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やってらんねぇ
魔族と人間はきっちりと世界を二分し、お互い領域を侵さないと言う条約で共存の道を歩み始め一年。
予定の時間より少し遅れてヤクルが酒場に着けば、マスターは何も言わず一度だけ顎をしゃくる。
他の客も多く居る店内の脇を抜け、曲がりくねった廊下の最奥、酒樽とテーブルクロスに隠された、言われなければ誰も気付かない場所にある扉を潜ると、既にジョッキを片手に肴を囓るエスカとニールの姿があった。
「おっせーよ勇者さまー」
「警備兵の交代がいつもより遅くて抜け出せなかったんだよ」
頬杖を付いたまま悪態をつくニールをさらりと流すと、ヤクルは狭い席に体を押し込みそっとテーブルクロスで部屋の入り口を塞ぐ。
倉庫と言うよりも、建物を建てる際に建築ミスで出来てしまったデッドスペースと言った方が正しい場所。酒樽をテーブル代わりにし、その辺にあった木箱に適当に座るだけの、マスターとここに居る三人しか知らない場所だ。
外から部屋の存在が分からなくなる程度にテーブルクロスで隠し終わると、ようやくヤクルは被ったままだったフードを外す。
「城住まいは面倒だな。エスカんとこにでも間借りしたらどうだ」
「あー無理無理、修道院うちも面倒よ。賢者様の癖にほいほい抜け出せるあんたがおかしいのよ。神殿ってそんなにヌルいの?」
机に突っ伏していたエスカは、いかにも面倒そうに手をひらひらと振りながらジョッキを引き寄せる。
勇者のヤクルに賢者のニール、それと聖女のエスカ。
この二つ名は仲間内だけのものでは無い。事実、三人は一年前、魔族との長きにわたる戦いを終わらせた勇者達だ。
「んなもん、空間転移で抜け出してるに決まってんだろ? 神殿うちも結構面倒だからな。毎日毎日お清めの聖水聖水ってよ、手かかぶれるんだよアレ。聖水って言ったらこれだろー」
ローブの裾を寛げテーブルに足を乗せたニールは、にやりと不適に歯を見せ笑うと、握っていたジョッキを掲げ一息に煽る。
その賢者と言う名からは到底想像し得ない姿に、何故かヤクルもエスカも驚いた様子も無く酒を口に運ぶ。
歳は三人ともまだ二十を越えたかどうかといった程。その功績から勇者や何だともて囃されてはいるが、世間的に見ればその二つ名とは到底不釣り合いな年齢だ。
その若過ぎる勇者一行は、夜な夜なこうして酒場の一角に集まっては、日中のストレスを吐き出していた。
最初に酒場での密会を言い出したのはニール。もうこの密会を初めてふた月程も経つ。
「あ、明日朝から人と会う予定が入ってるんだった」
エスカは突如明日の予定を思い出しジョッキを置く。
以前、深酒をし過ぎて酒の匂いに気付かれそうになった事があった。
するとエスカのその言葉に、酒を飲んでいた他の二人もぴたりと動きを止め、そっとジョッキを置く。
「俺も幼学舎で〝勇者様との楽しいふれあいタイム〟だ」
「俺も門下生どもの昇格試験があったわ」
三人が三人明日の予定を思い出すや、深いため息をつき黙り込んでしまった。
魔族との戦いに勝利し街に戻った日から、三人の生活は一変した。
ただ剣術を囓った事がある程度の田舎者だったヤクルは勇者と称えられ、城の一角に住み日々幼学舎の子どもの世話や外交をして過ごし、ただの魔法使いだったニールは賢者と称えられ、神殿で日々多くの人に魔法を教えている。
そしてただの酒場の給仕だったエスカは何故か聖女として日々修道院にて平和の祈りを捧げている。
しばし黙り込んだままぼうっとしていた三人だが、誰からとも無く立ち上がると、軽く手を上げ挨拶をし、夜の闇へと消えて行った。
*
目が眩む程の陽光が差し込む修道院の片隅の階段で、エスカは聖水を抱えぼんやりと座り込んでいた。
朝の祈りを済ませ、街の人の悩みや相談を一通り聞き終え、しばしの休息の為自室に帰る所だ。
しかし、気付けば中庭を眺めながらぼんやりと人目の無い階段に座り込んでしまった。
中庭の池の中、瓶を持った女神像を目を細め見上げながら、特に意味の無い大きなため息をつくと、ふと、中庭に面した柱廊の端から何やら賑やかな声が響いてくる。
とっさに立ち上がり身なりを整えると、女神像の向こう側から見慣れた金糸の髪が向かってくるのが見えた。
三人の修道女が忙しなく口を開きながら金髪――ニールの周りを取り囲み、小走りでこちらに向かってくる。
