雨垂れ落ちる春

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遠くでチャイムの鳴る音がする。 いつのまにか授業は終わっていて、真っ白なノートに思わずまた寝たくなった。 ちきしょう。 「よく寝てたな、音也」 からかうように秀仁が後ろからつついてくる。 「うるせえ」 昨日は、今日撮るはず曲の編集に手間取ったせいで、眠くてたまらない。 どんなに寝ていても腹は減る。 人気のあるコロッケパンをゲットする為に、ノロノロと席を立つ。 「あ、俺も行く」 秀仁が慌てたようにオレの後をついていく。 購買は一階にある。 一年の時は二階でも近かったのに、二年になったら教室が遠くなった。 三年になったら三階になるから余計に遠くなる。 学年があがるたびに購買や食堂から遠くなるってなんだ? 新しい苦行か? 「なんか変な事考えてるでしょ、音也?」 「失礼だな、オレは今世の中の不条理について真剣に考えているのに」 「はいはい」 くだらない事を秀仁と話しているオレ達の前に女子が三人立ちはだかった。 またか。 思わずため息をつきたくなる。 二人の友達に押し出されるように一人の女子が顔を赤くしながら出てくる。 「あの岡崎君、ちょっと話しがあるんだけど」 「ん、何かな?」 秀仁がいつものように柔らかく答える。 それだけでついてきた女子までも赤くなる。 見ていられなくてオレは「先に行く」と告げてさっさと進む。 そして、いつもと同じパンを掴み、ラスト一つだったコロッケパンも無事ゲットできた。 自販機でコーラを買って、そのまま教室に戻ろうか悩んでいたら、息を切らせた秀仁がカフェオレのボタンを押した。 「お、早かったな」 からかうように言ってやると、困ったように笑われた。 日によっては昼休みいっぱい戻ってこない時もあるからな。 「手紙渡されただけだからね。今日は教室?」 「おう。一応完璧だと思うけど、見てほしいからな」 「意外と心配性だよね、音也って」 「意外でも何でもないだろ。見るからにA型って感じだろ?」 「え、O型でしょ」 くだらない話をしている内に教室についたから、椅子に座りパンの袋をあける。 こういう時、席が前後だと楽ちんすぎる。 これは担任の方針で、最初の三ヶ月は名前順なだけで、断じてくじ引きで決まった訳ではない。 江口と岡崎だなんて普通過ぎて話題にもならないだろ? オレは机の引き出しからクリアファイルを出し秀仁に渡した。 「一枚目?」 「そう」 サンドイッチをつまんでいた手を左手に持ち替え、右手の指先だけをおしぼりで丁寧に拭ってから、クリアファイルから楽譜を机に載せ、真剣な目で秀仁は眺める。 そういう所を見ると育ちがいいな。と思う。 実際家は金持ちらしいけど、至って本人はひけらかしたりもしないし、感じもいい。 オレが女だったらこいつは相当な有料物件だと思う。 少しウェーブがかった茶色の髪も、何か品があるように見えるっていうか。 タレ目で物腰も柔らかくて、彼女がいたら大切にしてくれそうだな。とか。 だから爆撃機みたいに何度も女子達が突撃していくのだろう。 対してオレはキングオブ普通。 髪も黒髪でモテるとも言えない。 むしろ目付き悪いとか言われますけどね。 まあ、彼女は今は居るけど、こいつと居るとバカみたいに劣等感を刺激されるのも確かだ。 彼女居るけど。 そうだ、こいつじゃなくてオレを選んでくれたという美人な彼女が。 「浮上した?」 「おう」 トリップしてたオレを秀仁の声が引き戻す。 「三小節目のここ」 指し示す指先を見る。 「ラ、一個増やせる?」 「げっ、ここテンポ的にギリギリなんだぞ」 くそう。 練習した時もギリギリだったんだぞ、ココ。 確かに秀仁が言った通り一個増やした方が正解なんだろうが、無くても特に困らないだろ。 「ま、別に決めるのは音也だからな」 「鬼」 「とか言って練習してるくせに」 正解だよ。 何回も繰り返す内に違和感に気づいて一個多く弾いた所しっくりもきたが、三割しか成功しなかった。 確実に弾ききるなら無い方が良かったっていうのに。 オレは乱暴にペンケースから赤のボールペンを出し、指し示した所に音符を書き入れる。 「音也のそういう所大好き」 「わあ、嬉しい」 ただでさえ最近の流行りの曲は人間の限界を無視した曲が多過ぎるんだよ。 ゆったりした曲でもわざと音数を増やすのがトレンドだしな。 なんだ、喧嘩売ってるんじゃないか。 いいだろう、買ってやるよ。 挑戦のしがいはある。 それとは別にこいつの耳は一体どうなっているのか、一回解剖してやりたい。 コーラを傾ける。 脳細胞に染み渡るように炭酸が、弾けた。
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