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番外編 昔、愛されなかった、今は大きな子供達へ
すべてが終わり、人界と魔界の和平はなった。
とはいえ、なにも知らない人界の民にいきなり、魔界と和平を結びましたでは混乱が生じる。しばらく、この事実は人界の王侯貴族に自由都市の市長にその幹部あたりまでに知らせ、あとは内密にということになった。
たしかに教会の教えで散々、世の中のすべての悪と災いは魔王と魔族にあり、それを唯一倒せるのが勇者と、市井の民は子供の頃から教えられて育ってきたのだ。
それがいきなり魔界と仲良くすることにしました。その切っ掛けは、勇者と魔王が“仲良く”なったことです。では、世の中衝撃が大きすぎるだろう。
だいたい、勇者と魔王がどのように“仲が良い”のか、親は子供に説明するの困るだろうし。
────いや、そこまで開けっぴろげにするつもりはないけど。
魔王というか、元魔王アスタロークと、勇者であるヴァンダリスが恋人同士だということは、魔界の諸侯は知ってはいるが、人間の王侯にははっきりとは話していない。西の大国カーク王と、北の氷女王リズあたりは気付いてそうだが、そこらへん二人は王で大人だ。なにも訊かないでいてくれる。
「気に入らぬか?」
ぼんやり考えていると、横から子供の声がした。栗色の髪に栗色の瞳の少女がこちらをじっと見ている。
こちらは金髪碧眼の外見だけなら、絵に描いたような勇者の青年。ヴァンダリスはその蒼天の瞳を二度三度と瞬かせて答える。
「……いや、なんでもない」
“外見だけでも”少女な、目の前の相手には今の考えは少し話にくい。“元”魔王とのあれこれなど。
「ワシは茶菓子が美味くないのか?と訊いておるのだ」
「あ、いや、うまい。魔法塔(ここ)の菓子にはハズレがないからな」
「あたりまえじゃ」と胸をはる少女、もとい、魔界の諸侯の一人にして、魔法塔塔主である大魔法使いベローニャだ。姿はかわいらしい少女でも、中身は実は千歳近くのばばあ……というのは口が裂けてもいえない。言えばすかさず、そのネコの手の形を模した杖から、火の弾が飛んでくる。
人界と魔界が和平を成したといっても、いまだ秘密のことであるし、すぐに人々の往来など簡単にできるはずもない。とくに人界から魔界へはだ。
そんなわけで、自然、魔界と人界を気楽に行き来でる唯一の人間として、勇者であるヴァンダリスが使者みたいなことをしているのだ。
今日は魔法塔をおとずれて、人界の王侯達の親書を手渡して去ろうとしたら「用が済んだらさっさと帰ろうとするなど、礼儀知らずなことをするな。ちょっと茶に付き合え」とベローニャに言われた。
ベローニャが外見だけは子供のなりのせいなのか?この魔法塔の名物は菓子というか、甘味なのだった。
本日出てきたのは、色とりどりのマカロンに、さかなの形をしたサブレだ。マカロンなんて菓子、この魔法塔で初めて食べた、ヴァンダリスだが一口で気に入った。色ごとにいろんな味があるのがいい。さかなのサブレもバターの風味が利いていて、さくさくの食感でこれもうまい。
「ふむ、どの人界の国も魔法塔の魔術を知りたいと言ってきておる」
「おいおい、秘密の親書を俺の前でどうどうと読むのはどうかと思うぞ」
マカロンをむしゃむしゃやりながら、オレンジの絞りたてのジュースをわらのストローで飲んで、いくつもの人界の国王やら都市の市長やらの親書に目を通す、ベローニャに言えば。
「わざと見せておるんじゃ。人間共に魔界の魔法を教えるのはどう思う?」
「ほどほどだろうな。すべてを教えりゃ扱えないのに暴走する奴もいるだろうし、教えなきゃ教えないで、今度は疑心暗鬼になる者もいる」
「そういう外交の駆け引きはそっちにまかせた」とヴァンダリスが立ち上がれば「土産をもっていけ」と言われた。
そして渡された「お主の魔法倉庫(マギ・インベントリ)にはこれぐらい余裕じゃろ」と大きな包みに目を丸くした。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
「……それで多量のマカロンをベローニャ殿から頂いたと?」
「さかなのサブレもだよ」
月明かりの隠れ里。その領主の館の執務室にて。
大きな執務机に腰掛けるのは、黒髪、紫の瞳の長身、顔完璧過ぎる、元魔王の美丈夫アスタロークだ。
その執務机の前の休息のための寝椅子に身を横たえて、執務室の書棚から目についた本をひっぱりだしてぺらぺらめくりながら、ヴァンダリスは答えた。
「こんなの館と里の女子供に分けたって、あまるだろう?」
傍らの小卓に置かれたお茶がはいったカップを持ち上げて、こくりと呑む。
「そのクセ、あの大魔法使いときたら、安易に里の者に配るなときたもんだ。あげてもいいが、自分でも食べてよく考えろって、どんな魔術の難しい問答だよ」