神殿から直接来たのか、正装である手足をすっぽりと隠す程丈の長い白のローブを纏い、フードを被り周りの修道女の言葉ににこにこと笑みを返している様は、エスカからすれば何度見ても違和感しか無い。
フードから裾の先まで真っ直ぐ引かれた金のラインが、ニールが動く度に陽光を反射し目が眩みそうになる。
「あぁ、これは聖女様」
エスカを発見したニールは、相変わらず笑みを崩さないままフードを外すと、恭しく一礼する。
エスカもそれに習い、右足を一歩引き膝を折りゆっくりと優雅に頭を垂れる。
エスカが顔を上げれば、ニールは纏わり付く修道女達に礼をし、下がるようにやんわりと伝える。すると修道女達は名残惜しそうにしながらも、ゆっくりと時間をかけ修道院の奥へと下がっていった。
完全に足音が聞こえなくなったのを確認すると、途端にニールは先程までの優雅な笑みを消し去り、心底うんざりそうにため息をつく。
「修道女ってもっと貞淑なもんだと思ってたんだけど、来る度にアレだからな。下心が見え見えなんだよ」
「賢者様に見初められれば人生勝ち組だからね。側仕えとしても伴侶としても。……で、わざわざこんな所にまで来てどうしたの?」
修道院の奥は女しか入れない。わざわざ神殿から来て、そのぎりぎりの中庭までやって来たのは一体どう言った事か。
聖水の入った水瓶を抱え直しながらエスカが問えば、ニールはばさりとフードを外し頭をかきむしる。
この癖は昔かららしく、極限に苛々している時にニールがする行動だと以前ヤクルが言っていた。
「もう嫌だ! こんな規則と聖水に塗れた生活なんかうんざりだ! もう無理街を抜ける!」
しゃがみ込み両手で頭を抱えてしまったニールを眺めながら、エスカはまたかとため息をつく。
「今度は何があったのよ。また神殿の爺様達が何か言って来たの?」
ニールはその見た目から神殿の古参連中にはあまり好ましく思われていない。
短く刈り揃えた金の髪に、両耳合わせて十個のピアス。幼い顔つきに細い眉、そして髭が生え無い体質と、まるでスラムに居そうなガラの悪い風貌と童顔から賢者として認めていない輩も多い。
本人も望んで賢者などと言う呼ばれ方をしている訳では無いが、その元々喧嘩っ早い気質からそう言った人間と相性が悪いのだ。
夜まで待てない程鬱憤が溜まっているのは珍しいと思いつつ、エスカは座り込むニールの背中を軽く叩いてやる。
すると、エスカの腕を引き立ち上がったニールは、そのままエスカを連れ人通りの少ない通路へと入っていく。
「どこに――」
「ヤクルも連れて街を出る! やってられるか英雄家業!」
思い切り悪態をつくニールは、そう吐き捨てるとすぐに術を展開し始める。
それが何かすぐに理解したエスカが、慌てて床に聖水の入った水瓶を置くと同時に、ニールは転移魔法を完成させ、水瓶だけを残しエスカ共々その場から消えてしまった。
転移先は城の中庭。
まだ魔族との戦いの傷跡が多く残り地がむき出しの場所が地方には多々あると言うのに、ここは平和の象徴と言っても良いほどの花が咲き乱れている。
そんな中庭の真ん中、真っ白なガゼボの脇を流れる小川の傍らで、小川を覗き込む姫と、それに付き添うヤクルの姿がニールとエスカの目に飛び込んで来た。
〝魔王を倒したら姫と結婚〟とはよくある話で、実際この度の魔王討伐もそう言う話だったと、三人は魔王を討伐してから知らされた。
そしてヤクルは約束通り褒美として姫を貰うと言う事になったのだが、本人に全くその気が無く、気付けばこの一年ただただデートとも何とも言えない中庭散歩だけが日課となっている。
再びフードを被り直したニールが、すっかり慣れた様子で顔に笑顔を貼り付けると、エスカを庭の端のフラワーアーチの蔭に隠し、ふらりとヤクルへと向かい歩き出す。
エスカは花の蔭からその様子を伺っていると、ニールに気付いた姫は顔を真っ赤にし一言二言会話をすると、そのままヤクルを残し小走りで城へと戻って行ってしまった。
噂では姫はヤクルの事を想っているらしく、恋い焦がれた顔を見られるのが嫌だという。
ニールはその事を承知で堂々と二人だけの空間に突っ込んで行ったのだ。
「三人で街を出る? 誰にも何も言わず? ただ騒ぎになるだけだぞ?」
事の顛末を聞いたヤクルはフラワーアーチにもたれながら、不満そうに眉をつり上がらせるニールを仰ぎ見る。
「誰も俺達を知らないド田舎に行く。そもそもだ、そもそも俺達に今の状況は出過ぎたアレなんだよ」
聊か落ち着きをとり戻し始めているようだが、賢者とは思えないほどニールの言葉は要領を得ない。
