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天気予報を見ていなかった自分が悪い訳なんだが、野郎二人の相合い傘に耐えられなくなったオレは、秀仁より先に走って家に帰った。
春の雨は嫌いだ。
生温く体へと張り付いてくる。
そのくせにシトシトと静かに降る。
走ったおかげで、思ったよりも濡れていなかったのが救いだ。
これだったら明日までに乾くだろう。
オレは玄関で軽く雨を払う。
ふと、見慣れない靴が目についた。
妹よりも大きな靴。
友達でも来てるのか、とオレは気にせず靴と靴下を脱いだ。
靴の中はそんなに濡れていなかったが、気になるからな。
ついでに学ランの中に着ていたワイシャツを脱いで洗濯機の中にまとめて放り込んでから、パーカーとジーンズに着替えた。
髪の毛を軽く拭いて、タオルはそのまま首にかけた。
秀仁の足だったら、あと10分もかからず家に着くだろう。
秀仁の為にも玄関にタオルを置いておいた。
部屋に戻り電子ピアノの電源を入れて、繋いでいたヘッドホンを外す。
まだ夜ではないからいいだろう。
妹?
もう慣れっこだろう。
オレは走ってきた高ぶりをそのままにピアノを弾く。
やっぱりヘッドホン越しではなく、直に聞く方が好きだ。
ショパンの雨だれ。
降ってる雨に負けないぐらい優しく、水たまりの水すら跳ねさせないような指使いで鍵盤を叩く。
いつか絵里さんに聞かせてあげたい。
音楽室に来てくれればいいのに、秀仁はいい顔をしないし、オレも絵里さんが秀仁に惹かれるんじゃないかと密かに不安になるから当分叶えられそうにない。
初めてのデートでピアノ店にでも行くんだ。
動画で見た事ある。
音を試していい場所で誰にでもわかるように愛の歌を弾く。
オレのピアノが好きだと言った絵里さんは喜んでくれるだろうか。
その事を想像するだけで幸せな気分になる。
偉大なる先人達がこぞって恋人たちに曲を送る気持ちが少し分かった気がする。
言葉では伝えられない気持ちが音になって溢れてくる。
ポツリ、ポツリと重なり合う音が波紋を広げていく。
ゆっくりと丁寧に最後の小節をなぞる。
余韻をなぞるかのようにひと呼吸を置く。
すると、パチパチと音がした。
見た事もない女がいた。
肩に少しかかる茶色の髪の毛に見たことのない制服。
女は唇の端を少しあげてオレに問う。
「上手ですね。ショパンですか?」
誰だ?
疑問符が浮かんだが、思い出した。
玄関にあった見慣れない靴。って事は妹の友達だな。
「よく知ってるな」
「少し前にドラマで使われてましたよね。あの曲好きだったんです」
ああ、昔流行ったのを有名な監督でリメイクしたドラマだな。
オレも見ていた。
異世界人と普通の人を区別をする為に、この曲が使われていた。
この曲が存在しない世界から来た異世界人が、悲しそうに聞いていたのが印象に残っている。
ピンポーン
チャイムが鳴る。
秀仁が来たのだろう。と思っていたら隣の部屋が空いて部屋の前にいる女と同じ制服を着た妹が出てきた。
もちろん、その制服は妹の通っている中学のものでは断じてない。
「ナオ、遅いと思ったらお兄ちゃんの部屋に居たの?」
「通りかかったら知ってる曲が聞こえてきて気になって。お兄さんだったんだね」
「あ、居るって言ってなかったけ? まあ、ピアノバカっていうだけで無害だから」
バカってなんだよ。
「お兄ちゃん、私の友達でナオ。一個上で確か」
ピンポーン
二度目のチャイム。
待たせすぎたな。
「悪い、先に行っていいか」
「誰か来たの?」
「秀仁」
「早く行ってあげなよ」
「お前が引き止めたんだろ」
オレは二人の前を通り過ぎて玄関の扉をあける。
そこには口元だけで笑っている秀仁が居た。
これは怒ってるな。
「あまりにも遅いから忘れられたかと思ったよ」
「悪い悪い」
用意していたタオルを渡すとすぐに、少し濡れた肩を拭き始めた。
タオル準備しておいて良かった。
「秀仁さん」
玄関でわちゃわちゃしてるのに気づいた妹が顔を出した。
一緒にいた子は妹の部屋に戻ったらしい。
「花音ちゃん、久しぶりだね。元気にしてた?」
「はい」
「それは良かった」
そう言って秀仁は、学校中の女子が見惚れるであろう社交的な笑顔をみせた。
その顔にぼーっと妹は見惚れているかのように見えるが、絶対に違う。
あれは脳内で似合うコスプレを探しているな。
これじゃいつまで経っても部屋に辿りつけない。
「さっさと部屋行くぞ」
オレはわざと不機嫌そうな声を出してやる。
「ちょっと待ってよ音也。花音ちゃん、先に謝っておく。ちょっとピアノ弾いたりしてうるさくするかも」
「別にいいですよ。いつもの事なんで慣れてるんで。さっきも弾いてましたし。あ、タオルもらいますよ」
そういう所無駄に気がきくんだよな、妹は。
「ありがとう」
タオルを妹に渡し秀仁は靴を脱いで、オレの後をついて部屋へと向かう。
途中で冷蔵庫に余っていた缶のコーラを二本掴んで取り出し、一本は秀仁に渡した。
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