第一話 災いは唐突に扉をたたく

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第一話 災いは唐突に扉をたたく

 サランジェ王国、王宮。  王都の北の大半を占める、宮殿は大きく三つに分かれており、黄金の階段がみごとな大玄関と階段を昇ったさきにある大広間。さらにはその向こうの玉座の間がある。儀式や祝典に使う公の場。  王や大臣の執務室や会議の間がある政治を司る部分。  そして、王や王族、愛妾達が暮らす、後宮があった。  この後宮であるが現在、すべての愛妾に暇が出された上に、ここに仕える貴族の夫人である女官達もその制度が廃止されて、大半の部屋がからっぽとなりとても静かな空間となっている。  使わない部屋を取り壊しては?という案も出たが「壊すのだって金がかかります」という国王の参謀殿のひと言により取りやめとなった。「先の財務大臣の使い込みの赤字を補うために、少しでも無駄は省かねばならないでしょう」とも。  そんなわけで、かつては多くの美しい愛妾に、貴族の夫人である着飾った女官達が行き交っていた華やかなりし後宮は、色を失ったように静まり返り、使わなくなった部屋の調度には白布がかけられているような状態だ。  そんな後宮の中心部の区画だけが現在、華やかというよりある種の温かさに包まれていた。  王と王妃の私室部分の区画だ。この二つは隣あっていて、寝室に寛ぐための居間、王の部屋には書斎。王妃の部屋には化粧部屋があったのだが、その部屋も現在、化粧台のあった場所に机が置かれて書斎としての空間となっていた。  王と王妃の寝室は、壁一枚隔てており、扉で繋がっていたが、この扉が使われることは長らくなかった。本当に夫婦仲の悪い国王夫妻のときには、王妃側から飾り棚を置いて、扉をふさいだなんて逸話のある代物だ。  しかし、現在、その扉は頻繁に使われている。「また、あなたは寝室からいらっしゃいましたね。表の扉があるというのに」と王妃の部屋に暮らす麗人は、たびたび美しい眉をひそめたが、それでも扉を飾り棚で塞ぐ気配はない。  つまりはそういうことだ。  さて、王の寝室で寝るのか、王妃の寝室で寝るのかは、その日の王の気まぐれだ。麗人があえて王の寝室に来ることなどないから、若い王が勢いのまま抱きあげて己の巣に運ぶように……というのが王の寝室で朝まで過ごす理由だ。  なのでたいがい、二人は王妃の寝室で眠ることが多い。肌を合わせる日も、合わせない日も二人寄り添って眠りあう。  当初、麗人は「なにもない日は、それぞれの寝台で眠ったほうが、よく休めるのでは?」と情緒のないことを言ったが、王がそれには反論せず……というより口でこの参謀に敵う訳もないので、連日、絶対に一緒の寝台で眠るという実力行使に出たら十日目で「好きにしなさい」とあきれた顔で許可が出た。  そんなわけで、今日も二人寄り添い合って、王妃の寝台にて眠りについていた。そこに起床の時刻より少し早い時刻、コンコンと寝室の扉を二度たたく音が響いた。  目が覚めたのは王妃の部屋の現在の主人、レティシア・エル・ベンシェトリであった。自分を腕に抱いてぐっすり眠る若き王、ロシュフォール・ラ・ジルに対して彼の眠りは浅かった。が、身体がとっさに動かないことに顔をしかめて、自分を腕枕する男に声をかける。 「陛下」 「ん?まだ早くないか?」 「外から扉をたたく音がします」  その言葉と同時に、控えめではあるが再度、コンコンと音が響いた。さらには「おはようございます、陛下、レティシア様」と侍従長の声だ。  起床時刻前に、しかも侍従長自らがやってくるとは、なにか緊急の知らせがあるに違いない。ロシュフォールが素早く寝台を降りて、素肌にガウンを羽織る。レティシアもけだるい身体を起こそうとするが「お前はそのままでいい、俺が訊く」とロシュフォールが扉へと向かい薄く開く。寝台に横たわる自分の“妻”の肌を侍従長といえど見られないように。 「どうした?」 「はい、危急のお知らせにつきお休みのところ失礼いたします。パオラ王太后様が離宮より抜け出され、どうやらボルボン国に向かわれたらしいと」  その言葉に寝台に横たわっていたレティシアは身を起こし、ロシュフォールの眉間にもしわが寄る。 「わかった、すぐに大臣達に招集をかけろ」  「かしこまりました」と侍従長が去って行く。それにロシュフォールは振り返った。 「いつもの朝ならば、お前はあとからゆっくりでいいと言いたいところだがな」  「王よりあとに執務に向かう参謀がどこにいます?」といつものごとくレティシアが返し、けだるげに寝台から降りてガウンを羽織る。 「ともあれ、大臣達がいくら急いで宮殿にあがってくるとはいえ、少しの時間はあるでしょう。身支度をして、しっかり朝食をとるぐらいは」 「あいかわらず、肝が据わっているな、お前は」  侍従とメイドの手をかりて、二人は手早く身支度をすませて、それから、朝食もしっかりととったのだった。