14.あなたのくちびるで甘やかして

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14.あなたのくちびるで甘やかして

雅の一言ひと言が、私の心にすっと入ってきたとき、これまで抱えていたモヤモヤの気持ちがハッキリと見えた。私にとって大切なもの、それは彼の存在。 今までは仕事が大切で、順位も一番で、仕事があるから自分の存在価値を見出せていたといってもいい。 でも、ゆうを…彼を知ってから私は変わっていったのだと思う。でも、変わっていないふりをしていただけだ。自分に素直になることができなくて、雅が代弁してくれなかったら きっと今も気づかないふりをしていたと思う。 店の前で雅と別れ、駅まで歩いた。 歩いているはずなのに、自然と早歩きになってしまう。何度か立ち止まって高ぶっている心を落ち着かせようと思ったけど、体は正直だ。何度止まって歩き直してもスピードがどんどん上がり、最終的には小走りになっていた。 駅の改札も通り抜けるように早かったし、ホームに降りてからも早く電車が来ないかとやきもきしている。電光掲示板を見上げると、次の電車は19分発だ。今、21時10分だから次の電車が来るまであと数分待たなければならない。 次が来るまでの間に、彼に連絡することにした。「今から帰ります。19分発の電車に乗る予定」とメッセージを送る。スマホを閉じてカバンにしまおうとしたとき、メッセージの着信音がした。 誰かと思って画面を開くと、「気をつけて帰ってきて」とある。彼からだった。素早い返信から待っていたに違いないと思って、なぜだか申し訳ない気持ちになってしまった。 それと同時に、私の帰りを待っていてくれる存在がいることに、今まで以上にうれしかった。 電車を降りると、駆け出してしまっている自分がいた。こんなにも急ぐなんて大学受験の時以来ではないかと思うほどだった。手には定期ケースを持ち、ホームの階段を駆け上がってあっという間に改札を抜けていつもの駅口へと向かった。 そこに見えたのは手を上げてこちらを見ている笑顔の彼だった。慌てて駆け寄る。 「おかえり」 「迎えに来てくれたの?」 「うん、二人で夜の道を散歩するのもいいかなって思って」 「そっか、そうだね。来てくれてありがとう」 「ねえ、なんで走ってたの?」 「なんだか早く会いたくて」 「それってうれしいね、そんなに思っていてくれたなんてさ」 歩き出すと、私が歩道側になるように自然と誘導してくれる。それもさりげなく。そして、いつものように右手をつないで歩きだした。 いつもは二人でいっぱい話すのに、今日はお互いが黙っていた。 私は、どう話を切り出せばいいか迷っていた。だから、結論から話すことにした。長々と話すより、結論を先に言った方が彼も安心するはず。 彼のマンションの近くにある公園を通りかかった。 「ねえ、もうすぐ桜が咲くんじゃない?」 そう声をかけると、彼は立ち止まって桜の木を見上げた。 「なんかさ、桜の枝がさ茶色っていうか桃色に近くなってきているように見えるんだけど」 「本当だ、そう見えるね」 「もうすぐ春が来るね、楽しみだな~」 「あのさ…」と言い出した彼の言葉を遮って私は結論をまっすぐ彼にぶつけた。彼の方を向いて両手を握りしめて思いを絞り出した。 「私、ゆうと一緒に福岡に行く!」 「え!?」 「私、よく考えてみたの。これからのこと…。今までは自分1人で何でもこなしていけたから、誰かのためにとか、誰かと一緒にとかいう考え方が難しかった。というより考えたことなかった。でも、ゆうとのことを真剣に考えてみて、一緒にいたいからついて行こうって」 彼が「でも…」と言いかけた。きっとまだ私の仕事のことを心配している。 「ゆう、もう少しで終わるから最後まで言わせて」 彼は頷きながら「……、わかった」と笑顔を見せる。 「きっとゆうは、私の仕事やキャリアのことを気にしてくれていると思う。私もそこに引っかかってた。でもね、この状況になってみて、私のキャリアとゆうとの生活を比べてみたんだ。私はゆうとの生活の方が断然大事だって気がついたの。だから私の仕事は心配しなくて大丈夫。向こうで落ち着いたら仕事をちゃんと探す。だって、今の会社も自分で探してやってきたんだよ、だから心配なんてない」 少しだけ苦そうな微笑みを見せた。そして彼は私を優しく抱きしめながら口を開いた。 「オレはさ、理子のキャリアを優先してほしいって話すつもりだった。オレが会社を変えればいい話だって思って。オレが会社を辞めれば一緒にいられるって。」 「それじゃあダメだよ。私よりもゆうの方が必要とされているんだし」 「理子、本当にそれでいいのか?」 「大丈夫、ゆうの存在が今の私には一番大切だから」 「オレ、理子のこと一生大事にするから」 私はそう言われて、急に不安になった。 「一応確認していい?」 「何を?」 「私さ、何にもできないよ。何にもできないって言い方に語弊があるかもだけど、家事全般さ、どっちかっていうと下手だから迷惑をかけると思う。だからそんな私に嫌気がさすかもしれないから、一生大事にするなんて……」 「そんなこと知ってる。それでもオレは理子と一緒にいたい。オレの傍にいてくれるだけでいいから」 そう言うと、彼はくちびるを寄せてきた。厚めの下くちびるが私のくちびると頬を熱く湿らす。 それから、ゆっくりとくちびるを離すと耳元でこう囁いた。 「理子は何にも心配しないで、オレだけの理子でいて」 そう言って彼は笑顔を見せた。 彼の笑顔を見た途端、さっき感じた不安はどこかへ行ってしまったようだ。 彼は私の手を取ってつなぐと、「帰ろっか」と言った。 返事と一緒にうなずき、彼の手を握り返し、歩き出す。 彼の自宅マンションに続く路地を曲がると、彼が切り出した。 「理子、仕事のこと本当にいいの?せっかくのチャンスだったのに」 「明日、部長に話す予定でいるし、辞表も書かなきゃって考えてたけど。なんで?」 「さっき言ったじゃん。ゆうとの生活を第一にしたいって」 「なんか、理子に我慢させてしまうみたいで…」 「別に我慢はしてないよ。少し残念なだけ」 そう言って彼を見上げていたずらっぽく笑って見せた。 「だったら…」 「な~んてね。私、ゆうに甘えるの、心地いいんだよね。小さなチャンスのためにそれを手放したくない。だから、私は何とも思ってないよ。そのことに気づけてラッキーだって思ってるんだから」 「わかった。これからも好きなだけ甘えて」 彼は私を引き寄せて肩を抱きしめた。彼の胸の鼓動がする。私にとって安心できる唯一の音のよう。 あの日彼からLINEがなかったとしてもきっと恋に落ちてしまっていただろう。初めて私を大切に扱ってくれた男性。それが雄介で本当に良かった。私はこれから何度も彼に甘えるだろう。そして、キスをせがむ。
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