「俺は実戦向きだっていうのに」とぶつぶついいながら、自分の魔術倉庫(マギ・インベントリ)からマカロンを一つ取り出して食べる。茶色のそれはヴァンダリスの好きな、焦がしキャラメルだ。ちょっと苦みがあるのがいい。
魔法倉庫は魔術で作り出した異空間で、これを作れるのはかなりの高位の魔術を扱えるものだ。容量はその魔力量と質に準じて、勇者であるヴァンダリスのものは冒険の一切合切が入るほど広く、時も止まっているから、多量の菓子も別に腐ることはないが、この量である。
「人にやるのはいいが、お前に食べさせたいのだろう?」
「まあたしかに前回は里に戻ってすぐに、袋ごとアナベルに押しつけちまったもんなあ」
アナベルとはヴァンダリス付きの若いメイドだ。その里の者らしく、父が魔族で母が人間。ルビーを溶かしたみたいな髪と瞳の色を持つ。
「もらった」と渡したら、館の者達と里の者達に行き渡るように分配してくれた。里の女子供達は喜んでいて、散歩なんかで礼を言われたときは「押しつけられた、もらいもんだから」と正直に答えた。それをあの小さな婆さん……もとい、ベローニャは耳にしたのか?まったくどこに魔法使いの使い魔達がいるやら……と思う。
かあ……と鳴いた、あのカラスか?と思い当たる節もある。
「すぐに誰かにくれるのではなく、まずお前に食べて欲しいのだろう」
「なあ、なんで魔界の諸侯達は、俺に食わせたがるんだ?」
魔法塔の名物は菓子であるが、それだけでなく他の諸侯も、それぞれ治める領地の名物の甘いものを勧めてくるのだ。用だけすませずに、少し茶に付き合えというのも、これだけ重なると謎に思えてくる。というか、ベローニャだけでなく、土産を押しつけてくる奴もいるし。
「私だってお前に食べさせたいからな」
また一つ、魔法倉庫から今度はさかなのサブレを出そうとおもったら、いつのまにやら目の前にきていたアスタロークに口づけられた。
「ん……」
そして、口移しにボンボンを舌で押し込まれる。二人の舌のあいだでさらりととける砂糖菓子。なかからとろりと甘いリキュールがこぼれる。これは子供の菓子ではなく、大人の味だ。
月明かりの隠れ里は人界との交易で栄えているが、もう一つの名産は酒だ。極上の葡萄酒とそれからつくられる蒸留酒は魔界だけでなく、人界の王侯のあいだでも、最高級品として珍重されている。
当然菓子も子共用だけでなく、こんな風にその酒をたっぷり使った菓子もある。ボンボンだけじゃなくて、香り高い蒸留酒をたっぷり染みこませた日持ちするケーキも、ヴァンダリスの好物だ。
まあ、うまい菓子ならだいたい好物だったするのだけど。
その原因は。
「皆の前でお前は話しただろう?子供のころは菓子を食べる機会など滅多になかったと」
「ああ……」
唇を離され、甘いキスに陶然としていた頬を長い指でそっとなぞるようにされて、ヴァンダリスは思いあたりうなずく。
魔法塔で開かれた諸侯の円卓会議の場にて、ヴァンダリスがなんの気なしに口にした。自分の育った孤児院ではみんなに配るパンだって奪い合いで、菓子など口にしたことなどなかった……と。
それに魔界の諸侯達はひどく驚き、いきどおってさえいた。人があふれる人界と比べて、その千年という長い寿命のせいもあるのだろう。魔族の数は少なく、子供もまた親を亡くしたならば領主の手厚い保護で、成人まで育てられると。
おやつの菓子を与えないなど信じられないという顔する諸侯達に、ヴァンダリスは人界の孤児院なんてそんなもんだと話したのだった。
しかし、魔界の諸侯にとって子供を大事にしない社会というのは、大変に衝撃だったらしい。ヴァンダリスがそんな子供時代を送ったということもだ。
「それで、今さら菓子か?」
「だけでなく、甘やかしてやりたいのだろう」
「あんたも?」
「ああ、私は別の意味でな」
シャツ越しに背中なぞりあげる男の大きな手に「ほうっ……」と息をついて「下心ありあり過ぎ」とその長い黒髪をひとふさ盛んで、くいと軽くひっぱる。
「あ……」
と言ったのは、のど元に吸い付かれたのと、それを思いついたのだからだ。
“あそこ”を飛び出してから一度も戻ってはいない。
戻りたくもない場所だと思っていたけれど。
「アスタローク。俺、明日、人界に行くわ」
「王侯の呼び出しはなかったんじゃないのか?」とアスタロークの声は少し不機嫌そうだ。このところ、昼間どころか夜遅くにヴァンダリスが帰ってくる……なんて日も続いていた。明日久々になにもないから、二人でゆっくりしようと話しあっていたが。
「あんたも一緒に来る?」
「どこへだ?」
「俺の育った孤児院」
そう言えば、アスタロークは紫の目を見開いて「もちろん、見たいに決まっているだろう」と答えた。
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