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番外編 ありのままの君でいて
アーリー・サンチェスは珍しい男子の狐族だ。それもまっ白な毛並みに赤い瞳の白狐。
狐族のほとんどが女子であるし、男子は生まれても王族や貴族の家では、政略結婚にも使えない無駄な子供として、闇から闇へと始末される因習があった。
アーリーが始末されなかったのは、母がとある貴族の貴公子と秘密裏に恋をして、彼が早世してしまい、そのときすでにお腹の中に子があったからだ。
愛する人の忘れ形見を取り上げられることをおそれた母は秘密裏にアーリーを出産したが、すぐに亡くなってしまったという。
アーリーが物心ついたときはすでに女子の服を着ていて、そしてマルタとともにいた。アーリーを引き取ったのは遠縁の女性だという、マルタの乳母だった。
彼女はそこで一計を案じて、マルタの忠実な側近とするために、アーリーも女子として共に育てることにしたのだ。
「アーリー、マルタ様はとても孤独な方なの。唯一の味方はわたくしとあなただけ。いい?わたくしが居なくなったなら、あなたがマルタ様を守るのよ」
こくりとうなずいたアーリーだったが、1歳年下のマルタを取り巻く環境などよくわかっていなかった。ただ、豪奢な宮殿の片隅でマルタと乳母とアーリーの三人で暮らしていくものと思っていた。
王女という立場でありながら、マルタは宮廷から忘れ去られた暮らしぶりであったし、たまに宮殿の庭で、たくさんいる年上の兄弟達に会えば、必ず彼らはマルタを見下したように見て、酷い言葉を投げつけるのだった。
王冠をかぶりそこなった捨てられた可哀想な子だと、その意味もわからないまま。
自分達を守ってくれた乳母はアーリーが十歳、マルタが九歳のときに、謎の死を遂げた。
大人の膝の丈しかないような、広場の噴水で溺死などするはずもない。だが、彼女の死は事故死とされて、それからアーリーが一人でマルタの世話をすることになった。
捨てられたように二人王宮の片隅で暮らす。だが、そこに徐々に危険が迫っているのではないか?と感じながら。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
そして、主であるマルタもそしてアーリーも現在は男子に戻り、サランジェ王国の別宮で暮らしている。
以前のボルボンの宮殿のようにうち捨てられたような暮らしではない。王子に付けられたメイドのオルタンスは、すでに子供を育て上げた中年の女性で、とても温かくマルタ王子だけでなく、自分も気遣ってくれる。
それまでいなかった家庭教師も数人通ってくるようになって、乳母からは読み書きなどの基本的なものは二人で習っていたけれど、文学や歴史や数学、音楽など教わるのはとても興味深い。
それに剣術。といっても、未だ剣を握らせてもらえない状態だ。
教師となってくれたのは、親衛隊を引退した初老の狼族の騎士バルナールで、とても穏やかそうな人物だったのだが。
その彼が提案したのは、マルタと自分と彼だけでなく、メイドのオルタンスまで交えた追いかけっこだったのだ。
練習の剣も握らせてもらえないのか?と不満げな顔をするアーリーに、バルナールは「まず体力をつけることだ」と言ったのだ。
「話を聞けばお前さんと殿下は、ドレス姿でずっと宮殿の片隅で、外にもろくに出ずに暮らしていたんだろう?
思いきり走ったこともないのに、剣を振るうことなんていきなり無理だぞ」
バルナールの言葉どおりだった。少し追いかけっこをしただけで、アーリーは息切れして、その白い顔を青くして「アーリー大丈夫?」とマルタに心配されてしまった。
メイドのオルタンスにまで追いつけないなんてと思ったが、メイドの仕事は肉体労働であるし、年齢なりにふくよかな彼女は猫族だけあって、意外に身軽なのだ。
それよりなにより、すっかりへとへとのアーリーに対して、マルタはまだまだ元気なことだった。別宮の庭にてオルタンスを追い掛けるマルタを、アーリーは備え付けの椅子に腰掛けてぼんやり見ていると、横にバルナールがやってきた。
「殿下は獅子族で、お前さんは狐族だからな。もともとの持ってる体力が違うんだよ、気にするな」
「はい、でも、わたくしも殿下に追いつきませんと……」
それでもしゅん……としていると、もうスカートではないが、両足をきちんと揃えて座ったアーリーを見てバルナールは口を開く。
「まあ、無理することはない。そのうち体力もつくさ。お前さんはおしとやかだからなあ」
おしとやか、男子にもどったのにしとやか……と複雑な思いでいると、アーリーの前にやってきたマルタが、石の長椅子の隣にちょこんと腰掛ける。
「アーリー疲れた?一人だけ遊んでごめんね」
「いいのですよ殿下。ついていけない、わたくしこそすみません」
「ううん、謝らなくていいよ。でも、アーリーと一緒に遊べるようになったら、僕も嬉しい」
そう僕、僕とマルタは言うようになった。最初は敬愛するロシュフォール王に倣って「俺」なんてつぶやいていたけど「なんか似合わないよね?僕がいいかな?」と「僕、僕、僕」とくり返して、すっかり僕となった。
そして、今はアーリーの横で足を開いて、その足をぶらぶらさせて座っている。ドレス姿の姫君だった頃ならば、お行儀の悪いと注意していたところだが、今は男子に戻ったのだから、足を開いて座ってもいいだろう。
「…………」
アーリーは自分のきちんと揃えられた足を見た。
これは開いたほうがいいのだろうか?
