第2話 ガラじゃないといいながら、意外と有能

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 摂政の執務室は、勇者の執務室の反対側にある。同じ二階にあっても宮殿の端と端はかなりの距離だ。ヴァンダリスとしては、摂政の部屋のとなりにでも、机を置いてくれればと口にしたが、部屋の“格式”とやらでそうもいかないらしい。格式だの儀礼だの王侯貴族の生活は、ややこしくて無駄なものばかりだ。 「わざわざ、ご足労願い感謝する。勇者殿」 「いや、大公の用事とあればいつでも」  これも隣室ならば「来てくれ」「行きます」で足りるのだが、わざわざ秘書官よこして「こちらからうかがいますか?」「いや、こっちから行きますが、いまからいいですか?」と往復させるのだから、これも面倒くさい。  「それで?」とヴアンダリスは聞く。他の大臣達や貴族達のように、この人は回りくどい時候の挨拶だののあげく『勇者殿におかれてはご機嫌麗しく』など言いださないのがいい。  が。 「まだ、王になる気はないのかね?」 「あんたまで、そんなことを言いだすんですか?」  普通の相手ならばここで席を立つところである。が、目の前にだされた茶菓子にヴァンダリスは踏みとどまる。  粉を練って棒状にしてねじり、揚げて砂糖にスパイスをふりかけた単純な菓子だ。およそ王宮で出る菓子ではないが、庶民の菓子として親しまれている。  孤児院育ちのヴァンダリスは指をくわえて見ているだけだったが。  そんな訳で手を伸ばして食べていた。うん、魔界で出る菓子とちがって、単純な味であるがそれがいい。 「しかし、現状、勇者殿以上に相応しいものはいないと、私も思うのだけどね」 「…………」  他国から王位継承者を迎えようとすれば、その国の属国になりかねないのが、今のゴース王国の現状だ。先王の暗殺からの、唯一の直系であるリリラ王女がそれに関わっていたこと。さらに王女でありながら、複数の男との関係があった不行状。  現在王女は孤島の修道院に幽閉状態だ。  アルバルト大公爵が現在王国を取り仕切っているが、彼は老齢のうえに、子供がいない。  そこで最良?の選択として、どこの王国ともしがらみもなく、勇者という人界において唯一絶対の称号を持つヴァンダリスが、王となるのがいいのだろう。  これが人ごとなら、ヴァンダリスとて勇者が王になるのが一番だと、街の酒場で酔っ払って言い合っていただろう。庶民なんて言いたいこというものだ。  王様や貴族様なんて、雲の上の人のことなのだから。  しかし。 「俺は絶対、王なんてめんどくさいものになりたくありません」 「うむ、勇者殿の気持ちがそうならば、こちらとしても強引に玉座に座らせるわけにはいかないな。なにしろ、君は王の子でも王族でもない。この国の生まれではあるが、勇者に選ばれた平民であるのだからな」 「本音言えば、王家のことも、この国のことも知ったことじゃない。俺を巻き込まないで欲しい」  だからといって突き放せないのは、国が崩壊して真っ先に困るのは一番下の平民だからだ。それと、人界と変わらずごく普通に暮らしている魔界の魔族達のこともある。  ようやく結んだ人界と魔界との和平は、まだよちよち歩きの赤ん坊なのだ。ここで、今のところ唯一の橋渡し役である、自分がすべてを放り出すわけにもいかない。 「ずいぶんと派手にやられたな」  唐突な話題変換にヴァンダリスは軽く目を見開けば、目の前のまっ白な髪に眉の下の眼光もするどい鷲鼻の紳士は、とんとん己の首筋を指先でたたく。  それでヴァンダリスはあいかわらずレースぴらっぴらっの襟の上を片手で押さえて思い出す。確かに自分でも、アスタロークにきつく吸い付かれて、あとになるな……と思った場所だ。 「五日間も寝台から出してもらえなかったかね?」 「あんたがそういう冗談を言うとは思いませんでしたよ、大公閣下」  いや、ほんと意外だ。