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最終話 「愛してる」の言葉は内緒話をするように秘めやかに
「結局、ここに戻るのかよ」
自由都市の壁の外にある。いかがわしい娼館に博打場に酒場、それに連れ込み宿。
王都にあるあれとは違うが、似たような“貴賓室”の内装のケバケバしさに、ヴァンダリスは遠い目となった。
あれから街中で衛兵と追いかけっこして、閉じられようとする城門を魔法で吹っ飛ばして、ついでに衛兵の乗る馬を失敬して、外へと二人で逃げ出した。
郊外の森でこれまた散々追いかけっこしたあげく、夜となってようやく追っ手をまけた。そして、都市の壁の外へと出来た一角に戻り、またこれかよと思いながら、今度はヴァンダリスがアスタロークの手を引いて宿にはいった。最初のときは気を失って、魔王の肩に担がれていたんだっけ、確か。
お互い魔法倉庫(マギ・インベントリ)から出したフードをすっぽり被った怪しい、しかも背格好からして男二人連れに、宿屋のおかみはお決まりのごとく「満室だよ」と言ったが、アスタロークが投げた金貨と「一番良い部屋を頼む」のひと言でくるりと手の平返しをした。
「アンタ、怒ってないか?」
「いいや」
アスタロークの魔法倉庫から出したワインを、これも倉庫から出したゴブレットに注ぐ。
部屋に置かれた小卓を挟んで、二人、これまた趣味のよろしくないケバケバしい猫足の椅子に腰掛けて。まあ椅子としての機能は果たしているからいいか。
カーク王にも手土産だとアスタロークが酒を渡していたが、月明かりの隠れ里は銘酒の産地でもあるのだ。葡萄酒と蒸留したさらに強い火酒は魔界のみならず、人界の王侯にも珍重されているとか。
たしかに隠れ里で呑んだ葡萄酒は、ヴァンダリスが今まで口にした安酒なんぞ、足下に及ばないほどうまかった。もはや、なじみの味となったそれを一口飲んで訊く。
「どう見たって怒っているだろう?」
あんまり表情が動かないアスタロークであるが、これの機嫌が分かるようになってきた。いや、そう長くもない付き合いのはずなんだが。
上目づかいにさぐるように見てやれば、白く美しい眉間にしわ寄る。そのしわさえ絶妙な形なんて、どういう詐欺だよ?と思う。
「あのときのお前の選択は間違っていなかった」
「うん」
街の衛兵に追われて森を逃げながら、ヴァンダリスは光の中に消えてからのこと。そこで起こった女神の奇跡というべきなのか。アスタロークに語った。
まったくややこしい話だ。カインストの奸計(かんけい)により、勇者とそうではない少年の魂が入れ替わり、二人同時に死んで、ヴァンダリスの魂は元の身体に戻って生き返った。
さらに今度は女神の祝福によって、時の流れはすっかり修正されて、ヴァンダリスはヴァンダリスのまま勇者として、魔王を倒したことになっている。
「そうだ、お前は間違ってなどいない。あの選択は褒められるほど立派なものだった。しかも、迷いもなくお前はそれを選択した。
すべてを手放し、処刑台に再び昇り死ぬ道をな」
アスタロークのよく動く形の良い口を、ヴァンダリスは目を見開いて眺めていた。いや、諸侯や人間の王侯を前にして、彼が堂々と意見を述べるのを見たことはある。これ以上長く話すこともだ。
しかし、これほど激情をあらわにした姿なんて見たことない。口調はたんたんと静かだ。だけどその紫の瞳は燃え立つようであり、くっきり浮いた眉間のしわにも、苦悩が見えた。
「お前は、まったく、まったく正しかった。その正しさだからこそ、私はお前が女神になにを願うのか、わかっていながら止められなかったのだ。本当は……」
「わあっ!」
アスタロークが立ち上がり、いきなりヴァンダリスを抱きしめるどころか、抱きあげた。そのまま唇を重ねられる。
「んぅ…うっ……な、なんだよ!」
首を振ってキスから逃れ、今は自分より少し低い位置にある男の顔を見下ろす。
「行くなとすがりつきたかったのだ。こんな風にみっともなく、お前を……たとえ女神からだろうと、さらってしまいたかった」
「…………」
あのあと、光の中にヴァンダリスが消えたのに、アスタロークが呆然としたのは一瞬だったそうだ。これも森できいた。
次に気がついた瞬間には、目の前にヴァンダリスがいて、そこがどんな場所なんかも気にせずに、強く抱きしめたのだと。