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇  パオラ・デ・リガウド王太后はロシュフォールの父である先王の正妃である。彼女が王国は北の離宮に幽閉されていたのは、十年前に彼女の兄である大公と計り、起こした事件にある。  血の一角獣(リコルヌ)とよばれるそれは、今も閉鎖されたままの、後宮は一角獣の間と名付けられた部屋で起こった。父王の危篤の知らせに集まった王子達が、そこで王太后と大公一派の私兵によって、惨殺されたのだ。  しかし、王宮の外にて邸宅を賜っていた、エグランティーヌ・ラ・ジル伯爵夫人の子、ロシュフォールがそこにいなかったために、この計画は失敗し、大公は処刑、パオラは、王都から離れた北の離宮に幽閉されたのだった。  彼女は愛妾の中でもとくに王に愛されて、伯爵夫人の称号まで与えられた、エグランティーヌとその子を一番憎んでいたというから、ロシュフォールだけが生き残り、王となったのはまったく皮肉であったと言えるだろう。  そして、その王太后がギイ将軍の反乱の混乱の余韻もまだおさまらない、国内の混乱のすきをついて脱走したというのだ。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇ 「それで追っ手は向かわせたのか?」  楕円の大きな卓が置かれた、会議の間。一番奥の席、窓の光を背に受けて腰掛けるロシュフォールの、肩までの金の巻き毛は獅子のたてがみのように輝いている。このあいだまで十歳の姿であったが、威厳ある金獅子の姿となった、この若き王に金の瞳で見据えられて、額の汗をふきふき内務大臣が「はい」と返事をした。 「ですが、幽閉されていた王太后様は、このところ塞ぎがちということで、私室の外には滅多にお姿を表さず、離宮内の警備兵が気付いたときにはもう……」  十年もの幽閉生活にも忠実に仕えていた小間使いとともに、その姿は消えていたのだという。 「つまりは王太后様がいつ離宮を離れたか、わからないのですね?」  ロシュフォールの隣に座るレティシアが訊ねる。その氷のような冷ややかな眼差しにさらされて「は、はあ」と内務大臣はますます冷や汗をかいた。周りの席を受ける他の大臣達は、自分がその視線を受けずによかった……と内心で胸をなで下ろした。王の参謀殿は、その視線一つで相手の心臓を凍らせると評判なのだ。さらに辛辣な言葉は氷柱のように全身に突き刺さるとも。 「王太后様はすでにボルボン国へと入られたでしょう。これ以上の追跡は無駄なこと。ただちに追っ手の部隊に帰還命令を」  レティシアの進言に、ロシュフォールがうなずき「部隊に伝令を出せ」と内務大臣に命じるのに彼は「かしこまりました」とうなずいたまま、うなだれた。『無能』などと王より、罵られない分だけ、余計つらい立場だ。  十歳の姿のままだったときは、あれほど、わがまま駄々っ子と評判だった、ロシュフォール王は、大人の姿になったとたんに落ち着いた。  まず大臣達の失態にも声を荒げることなどない。隣にいる氷の参謀の影響なのか。彼の助言は的確であり、それにうなずき自分の意見も交えて口を開く態度は、王のおおらかさと威厳があり、彼を二十歳の若造とあなどる大臣などいない。 「それより、王太后様の逃亡を手引きした者達がいるはずです。いつから彼らが準備をしていたのか、何者なのか突き止めることが必要でしょう」 「すべて捕らえると?」  それには美貌の参謀は静かに首をふった。その顔の半分が白いレースの眼帯に覆われているのが、さらに倒錯的に見えると評判だ。どんな美姫を見るよりゾクゾクするのは、その氷の眼差しのせいなのかなんなのか?とも。 「おそらくは王太后の逃亡と共に彼らも姿を消しているでしょう。ですから、その“痕跡”の調査です。ボルボン国の手引きに違いないでしょうが、これほど鮮やかな逃走劇は、おそらく国内の混乱に乗じての突発的なものではなく、前々から準備していたのでしょう」  そして、この王の氷の参謀が、後宮の王妃の間にていまだに暮らしていることを、みんな知っている。王と彼の関係もまた公然の秘密だ。  とはいえ、王を身体で籠絡したなどとは、少しはそんな陰口を叩く者はいても、大きくは誰も騒げない状態だ。なにしろ、“彼”を後宮に迎えたその日に、王はその他のすべての愛妾に暇をとらせた、溺愛ぶりだ。 「とはいえ、男ではお世継ぎが望めないからな。事実上の王妃はあの方にしても、胎は別に借りるしかあるまい?」 「今の陛下に、新しく愛妾をお迎えしろと、貴殿はお勧めできるのか?」  宮殿の一角でささやきあっていた貴族の紳士達は、気まずげに押し黙りあい「お世継ぎの問題は、いずれおいおいに……」と先延ばしにしたのだった。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
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