いつも厳しい表情を浮かべている、この大公殿がこの手の話題に触れるなど。  アスタロークとヴァンダリスの関係は、この王宮では半ば公然の秘密という奴だ。ヴァンダリスも隠していないが。 「私に子供が出来なかったのは、男が好きだったからだ」  そして唐突なる告白に、大きく目を見開いた。まじまじと白髪の厳しい風貌の老人の顔を見る。 「私の秘密を承知で迎えた妻とのあいだで、努力はしたがね。しかし、生涯清い関係のままだったよ」 「は、はあ……」  役に立たなかったってことか?と大変下世話で失礼なことを考えてしまった。 「生来生まれもった性癖は変えようもない。しかしね、私が見るに君は本来、女性が好きだろう?」 「ええ、まあ、はい」  まあ、たしかにかわいい娘を見れば、今だっていい子だな……とは思う。  思うがそれだけだ。そこでお付き合いしたいとか、抱きたいとか思わないのは……。 「つまりだね。私とは違い。君は女性と子を成すことは可能だということだ。それも正妻だろうと第二夫人だろうと、愛人だろうと何人でも」 「ちょっと待ってください」  ヴァンダリスはそこで手の平を老人に向けて、話を止めた。眉間にしわを寄せて。 「それ、俺がゴース王国の王になる前提で話してませんか?」 「もちろん。王族貴族の結婚など愛情など欠片もない政略結婚だ。勇者で王たる君の元には、それを承知で妻となりたい女性などいくらでも集まるだろうさ。  もちろん、君の魔界の恋人も認めてのうえだ」  「頭と下半身は別物であり、結婚と愛情もまた別物というのが、王侯貴族の社会だよ、君」と、あまりにもあっけらかんと、開き直って言われると怒りも沸いてこない。  この老人が私心などなく、ただゴース王国の国益だけを考えて、ヴァンダリスに語っているというのもある。国の宰相として名をあげた人だ。男が好きだなんだは放り投げておいて、執政者としてのこの冷徹さは見ならうべきなのだろう。  しかし、ヴァンダリスは元から王になどなるつもりもない。今の立場だって、人界と魔界の和平が完全になるまでの一時的なものだと思っている。 「大公、あんた、わかっていてあえて俺に言ってるでしょう?まず俺は、絶対に王にはならない」 「ふむ、今はそう思っていても、そのうち気が変わるというのは、人間ならばよくある」 「…………」  まあ世の中には絶対なんてことがないのは、ヴァンダリスもわかる。人間なんて、コロコロ気分や信念を変えるのもだ。  そう、人間は。 「最大の問題は俺じゃなくて、元魔王ですよ。あんたがさっき言ったとおり、今回は五日間、ベッドに“監禁”ですみましたけどね。  これで俺が王様になるから、人間の女と結婚するなんて、ひと言でも口にしたら、一生この人界に戻れると思えない」  なにしろ、女をけしかけられたと話しただけで、五日間である。考えるに恐ろしい。  「魔界との唯一の橋渡しである、勇者殿を失うのは、今困るな」なんてあごに手をあてて考え込んでいる老大公を目の前に、ヴァンダリスは遠い目になる。  そして、ふと気付いた。  たしかに大公の言うとおり、自分は本来女の子が好きだったはずで、それがなぜかアスタロークと恋人同士になっているうえに、あれに抱かれることを許している。  これって結構すごいことなんじゃないか?と我ながら、照れくさくなってくるが、ここは言わねばならない。 「それに俺も、あいつを裏切る気はありません」  老大公は器用に片眉をあげて「なかなかに君達は情熱的だね」と感心したように腕を組む。 「さて、君を呼んだのは相談があってね」 「長い前置きでしたね」  いや、この人のことだから、その前置きも意味があるのだろうし、なんか嫌な予感がするとヴァンタリスが身構えれば。  その老大公の口から出た言葉に、今度は彼が片眉あげる番だった。
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