陽光に輝く金糸の髪と真っ白なローブが目立つのか、庭を横切る侍女達がちらちらとこちらを気にしているのが分かる。
一先ず落ち着かせようとヤクルがニールのローブの裾を引くと、ニールは意外にも大人しくその場に座り込んだ。
「まぁね。元々は魔物退治で酒代のツケを回収しようって魂胆だったしね」
フラワーアーチに沈むように体を預けたエスカは、どうにも呆れたように言い放つと、そのままぐいっと伸びをする。
三人は魔物を倒して世界を救おうなどと言った正義感もなく、はたまた名声も姫との婚姻も興味が無かった。
元々はエスカが言ったように、ヤクルとニールが散々ツケで飲みまくった酒代を払う為に、その辺にはびこる魔物を退治し日銭を稼いだのがきっかけだ。
そしてエスカはヤクルとニールが酒代を踏み倒し逃げないようにと、当時働いていた酒場から二人に同行するよう言われついて行っただけだった。
「魔物の大群が居るって噂を聞いて金づるだって行ってみれば、ヤクルが魔王ぶん殴っちまうんだもんな……」
「あれはホラ、ずーーーーーーーっと遠距離攻撃してくるやつが居たら誰だってイラッとするだろ? 実際ニールもキレてたし」
先程までの苛立ちが嘘のように、ニールは当時の事を思い出し肩を揺らし笑いながら笑う。
いつの間にか話しの話題が自分に切り替わったヤクルは、どうにもバツが悪そうにため息をつくと、エスカの隣に同じ様に体を投げ出した。
「あれはかなりムカついたな。でも今や世界に轟く英雄譚の真相が〝いい加減にして下さい!〟って一発顔面を殴っただけってどうなんだよ。そんで殴られて号泣する魔王もなんなんだ」
「あっははは! あの〝いい加減にして下さいパンチ〟は爆笑だった!」
あの戦場で何故かヤクルとニールばかりに遠距離攻撃をしていた魔王だったが、完全に頭にきたヤクルが剣を投げ捨て素手で魔王の顔面を殴った結果、魔王は号泣し世界は人間の領土と魔族の領土に別れ現在のような状況になった。
その真相を知っているのは勿論この三人と魔王のみだが、全員が全員あまりにも情け無い事実に、真実を語れずにいた。
一年前の光景を思い出し、修道服の裾が乱れる事も気にせずエスカは花の上を腹を抱え笑転げる。
この、とても聖女とは思えない姿こそが、エスカの本当の姿だ。
「俺のせいじゃないだろ!? ニールが無尽蔵に酒飲むからこんな事に……っ! 魔法以外は味噌っかすのチンピラの癖に」
「はいはーい、味噌っかす自覚はありまーす。で、行くのか行かないのか、どうするんですかー?」
あまりにもニールとエスカが人の目も気にせず笑い転げるせいで、侍女が驚きの表情で通り過ぎていく。
慌ててヤクルが二人の体をフラワーアーチと側の垣根に押し付けると、さっきまでのにやけた顔から悪戯っ子の顔になり、真っ直ぐにヤクルを見詰めていた。
ニールと幼馴染であるヤクルは、ニールがこういう顔をした時は何を言っても無駄だといやと言う程その身に刻んでいる。そのうちの一つが魔王討伐に繋がった程だ。
ニールとエスカから手を放し、小道を挟んだ反対側の垣根に沈みながら、ヤクルはどうしたものかと城を見上げる。
長い戦いが終わり、それまで自粛や質素な生活を強いられていた貴族達は大いに歓喜し、今は野鳥のように己の華美さを誇示するかの如く着飾り夜会を開く。
今も、着飾った貴族令嬢達が一般解放されている城の正面にある庭にて、お茶会と称して自身の縁談話や街での流行物、社交界の噂などに花を咲かせている。
それも魔王を一発殴る事が出来たから見れる光景。
ヤクルはそんな光景をしばし思い浮かべると、再び正面の垣根に沈むニールに視線を戻す。
「ここまで高待遇を受けておいて何も言わずに居なくなるのはまずいだろ。少し考えさせてくれ」
「言ったら言ったで面倒なのが目に見える。他国に流失されちゃ困るって逃がしてくれないと思うけどな。一ヶ月くらい遊んで、戻って来てからの事後報告で良いんじゃないか? まぁ、別に急ぎでも無いし、二・三日位待つけどよ」
「好待遇って言うか、飼い殺しって感じよねぇ。実際、手に余ってますってのが見え見えと言うかね」
ヤクルがそう答えると予想していたのか、思っていたよりも冷静な返答が返ってきた。
そのままニールはあっさりと引き下がるや、来た時と同じ様にエスカの腕を引き転位魔法で帰って行った。
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