなった毎日は、それなりに忙しく、楽しく、魅力的で、感情的で、感傷的で、複雑で、感動的な、日々でした。  私は今、沢山の取り零してきた時間を知った。感謝を知った。人ときちんと向き合わなかったことを、少しだけ、残念に思った日もあった。強がりだったなと、子供だったかつての自分を懐かしむことも出来るようになった。  それでも、やっぱり、後悔の無い過去。今の幸せの、全ての始まりは、あなただったと思う。  私の“友達”で居てくれて、ありがとう。  あなたに出会えた感動を、いつの日か、子供とも分かち合いたいと思う。  それが今の私の、密かな夢。 ー完ー  
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