アスタロークまであの処刑広場に運ぶなんて、女神様のどんなお気遣いかよ……だ。
いや、魔族で元魔王を人界の、しかも都市の広場のまっただなかに放り出すのはどうか?と思う。
「あんた、俺でいいわけ?」
「なにがだ?」
「だっから、こんなんだぞ。勇者なんだかコソ泥なんだか、わからない存在だ。いや、盗賊だったネヴィルって奴は消えちまったのか。俺は覚えているけど、俺以外は誰も……」
盗賊のうえに死刑囚だ。そう、こだわる人生ではないのだろう。はた目から見れば勇者になって万々歳じゃないか?というかもしれない。それでも、ヴァンダリスがネヴィルとして生きた時間は、短いようで短くはない。
義賊と祭り上げられて英雄気分になった末の、仲間の裏切りによっての転落。最後はその金をばらまいた民衆さえ、さっさとその盗賊を処刑しろ!と、はやし立てた。よく考えなくても、まったくみじめな。
それでも自分はたしかにあそこにいた。ネヴィルとして生きたのだ。
「私はお前を知っているぞ」
男の低い声にぱちぱちとヴァンダリスは瞬きをする。彼はじっと抱きあげた自分の顔を見つめている。
「私は魔王城で会ってからのお前しか知らない。だが、そのお前がよいと思っている。この腕の中にいるヴァンダリス・ネヴィルが」
「…………」
ヴァンダリスとネヴィル……自分の名と親友だと思いこんでいた男の名をくっつけて、この魔王に初めて名乗ったのだった。
ネヴィルの名の盗賊は、今はもう誰も知らない。ヴァンダリスとこの男以外は。
「うん、それでいい。あんたが忘れないなら」
自分だけが覚えているのではない。この男がいるならば、それで自分は立っていられると。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
「ん…ぁ……」
口付けを交わしあいながら、ベッドに倒れ込む。ヴァンダリスを組み敷いたアスタロークが耳元でささやく。
「最後と言っていたな?」
「また、その話を蒸し返すのか、しつこいぞ」
顔をしかめるが、アスタロークの紫の瞳が、じっとヴァンダリスの蒼天の瞳を見つめる。
「まったく、最後の最後にあんな言葉を残すなど」
そのつぶやきにぎくりとする。自分はたしかに最後、この男に……。
「私も当然、お前を愛してい……」
「わあぁあああつ!」とさけびながら、アスタロークの唇をぱふりと両手でふさいだ。ヴァンダリスは真っ赤になって。
「あれは本当に最後だと思っていたから、二度と言わないからな!」
あんな恥ずかしい……と一気にさけんで、ぜい……と肩で息をすれば、自分の口をふさいでいた片手をとって、アスタロークがその指先に口づける。
「それでかまわん。私にとっては一度でも、一生分の言葉だからな」
「…………」
なんという小っ恥ずかしい言葉を真顔で言うのだ。この男は。
魔族の寿命は千年以上なんて聞いているから、あのたった一言を一生分って、ずいぶん効率よくないか?
というか、ずるいぞ……。
そんな一生分なんて転げ回るように恥ずかしくて、そのクセに胸の奥がくすぐったいような言葉。
「まったく……」
ぐいと黒髪をひっぱって、そのとがった耳に小さく「……してる」と吹き込んでやった。そのとたん、かみつくみたいに口づけられる。
「ふぁ……うん……っ……」
もう二度と言わないなんて言ったけれど、これからもこうして内緒話をするようならば……と思う。毎日なんて照れくさくてやっぱり無理だけど、時々こうして思い出したように……。
「あ……」
シャツの前をはだけられて、肌をすべりおりる大きな手。脇腹をなぞるようにされてのけぞれば、その差し出すようになった胸の先に吸い付かれた。痛くないギリギリで歯を立てられて、背筋を走る戦慄に口から自分のものとも思えない嬌声がもれる。
「ん……い…ぃ……」
引き締まった腹筋を舌先でちろちろと舐められて、下肢の布はすでに下着ごと取りさらわれていた。胸への刺激に緩くたちあがった、自身を口に含まれる。
「っ……んんっ!」
のけぞりシーツをつかむ。あの美しい口が自分のを……なんて想像するだけでぞくぞくする。唇でしごかれて、ときどきたわむれに焦らすみたいに太ももの内側に口づけられて、腹がたって、両手を伸ばしてぐっと男の頭を押さえつけて、その太ももではこみこんでやったら、くく……なんて笑う声が聞こえた。