相談する先は一つしか浮かばなかった。
女子として育てられて、男に戻った先達など、一人しか思い浮かばない。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
「そのままでよろしいでしょう」
多忙なはずの王の参謀は、アーリーの面会の申し入れにすぐに応じてくれた。彼の執務室のとなりの小さなサロンにて、二人は向かいあい卓を囲んでいた。
足をきちんと揃えて座る白狐の少年に対して、銀狐の宰相も同じくしとやかに足を揃えて、さらには少し横に倒した体勢で、優雅にお茶の入ったカップを傾ける様は、どんな深窓の令嬢も裸足で逃げ出しそうな所作だ。
それでいてなよなよとか弱々しく感じない。男性の姿でも少しもおかしくはないどころか、気高い気品にあふれているのが、この銀の参謀殿だった。
「そもそも、男らしさや女らしさとはなんでしょう?人にそう見られたいという単なる虚勢です」
きっぱり断言されて、アーリーは確かにと思う。自分がどう見られているか、気にしすぎだったか?と思わず頬を赤らめれば、目の前の麗人はふわりと珍しくも微笑む。
「あなたはあなた、マルタ殿下はマルタ殿下らしくあればよいのです。無理をする必要はありません。
色々なことを学び、成長すれば自然になりたいものになるでしょうから」
「はい」とアーリーはうなずく。たしかにマルタにはマルタのままでいて欲しい。この国にやってきて、あの恐ろしいパオラ王太后から解放されてから、それまでアーリーの背に隠れるばかりだったマルタは明るくなった。自分の言葉を素直に口にして、庭を駆け回っている。
「ですが、あなたの剣については、私が手ほどきしたほうがよさそうですね」
「レティシア様が?してくださるのですか?」
「獅子族のマルタ殿下や指南役の狼族のバルナール殿と私達では戦い方が違います。
そもそも狐族の男子の剣など、私しか教えられないでしょう」
アーリーは顔を輝かせて「よろしくお願いします」と頭を下げた。
黒獅子殿下の横につねにいる白狐の風使い騎士アーリー・サンチェスの名が、大陸にとどろくのはのちの話だ。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
サランジェ王国、王宮にある緑の芝生の広い庭。
黒い巻き毛の獅子のすらりとした長身の少年と、小柄な白狐の少年が剣をまじえている。木剣であるが、黒獅子の少年の剣はがっちりとしたもので、白狐の少年は細いもの。
力では負けているが、白狐の少年の剣は黒獅子の少年の剣を上手く受け流して的確に急所をついてくる。「おっと!」と黒獅子の少年は、身体をねじり自分の脇腹をかすめる細い木剣を避けた。
そして、自分の手に持つ剣をポイと投げると、目を丸くしている白狐の少年の細い身体を両腕で包み込んで、軽々抱きあげてしまった。
「捕まえた。僕の勝ち!」
「マルタ殿下、わたくしを抱きあげるなど、それでは剣に勝ったことになりません!」
「でも、このあいだロシュフォール陛下が、レティシア大公殿下をこうしていたけど?」
「あの方々のあれは遊びです。そもそも大公殿下も陛下に文句を言われてませんでしたか?」
「うんいつもの『あなたは何度言ったらわかるんですか?』って。でも、しっぽはブンブン揺れていたなあ」
「…………」
黙りこんだアーリーのしっぽも実はブンブン揺れている。
アーリー十七歳、マルタは十六歳となった。背はとっくの昔に抜かれてしまった……そのときは軽く衝撃であったけど、すくすく育つ彼の姿がまぶしく嬉しかったのも確かだ。きっと、もっと背も伸びるし、たくましくなるだろう。
アーリーは一応背はそれなりに伸びたけれど、細いままだ。狐族なのだから仕方ないと、レティシアを師に、剣の素早さと鋭さ、それに風の魔法に磨きをかけた。
十六歳で凜々しく育ったマルタに将来が楽しみよね。なんて宮廷の御婦人方が騒いでいるのをアーリーは知っている。マルタはあいかわらず子供気分が抜けないのか「僕の一番はアーリーだよ」なんて言ってくれる。その瞳の光が最近ちょっと真剣味を帯びてきて、不安ではあるけれど。
「あ、ランベール殿下とミシェル殿下だ」
マルタが声をあげる。良い遊び相手となっている二人の兄代わりをみつけると、七歳となった双子が駆けてくる。金獅子の子供が銀狐の子の手をしっかりと握りしめて。
王宮の庭を一家で散策の途中だったのだろう。その後ろには、歳を少し重ねて威厳が増したロシュフォール王と、あいかわらず美しく気品あふれるレティシア大公が我が子を見て微笑む姿があった。
「僕達も行こう」
「はい」
こちらに走ってくる双子の元へ、黒獅子の殿下と白狐の従者も駆けたのだった。
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