番外編 昔、愛されなかった、今は大きな子供達へ

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   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇  しかし、魔王を昼の光あふれる孤児院に連れてきて、ちょっぴり後悔した。  いくらアスタロークの母親が人間で、彼が耳の先の尖った魔族から、丸い耳の人間に化けられるとしてもだ。  この美形、目立ちすぎる。 「ああ、彼は俺の冒険を手伝ってくれた、凄腕の魔道士でして」 「は、はあ……勇者様の手助けをなさるならば、大変な方なのですね」  ヴァンダリスの苦しい説明を、今、孤児院を預かっているというシスターがうなずく。若いというほどではないが、年寄りとはいえない。丸い童顔が善良そうで年齢不詳ではある。  彼女がぽかんと見上げていたのは、黒衣の魔道士?だけではない。噂には聞いていた金髪碧眼の勇者様にもだ。  この日のヴァンダリスもまた、アナベル以下のメイド達によってぴらっぴらに飾りたてられていた。孤児院に行くんだから控えめでいいといったら「故郷ににしきを飾るのですから!」といつものように押しきられた。どうも、ああいうときの女どもの勢いには弱い。きほん、女子供に甘い自覚は本人にはない。  そんなわけで、レースとフリルたっぷりの白いシャツに、白地に金糸の刺繍の上着をまとったヴァンダリスは、いいところの貴族の青年にも見えた。それが隣に立つ黒衣のアスタロークとまるで一枚の絵のようで、シスターの後ろの孤児達も、この迫力ある美形二人を遠巻きに見ている。 「こんなにたくさんお菓子を頂いたの。勇者様にお礼をいいなさい」  と子供達にうながすシスターに「いや、俺に礼なんかより、早く食べさせてやってください」とヴァンダリスは言った。大げさな礼なんかよりも、自分達に遠慮しながらも、キラキラした瞳で菓子を見ている子供達に早く食べさせてやりたい。  袋に入ったままじゃ、すぐに食べられないだろうから……と、朝、アナベルにたのんで適当な大皿にマカロンと、さかなのサブレを並べておいてくれとたのんで、それをそのまま、再び自分の魔法倉庫(マギ・インベントリ)に戻した。  本当は菓子を渡して、さっさと帰るのがいいのだろうが、皿に盛った菓子を子供達が手にとるのを眺めたのは、別に「勇者様ありがとう」のお礼をもらいたかったわけじゃない。  自分という“偉い人”がいれば、子供達は行儀よく、小さな子から先に菓子が行き渡るとわかっていたからだ。それと目の前で食べてもらうのも、裏で上級生にとられないため。  この孤児院で育ったヴァンダリスだから分かる事情だ。もちろん、弱い子から奪い取るばかりの子だけじゃない。ヴァンダリスのように自分がとったパンを分け与えている者も、いまでもいるのだろう。 だけど、ヴァンダリスだって自分の分のパンを確保して、他の子にわけていた。食わなければ次の争奪戦に力は出ない。こんな孤児院では、誰でも自分のことで精一杯で、弱い者から奪い取っても……生きるという彼らの状況だってわかるのだ。 「お前、食べないのか?」  一人、身体が小さな、だけど強い瞳でこちらをにらみつけて、他の子がお菓子をとって食べる中、ただ突っ立っている少年が気になった。声をかければ。 「なにが勇者だ。貴族になってえらそうぶって、うえから俺達、孤児をみくだしてのほどこしなんて、受けたくない!」  「ヨース!」と少年の名なのだろう、シスターが悲鳴をあげて慌てる。「勇者様になんてことを!」と彼女が少年に近づく前に「いいんですよ」とヴァンダリスは座っていた椅子から立ち上がって、大股に少年に近寄る。皿のマカロンとさかなのサブレを途中でとって。 「反発心はいいことだがな」  目の前にヴァンダリスが来たのに、少年はあきらかにこわばった顔をした。しゃがみ込んで目線をあわせて、その手をとり、マカロンとサブレをのせてやれば、少年の喉がごくりと鳴ったのがわかる。意地を張ったって、滅多に口に出ない菓子は欲しいのだ。 「食えるもんは、誰かにとられる前に今、食っておけ。くれるというなら、いけ好かない相手でも笑顔でお礼をいっておいて、その後ろ姿に舌を出しておけばいいんだよ」  「ほら」とうながせば、少年はマカロンほおばり、それを味わいもしないうちに、さかなのサブレもばりばりと砕いて、口をふくらませてもごもごしながら。 「お前、あんがい、いい奴だな」  「勇者だからな」とヴァンダリスは笑った。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇  あとでシスターは平謝りだったが、ヴァンダリスは「あの年頃なら、俺はもっとクソガキでしたよ」と言ったら目を丸くしていた。 「もっとも、俺がいた時代の、以前の孤児院で偉い人にあんな口を訊いたら、罰として一日反省室に閉じこめられて、そのあいだ飯抜きだったでしょうね」 「それは……」  シスターが顔をこわばらせる。