78人が本棚に入れています
本棚に追加
官吏になりたいと金を渡したら、あっさりと養子にしてくれた」
そして男の身なりを整え、王都で小さな家を借り、さらには別の街で年かさの娼婦をこれも金で雇って、男の妻としたのだという。
二人の設定は、田舎暮らしで小さな館と耕作地をもっていたが、それを売り払って息子の士官のために王都へと出てきた夫婦と。たしかによく聞く話であるが、そこまで綿密に自分の身元が割れないようにしたのかと、ヴァンダリスは内心で舌を巻く。
だが。
「私が王都の官吏の試験に合格したその夜に、祝い酒だとふるまった毒入りのワインを、二人は美味しそうに飲んでいたよ。翌日には冷たい死体が二つ、食卓のテーブルの下に転がっていたけどね」
夫婦の死はワインの中毒死で片付けられたという。
金でやとった騎士崩れに元娼婦だ。たしかに生かしておけば、うっかりカインストの身元を話さないとは限らない。だからとはいえ……。
「殺すなんて、金を持たせて王都から立ち去らせればよかっただろう?」
「どうして人間に私がそんな温情をかけなければならないんだ?不必要になった道具を片付けるのは当たり前のことだろう?」
始末するとはいわずに、片付けるときた。本当にこの男は人間の命をなんとも……いや、それだけすべてを憎んでいるということか。
そんな思いを胸に秘めながら、王宮の優秀な官吏として、若くして書記官長までのぼりつめた。勇者の良き理解者のふりをして、友人にまでなったのだ。
「私の予想外だったのは、お前がアスタローク様を倒したことだよ」
ぞっとするほどの憎しみの目で見られて、さすがのヴァンダリスもたじろぐ。国王殺害の疑いをかけられた夜。あそこまで自分を追い詰めたのは、だからか?と思う。
しかし、それもアスタロークがヴァンダリスをかばうように一歩前に出ることで、カインストは軽く目を見開き、そして唇には苦い笑みが浮かぶ。
「それでもアスタローク様、あなたが生きてらしてよかった。そこにいる偽物の勇者などに倒されるわけなどないとわかっていました」
偽物?とその言葉にヴァンダリスは怪訝な顔となる。処刑された自分が親友である勇者の身体に入っているということは、アスタローク以外知らないことだ。
ではどういう意味で、奴は自分を偽物と言うのだ?
それを問いかける前にカーク王が口を開いた。
「お前が魔族で、人間を深く憎んでいることはよくわかった。それでお前の目的はなんなのだ?」
「もちろん、人間達の滅びを。そのために魔王と勇者の戦いを長引かせて、勇者などには頼れぬと人間達に兵を起こさせ、千年前の戦いを再び再現するつもりだった。
計算違いは偽勇者が魔王をたおしてしまったことだが、それで思わぬ方向にころがって、こうやって人間の王達の愚かな首が揃ったのだから、まあいい」
また偽勇者か?とヴァンダリスは思う。そして、カインストは、アスタローク達、魔界の諸侯を見る。
「人界との和平など不毛なことはお考え直しください。長く生きて百年足らずの寿命の生き物など、すぐにこちらの約束など忘れる。そのうえに、やつらは強欲で自分勝手な生き物だ。
百年続くかどうかの和平など結ぶより、人間どもなど滅ぼしてしまえばいい」
くくく……と不気味に笑うカインストに「私も人間など愚かだと思っているが」とは女将軍ウァプラだ。
「だが人間共の数は多く、奴らはたたいてもたたいても出てくるのは、千年前の戦いであきらかだ。部下達の血を、そんな消耗戦に流させるなど愚の骨頂だ」
「わたくしも血が無駄に流れるなど悲しいですわ。癒し手として、いくらでもみなさまの傷は治しましょう。でも、癒しても癒しても、また誰かが傷ついて戻ってくるなんて、そんなのは嫌だわ」
薬草園の心優しい薬長であるロノウェが悲しげな顔をする。
「たかが人間と君は思っているようだけどね。大型の魔獣一頭倒すだけの手間が、人間の兵士十人を廃すのにかかると僕は、今、試算した。
人の数に対して、魔族はどれほどいると思っている?これも試算したけれど、戦いに投入できる魔族の数からして到底足りないし、こちらはこちらの営みがあるんだ。不毛な殲滅戦にすべてを注ぎこむようなことは出来ない」
「君の作戦は机上の空論だ」とぐるぐる眼鏡の機工師ハーゲンティが辛辣な口調で論破する。
「たかだか百年とお前は言ったな?たしかに魔族にとっては百年は短い」
口を開いたのはアスタロークだ。
「だが、千年間。我々はなにをしていた?女神の裁定どおり、魔王を出し続け勇者と戦っていた、それだけだ。なにも考えることなく、世界を変えようとしなかったのは、我らとて人間と同じだ。
だからこそ、今からは百年ごとに……いや、常に考えなければならないのだ。どうすれば魔界と人界の均衡をたもち、二つの世界に争いがないように出来るかな。私達はそれを怠ってきたのだから。
だから、たかだか百年ではない。次の百年の平安を得る為に、我らは進み続けなければならないのだ」
これには周りの魔界の諸侯達だけではない。円卓にいた人間の王達も感銘を受けた顔をしていた。カーク王が「魔王に言われるとは」とつぶやき、リズ女王も「やられましたわね」と広げた扇で口許を隠して苦笑している。
ベローニャが「若造が生意気な口を聞きおって」とどこか嬉しそうな顔をすれば、ドワーフのザガンが「そろそろ、ワシらも隠居する頃合いかの」なんて言っているが、「ワシはまだまだ、ひよっこどもに譲る気はないぞ」とベローニャが返している。
そしてカインストもまたしばし呆然とし、次にくしゃりと悲しげに顔をゆがめたあとに、なぜか狂ったように笑い出した。
「なにがおかしい?」とアスタロークが聞けば。
「人間達を滅ぼすなど不可能?なにをおっしゃられる。あなた達はすでにもう、その武器をお持ちのはずだ。
私が魔界を出るときに置き土産として、あの強欲なマルコシアスに残した。そう、魔獣軍の群が」
あの商業都市の大君(タイクーン)をそそのかした、灰色のローブの謎の魔道士というのは、彼だったのかと、それでヴァンダリスと他の諸侯は理解する。
それも彼が魔界に去る前の、置き石の策として。たしかに他の諸侯ならば手を出さない禁忌も、それが人界を征服し、富が手に入るとなれば、あの強欲なマルコシアスならばやるだろう。実際、彼は多額の金をかけて地下に施設を作ったのだから。
しかし、初めにその魔獣の軍団の矛先が向かったのは……。
最初のコメントを投稿しよう!