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本日の乗客は一人だった。
その子は地獄の停留所に一人ぽつんと大人しく立っていた。
「足元お気をつけください」
ドアを開け、乗車したことを確認。
バスは地獄に向かって出発する。
「……」
「……」
静寂が続く車内。
いつもはバスジャックたちが騒ぎに騒いでうるさいので、この静かさが妙に感じてしまう。
一人しか乗っていないから静かなのは当たり前なのだが、それにしてもこの少女からは異常な静けさを感じた。
「こんな若いお嬢さんが地獄行きなんて珍しいね」
別に運転手が話しかける必要はないのだが、あまりの沈黙具合に居たたまれなくなってつい会話をふってしまう。
栄司に話しかけられた少女は一瞬運転席へ顔を上げたがまた俯く。
「……私も地獄は怖いです」
消えそうな声で返事をした。
「怖いなら地獄へ落ちることなんかしなきゃいいのに。いったいどんな悪行をしたのさ」
人のことを言えない栄司だがそんな質問をしてしまう。
少女は下を向いたまま呟くように答える。
「……自分を殺したの。生きてることが耐えられなくなって。そうしたら地獄行きだって」
「なるほど」
自殺か。
どうやら自分に対する殺人でも地獄行きになるらしい。
生前に苦しんだのにもかかわらず死後も苦しまないといけないのは可哀想なもんだと思ってしまう。
暗い雰囲気を切り替えるように話題を変える。
「このバスどうだい」
「え?」
「ところどころボロボロだろう。窓ガラスなんかヒビ割れちゃって。ガムテープ補正なんて荒療治もいいところ」
「なんでこんなボロボロなんですか?」
「乗ってくる奴らが乱暴者ばかりでな。天国に連れていけとバスジャックするんだ。奴らも地獄は嫌なんだな。毎日綺麗にしてるんだが期待を裏切らないぐらい毎回汚くしてくれる。ま、最終的には俺の蛇行運転で無抵抗で送迎されるんだけどな」
「……ふふっ。確かに運転手さんの運転酷いもんね」
笑った。よかった。
「それでも少しでも気持ち良く地獄へ行ってくれるよう車内は綺麗に掃除してるんだ。そういう気持ちって大事だろ」
「わかります。私もこのバスに乗った時、汚いのに綺麗って変な感じしたけれど、温かい気持ちになったもん」
「失礼な感想だな」
少女と栄司はしばらく話をした。
他愛ないことから栄司の日頃の仕事のこと、そして少女の話になった。
「私、来世は絶対幸せになりたい」
「これから地獄で精一杯頑張ればきっとなれるさ」
栄司の言葉に少女は黙り込んだ。
そして、最初に会った時と同じくらいの弱々しい声音で言う。
「地獄は生まれ変わることが出来ないんだって」
「……え」
「閻魔様に言われたの。私、生まれ変わったら今度こそ頑張って生きようと思ったのに……!」
少女が顔を上げる。
バックミラーには涙を溢す少女の顔が見えた。
その涙を見て栄司はバスを真逆の方向へ方向転換させた。
行き先は決まっている。天国だ。
「運転手さん、どこ行くの?」
「これからすることは誰にも言うなよ」
栄司はアクセルを全開に踏む。
猛スピードでバスは空を駆けて行く。
やがて、暗く灰色だった空は明るく晴れ渡った空に変わっていった。
天国行きが到着する停留所にバスを停める。
「いいか。自分は天国行きの者だと正々堂々と歩けよ」
栄司はそう言って少女をバスから降ろし背中を押す。
少女は戸惑っていたが、俺へ笑顔を向けて言った。
「ありがとう。優しいバスの運転手さん!」
少女が無事に天国へ行ったことを見届け、栄司は運転席へ戻ろうとバスの階段を上ろうとした。
その時。
「せっかく千人目の乗客だったのに。馬鹿な人もいたものだ」
後ろから声がした。肩に手が置かれる。
添えるだけの優しく置かれた手形だったが、その重さが取り返しのつかない程の重さだと栄司は知っている。
後ろを振り返ると閻魔がニタリと笑っていた。
「地獄行きの者を勝手に天国へ送るのは重罪だ。罰を受ける覚悟はできているか」
「……ああ」
「あと一人というところで。もったいないことをしたねぇ」
「もったいない、ね」
あと一人で自分は天国へ行ける。
あと一人だったのに。
確かにもったいなかったのかもしれない。
だが、不思議と少女を天国に送り届けたことに後悔はしていなかった。
例え、代わりに自分が地獄へ落ちるとしても。
「最後に一ついいか」
「なんだい」
「天国に行ったあの子は見逃してくれ」
「……善処しよう」
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