アルバムは羞恥心の集合体

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アルバムというのは時に残酷だ。 私はふと思った。 在りし日の姿を写真という物で蓋をする。 蓋をされた写真は次々と数を増す。 我が子可愛や、夫婦仲良いことかな。 増したら、今度はどうする? それは一種の集合体だと言わんばかりに アルバムというなんとも羞恥心の集合体の出来上がり。 今日も羞恥心の塊が我が物顔で他人様に見られている訳だ。 「お前も見なさい」 楽しいわよ。この頃が可愛くてな。 ここまでくると、私にとっては両親が羞恥心である。 勧める両親にげっそりとしながら、一枚の写真に目をやる。 そこには私だけ。 とある旅館の前で封じ込められた写真だった。 「この旅館、また行きたいわねぇ」 両親は思い出談義に花を咲かせている。 身内に、他人にと…もう何十回、何百回聞かせても聞かせ足りないらしい。 うんざりするのが子の役目か。 私はというと写真にいる友達へ思いを馳せた。 正確には私だけではなかった。 私と肩を組んでいる彼の姿がそこにあった。 両親は知らない。 何故なら、彼等は視えないのだから。 私の子供の頃の友達と言うべきなのだろうか? それともあの夏の日、秘密を共に過ごした共犯者か。 今も彼は当時のまま蓋をされ、写真(そこ)にいる。 私はにたりと笑った。 (蓋を破って出てこいよ!お前との約束を果たしてやるよ)
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