思い出の銭湯

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【思い出の銭湯】  寒さが体に染みる夜、久しぶりに地元へ帰り、知人と楽しく酒を酌み交わし、ほろ酔い気分の帰りの道を歩いている途中、踏切の遮断機が降り、電車の通過を待っている間、僕の隣に自転車に乗った男が、ちょうど僕の左横に止まった。その男はたまたま仕事帰りの大の友達であった。 「よう、久しぶりだな」 「いや、久しぶり、何でいるん?」 など久しぶりとも思えない他愛もない会話をし、友達と偶然、地元の道端で会う時は昔から必ず彼の家の隣のコンビニで缶コーヒーを買い、そのまた隣の人気の無い公園で、少し話して帰るのが不文律の決まりごとになっていた。 その時もお互い缶コーヒー片手に、公園に行き、近況を話し合うだろうと予想していた所であった。 その友達とは5,6年ぶりに会うのだが、小学校の入学式当時、初めて会話をした、最初のクラスの同級生であり、遊びはもちろん、アルバイトも一緒にした事もある幼馴染の大の親友であった。 いつもニヒルな友達が今日はいつもと違って様子が変だと僕は咄嗟に思ったが、踏切のカンコン、カンコンという音と、電車が通過する雑然とした音が交錯する中、突然 「俺の実家の銭湯、明日、取り壊すんだ」 と思いも掛けない言葉が友達の口から出て、 「えっ?」 と思わず戸惑った。 なぜなら、僕が5歳の時に母親が他界し、父親は仕事で家にいない日が多い為、祖母が作るご飯を食べて育ったが、なんと言っても昔ながらの人間、粗食に耐えうる生活を余儀なくされていた。 なので、小学校の時は僕の家からその友達の銭湯が近かったこともあり、毎日のように銭湯をタダで入れてもらい、入浴後は自分の家より友達の母親が作った豪華な夕飯までご馳走になる、むしろ風呂より夕飯が楽しみな程、それほど思い入れのある銭湯だからであった。 時には喧嘩もし、時には小学低学年のマセガキ二人がドキドキしながら女風呂を一緒に覗こうと悪戯した悪友、浴客のいない時は同級生らと脱衣場で面子やコマ遊び、かくれんぼをした所、そんな良くも悪くも思い出深い空間が明日で取り壊されるのを聞き、その時はもう午前0時を過ぎていたが、いつもの公園での一服を止め、軽い気持ちで僕はぶっきら棒に 「ちょっと、最後なんだから、中見せろよ」と言うと 「良いよ」 とあっさり受け入れてくれた友達。 まずは銭湯の裏から入り、小学校の時以来の光景で、家の中を歩くと木の板がメキメキ鳴り渡る程、当時と変わらない古い構造ではあるが 「犬がやたら怖かったな」 「そう云えば、ここでそいつの家族と一緒に飯食ったな」 「兄貴ヤンキーだったから、怖かったなぁ」 等、走馬灯のように思い出し、銭湯や家の中を隈なく、その友達と探検した後、脱衣所やら浴場を見学し、思い出話に花を咲かせていた。 風呂場は木の板で被さっていて、中を開けると多少白濁はしてはいたが、入れない温度でなかったので、俺は友達に 「久しぶり小学生の時を思い出して、一緒に入らねえか?」 と提案したが、 「いいよ、一人で入れよ」 とお互い照れくさそうに一言、二言の言葉の掛け合いをし、 「じゃあ、俺入るから、待っていてくれよ。」 と言って一人で入った。昔ながらのよく街にあった古びた富士山の絵を背に入る方式の銭湯で子供の頃は大きく思えた光景、 当時は浴客で満杯だった風景も今は跡形もなく、静寂かつ薄暗い中に、一人裸でいる自分、年齢のせいか当時より小さく思える空間。  しかし、家庭では味わえない広い浴場に15分位入っていただろうか、一人で入っている優越感より、あの時には解らない感覚。それは寂寥感や孤独感、そして、こんな人達に育てられて、何とかここまで生きて来られたんだ、というその時には解らなかった、周りに支えてもらっていたのだという今更ながらの感謝。 そんな色々な感情が頭の中を渦巻き、一人での入浴中、涙が突如溢れ出し、堪え切れなくなってしまった。 止めどなく溢れ出る涙を友達には見せたくなく、顔を湯船に付け、浴場から上がった後、普段のぶっきら棒の自分を装いつつ 「良い湯だったわ」 と僕は一言だけ友達に伝えたが、彼は目も合わせず、煙草を吹かしながら、 「そう、良かったな。」 とそっけない会話。 そして、番台に登って座っていた友達に 「入浴料500円払うわ」 と言うと、友達は 「別にいいよ」 とまたもや、そっけない態度。 でも、僕はは「最後の浴客になりたいんだよ」 と500円玉を無理矢理置いて、その後 「じゃあな」 と、だけ僕もそっけない態度で返して、ただ500円玉を置いて行くだけしかなかった僕であったが、友達から帰り際、背中越しに 「最後の浴客がお前だと何かちょっと感慨深いな」 といつもの乾いた友達の言葉に彼の無念さが僕の胸に突き刺さった。 帰りの道すがら、惜別の思いの他、そこで育ててもらった恩や僕の一つの時代が終わった何とも空虚な気分とその時代を刹那的とも思われる凝縮した時間をたった今過ごした悲しき最後の浴客。 振り向きもせず、こぼれ落ちる涙も拭かず、煙草に火をつけ、煙を燻らしながらその場を後にした。 だが、外は感傷に浸る僕を許さないかの様な、日ごろと変わらない、只、時が過ぎていくだけのそんな雑踏と喧噪の真冬の夜の街でしかなかった。 終わり
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