くわえながら笑って歯を立てないなんて、まったく器用だと、とりともめもないことを考えたが、それも快楽の渦にのみ込まれて散り散りとなる。
はじけると思った瞬間、指で根元を戒められて「やあっ!」と甘えるような声が出た。生理的に浮かんだ涙で、キッと男をにらみつければ。
「いれる前に達すれば、お前がつらいだろう?締め付けがきつくなる」
「……だったら…はやく…し……ろっ!」
ずるりとはいりこんでいた指を三本、後ろから抜き取られて息をのむ。この刺激もあったから、早くのぼりつめてしまうのだ。まったく。
指と入れ替わるようにアスタロークの熱い欲望が押し当てられて、一気に貫かれる。一つ抜き差しされて、トンと奥を突かれるそれに逆らわずに、弓なりにのけぞり声をあげて達する。
自分できゅうっとなかの男をしめるのがわかった。アスタロークが眉間にしわを寄せて耐えている。ざまあみろだ。
だけど、そんな余裕は、片足を肩にかつぎあげるようにされて、さらに深くつらぬかれ、揺さぶられて消えた。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
「ハンスのあれも女神様の祝福だったんだろうなあ」
ことが終わったあと、男の胸に寄りかかるようにして、うとうとしながらヴァンダリスはつぶやく。アスタロークはそんな彼の金の髪を長い指でかきまぜながら。
「子供でカインストにそそのかされたとはいえ、お前の勇者の姿と地位を奪った者がか?」
アスタロークの言い方が、まあ辛辣になるのはわかる。ヴァンダリスだってよく考えれば、自分の人生を台無しにされたと激怒してよいだろう。
だけど怒る気になれないのは。
「入れ替わった瞬間に俺はネヴィルって人間になったと思いこんだし、あいつは勇者になったと思いこんだ」
それもまた石の呪いだったのだろう。
「だけど、どこかに後ろめたさはあったのかもなあ。あいつはまさしく清く正しい勇者様みたいな努力と生き方をしていたよ」
それはヴァンダリスの記憶のなかにある。自分は勇者だからと歯を食いしばり、必死に正義を成そうとした。まるで修道僧みたいに禁欲的な青年だった。
そりゃ、今のヴァンダリスの口調とふてぶてしい態度に人界の王侯達が驚くはずだわと、今さら笑いがこみあげてくる。彼らの記憶の中にあるのは、これぞまさしく理想の勇者だったのだから。
「勇者としてあいつは、魔王の城にたどりついて、あんたと戦ったんだ」
「ああ、今までの勇者のなかで一番長く私と戦ったな」
「それもあって、あんたが背中を向けたすきを付けたと思うぞ」
後ろからぐっさりなんて、ホント勇者らしくないだまし討ちだわ……と思う。
「ウァプラの前に、私と一度手合わせするか?」
そういえば、あの女将軍には再三、勝負しろといわれているんだった……と思い出す。
「魔王城での本気の死闘は願いさげだけどな」
「もう、私は魔王ではなく、お前も勇者の役目ははたしただろう?」
「それに愛しいお前に、私が本気で剣を向けられると思うか?」そう言われて、頬をなぞる指にかみついてやる。「まだするか?」なんて、腰をなぞられて「もういい、寝る」と自分達のこしのあたりにひっかかっていた敷布を肩まで引き上がる。男の腕に移動して、それを枕に目を閉じて。
「だからさ、勇者としてがんばったハンスへの、女神様のご褒美だと思うんだ。
ハンスとしての人生がさ。平凡でそんなに大事件なんて起こらないだろうけれど、いつかは家族を持って、そこそこ、よかった……と言えるような……」
それが盗賊ネヴィルとして金をばらまいていたときに、そうであればよいと理想とした人々の姿だった。勇者としても、そう願う。
そして、自分は……。
「なんで、俺はあんたの腕のなかにいるんだろうな」
勇者が魔王と裸でベッドの中でぬくぬくしてるって、どんな冗談話だ?
「この腕から出ていくなどというならば……その足に鎖をつけて……」
「今さら魔王らしいこというなよ。俺はここにいる。あんた、あったかいから……」
「いいや……」という言葉は寝息混じりとなった。
「お前がここにいるなら、私もそれでいい」とそんなアスタロークの低い声を聞いたような気がする。
翌朝、やっぱり都市の衛兵に宿を囲まれて、派手な逃走劇を繰り広げることになった、勇者と魔王だった。
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