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10.その涙に触れられない
雄介が転勤?!
資料を読んでいるふりをしているが、「ゆうがいなくなる…」その言葉が頭の中でぐるぐる回って、これまでの楽しかった日々が映画のように頭の中で流れている。
気がつくと誰かに肩を叩かれていた。顔を向けると、部長が私を見ていた。
「水野君、ちょっといいかな?」
「あっはい!」
慌てて立とうとしてデスクの角に膝を打ってしまった。
「大丈夫?朝から疲れてるの?」
「いえ、大丈夫です」
部長の後をついていくと、さっきのミーティングルームに通された。慌てて雄介を探したらすでに席に戻っていた。
部長は何の話をするのだろう。もしかして、私たちの関係に気がついていて、雄介の転勤の話をするのではないかと思っていた。
「さ、かけて」
「あっありがとうございます」
部長と向き合う席に腰をかけた。部長が資料を手渡してきた。ホチキス止めされた資料を受け取り、目を通すと新チームが立ち上がるという内容だった。そこのチームリーダーの欄に私の名前があった。びっくりして顔を上げる。
「うちで開発した新しい治療薬に特化したチームを作ることになった。そこで即戦力となってくれる水野君にチームリーダーを任せたいと思っているんだ。」
「即戦力なら吉住課長の方が…」
そう言いかけたところで「彼にはもっと大きい仕事を任せたくてね」と部長が言った。
「確かに、吉住君と水野君のコンビでとてもいい働き方をしているのは知っている。ここで君には大きく飛躍してほしいと思ってね。ぜひチームリーダーを任せたいと思ったんだよ。」
「……」
「待遇は係長職になる。悪い話ではないと思うが」
「……」
「今すぐでなくていいが、今週中には返事をくれ」
「…はい」
それだけ言うと、部長は先に部屋を出て行った。
私がチームリーダー?雄介が転勤?
しばらく立つことができなかった。
「おい、出かけるぞ!」
顔を上げると、仕事モードの雄介がドアの前に立っていた。気持ちが切り替えられない私は握りしめ過ぎてぐちゃぐちゃになった資料を持ってミーティングルームを出た。
駐車場までは何とか冷静を保とうと頑張ったが、車のドアを閉めた途端「ゆう、転勤になるって本当?」とプライベートの、彼女の顔になって聞いてしまった。
「今仕事中だろ」
「お願い答えて!!」
「転勤の話は来ている。だがまだ決まったわけじゃない」
「どうして?」
「どうしてもこうしても、転勤があるのはわかってたことじゃないか」
「……」
「それより、理子だってチームリーダーの話がきてたろ。良かったじゃないか。しかも係長待遇っていうから短期間ですごい出世だろ!」
「そんなのやりたくない。…ゆうがいないんだったらやりたくない!」
「なぁ理子、この話はさ、家に帰ってからゆっくり話そう。部長に言われたこと全部話すから、2人にとっていい方向になるようにしよう。な!」
「うん、ごめん。ショック過ぎて冷静さを欠いてた。本当にごめん」
「じゃ行こうか」
「はい」
雄介にはそう言ったけど、内心不安でしかなかった。心の中に暗雲が立ち込めていた。
帰宅したのは11時を回っていた。残業なのは慣れっこだが今日は違う。雄介のことで頭がいっぱいで仕事にならなかったのだ。
玄関を開ける音で気づいたのか、新しく買った黒のチェック柄のパジャマを着た雄介が出迎えてくれた。
「おかえり」
「ただいま」
靴を脱いだところを抱きしめられた。
「理子、ごめんな。オレのせいだよね」
「ううん、私がのろまだから。遅くなってごめん」
「ミネストローネ作ったんだよ。食べるだろ」
「うん、着替えてくる」
「じゃあ部屋まで連れてく」
そういうと私をお姫様抱っこで寝室まで連れて行ってくれた。
私は、ゆうの首にしがみついて彼の匂いに包まれた。ゆうを近くに感じたくて仕方なかった。
ゆうと付き合う前は、私はこんなことができる女じゃなかった。人のぬくもりとか相手に思われる心地よさとか全く知らなくて。それを教えてくれたのがゆうだった。
だから今さらゆうと離れて暮らすことなんてできない。離れたらきっと毎日泣いてばかりいる。苦しくて生きているのかどうかもわからなくなってしまう。
でも、ゆうには出世してほしいと思う。仕事が大好きなゆう。頑張ってほしいとは思うけど、私がいない場所ではなくて……
寝室のベッドの上に優しくおろしてくれたけど、ゆうから離れたくない!なんて今まで感じたことがなかった強い感情が私を押しつぶしている。
首にしがみついたままでしたら、その気持ちを察したのか、そのままベッドに押し倒された。
「理子、愛してる」
耳元で囁かれた。好きという気持ちはこれまで何度も言われていた。しかし、愛してるは初めてだった。私も同じ気持ちでいた。でもなぜか「私も愛してる」の言葉はのどに詰まったまま出てこない。頑張ったけど言葉の代わりに涙が頬をつたった。どうしてもその一言が出てこない。
泣き顔のまま、ゆうの顔を見た。優しいけどまじめな表情。ゆうも何かを思っているみたいだった。
ゆうが私の涙を優しくぬぐってくれたけど、私にも彼の潤んでいる瞳に気づいていた。それなのに、彼の潤んだ目元に触れることができなかった。
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