今のシスターは以前のヴァンダリスが知る老シスターから、この孤児院を受け継いだのだから、当然、顔見知りだろう。  厳しいだけで子供達には愛情の欠片も見せなかった。口を開けば女神への感謝を忘れないことと、規則、規則だった。 「あの子を反省室に放り込まないでくれますか?」 「いいえ、しません。わたくしが引き継いでからは、あの部屋はもう使っていませんし、ご飯抜きも子供の発育に悪いですから」  童顔の顔をこわばらせて、キリリとした顔をした彼女に、良き人なのだろうな……と思う。その顔に若干の疲れがあるのは、やはり孤児院を切り盛りしていくのは大変なのだろう。  「あの……」と彼女はおずおずと言いだした。 「以前の院長はお歳をめされて、もといた修道院にもどってすぐに亡くなられたんです」 「そうですか」  それも知らなかった。盗賊としてのネヴィルは孤児院を飛び出したきりもどらなかった。勇者としては、次から次に舞い込んでくる魔物討伐に忙しくて、こちらも近所を通り掛かっても寄った記憶はない。  勇者の出身の修道院のシスター一人。亡くなったことを知らせる者もいなかった。 「私がここに手伝いにきて、彼女のあとを受け継ぐとなったとき、あのかたは『これは心をすり減らす修行だ。嫌なら断ってもいい』とおっしゃったんです」  その言葉にヴァンダリスは目を見開いた。 「それでもわたくしはこれが女神エアンナ様があたえてくださった使命だと感じ、引き受けることにしました。  そう返事をすれば、前の院長はこうおっしゃられました。  『ならば子供達を飢えて死なせることはないように』と」 「…………」  これだけは分かって欲しいという目で、新しい孤児院の院長であるシスターはヴァンダリスを見た。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇  子供なんてよく死ぬ。  赤ん坊の時はもちろんのこと、流行病や、ときには川で溺れての事故。  それでもあの孤児院で飢えて死んだ子供は、いなかった。  いつも腹は空いていて、菓子も与えられなかったが、上級生とのパンの奪い合いに参加できなくて、発育不全な子供に、シスターが栄養剤だというスープをやっていたことを覚えている。  誰もそれが特別だとうらやましがらなかったのは。 「……すごい不味いんだよ、それ。あなたは育ちが悪いからって、毎日そんなもの呑まされてみろ。自然、必死になって自分の分のパンは確保しようって気になるぜ」  孤児院を出て、魔界への転送陣がある森の中を歩きながら、ヴァンダリスはアスタロークに語った。  語らずにいられなかったのだ。  どうにも胸に苦い昔話を。 「赤ん坊でやってきたときにはもうどうしようもなくてとか、流行病でとか、いきなり熱だしてとか……死ぬ奴はいたけどな。  あの孤児院で飢えて死んだって奴は、たしかに俺が覚えている限り一人もなかった」  「ま、あの人も必死だったんだな」とヴァンダリスは締めくくった。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇ 「あの孤児院だが援助することにした。もちろん身元は隠してな」  アスタロークの館……今はヴァンダリスの家なのか?にもどって、夜、寝ようと腰掛けたベッドにて、言われたヴァンダリスはキョトンした。 「ありがとう」  しばらく考えてそう言った。礼を言うべきだろう。自分の出身の孤児院だ。勇者の神託を受けた子を出したとして、もらった一時金の寄付金なんて、もうとっくに使ってしまっただろう。あとは微々たる国と教会の援助でなんとかしなければならない。 「無理しない範囲でいいんだぞ」  と言ったのは、別にアスタロークの懐具合を気にしているわけじゃない。こいつは下手な人界の王侯なんて足下に及ばないほどの富をもっている。  だからやりすぎるなよ……という意味だ。あの孤児院がはたから見て目立つほどに恵まれれば、きっと他から助けてくれだの寄附だなんだと言ってくる輩はいる。「わかっている」とのアスタロークの返事にうなずく。  そこらへん人界に詳しい里の領主なのだから、言わなくても承知はしているだろうけれど。  あの孤児院だけじゃない、どこの国でも孤児院ははあるのだ。そのどこもがだいたいギリギリだ。それをいちいち援助してはきりはない。  アスタロークはあの孤児院とは縁もゆかりもないのだ。それをささやかに援助すると決めてくれたのは、そこがヴァンダリスの育った孤児院だからだ。 「毎日のパンが足りて腹を空かせることなく、たまの祝祭のときに菓子が出れば贅沢ってもんだ」  そうヴァンダリスは締めくくった。  それから。 「ちかくの街や村で祝祭があるとさ、家族連れが孤児院の前を通り過ぎるんだよ。親子で笑って、手を繋いで歩いて、親は子供を抱きしめて」
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