恋を知らない二人

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「じゃあ朝倉君、早乙女君、そういうわけだから二人でよく話し合ってくださいね」 彼らとはかかわり合いたくない、そう思った翌日、私は呼び出された教授の部屋で早乙女君と一日ぶりの再会を果たしていたのだった。 各自自由に題材を選ぶ課題が出されたのだが、なんと私と彼の選んだ題材が同じだったのだ。 どちらかが他の題材にするか共同で取り組むかを二人で相談するようにと、教授に指示されたのである。 教授の部屋を後にし二人きりになると 「朝倉さんも同じの選んでたんだ?すごい偶然だね」 早乙女君は整った顔で微笑んだ。 私達が受けているのは万葉集についての講義で、それぞれ好きな歌を選んでレポート作成する事になったのだ。 私が選んだのは(くだん)の恋した故に痩せ細ったという歌だったのだが、同じく、あまりメジャーでないはずのこの歌を選んだのが、学内で最もメジャーな早乙女君だったわけだ。 私達は何となく一緒に帰りながら、何となく相談を始める。 「早乙女君があんな恋愛の歌を選ぶとは思わなかった」 「そう?俺、恋に憧れがあるんだけど、変?」 「憧れ?早乙女君なら実際に経験も豊富なんじゃないの?」 「そんな事ないよ。だって俺、誰かに恋愛感情持った事ないから」 思いもよらない告白に、私は「え?」と大きめの声で訊き返してしまった。 「そんなに意外?そういう朝倉さんはどうしてこの歌を選んだの?」 「それは…、恋のせいで痩せ細るなんて本当にあるのか、興味があって…」 「朝倉さんはそんな経験ないの?あ、もしかして朝倉さんも恋愛した事なかったりして?」 「え?ええっと…、それは、まあ……ないけど」 「なんだ、じゃあ俺と同じじゃないか」 大きく笑われてしまい、私の頬には熱が走る。 ここは嘘でも「ある」と答えておけばよかった。 だがそんな私の後悔は、早乙女君の天才的な社交性の前では塵のように飛ばされてしまうのだ。 「それならさ、俺達、二人で一緒にレポート仕上げない?」 「は?共同で?」 「うん、どう?一緒にやろうよ」 いや、それはお断りしたい。 何せ私は、モテる人とは一切かかわり合いたくないのだから。 こうして駅までを並んで歩いてるだけでも人目が気になって仕方ないのに。 「いや、私は他の歌にするからいいよ」 「なんで?朝倉さんもこの歌に思い入れがあるんじゃないの?」 「ううん、大丈夫」 「痩せてしまうほどに恋する気持ち、知りたくないの?」 その問いかけは、ぴしゃりと私の胸を突いてきた。 知りたいか知りたくないかで言えば、知りたいに決まってる。 というよりも、研究してみたい。 恋愛に関する苦い記憶を持っている私は、そのせいでままならない高校生活だった。 それ故、自分が誰かを好きになるなんて想像もできないけれど、率直に興味はあったのだ。恋というものに。 間接的にではあるが私から高校生活を奪った犯人。 人の心に悪意を抱かせたり、体を痩せ細らせたりするほどの強い力を持っている、厄介なもの。 だがいつかは自分もそんな気持ちを経験するのだろうかと、信じられないような、不思議な感覚があった。 だからと言って、共同レポートを書くということは早乙女君と一緒にいる時間が増えるわけで、それは遠慮したい。 こんな大学で一番モテる人と一緒にいるなんて嫌でも目立ってしまうだろうし、どんな噂がたてられるかわからないからだ。 私は傾きかけた気持ちを戻して、早乙女君に断りを入れた。
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