第二話 おつかれでご苦労様な裏事情

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 さらには今の王は十歳の子供の姿ではなく、堂々たる青年の姿だ。秀でた額に通った鼻筋に、薄くもなく厚すぎることもない情熱的な口付けをしそうな唇。いかにも獅子族らしい、広い肩幅に厚い胸板、長い脚とまったく理想の男神の像のようであった。  そして、赤いマントをひるがえす長身の王の横に寄り添うような、銀の月……とすっかりそれが呼び名となった、銀狐の参謀のほっそりした姿があった。  青みがかった銀の長い髪。氷のような切れ長で大きな蒼の瞳。人形のように整った白い面は、本日もぴくりとも動かない。  しかし、笑顔などなくとも、誰もが美しいと認める圧倒的な美が、この銀の百合……とこれも王の参謀の呼び名の一つだ……にはあった。たとえ、その白い顔の半分が繊細な白のレースの眼帯に覆われていようとも。いや、その不完全さこそが、見る者をどこか倒錯的な気分にさせる。  宝石も豪奢なドレスも、この凜とした姿を前にして、なんの意味ももたなかった。  王太后は初め、己の宿敵ともいえる若き王こそを挑むような目で見ていたが、すぐにその黄金の太陽の横にいる銀月に気付いた瞬間、彼女の瞳には嫉妬のどす黒い炎が宿った。  いかなる美容術や化粧法を駆使しようとも、そこには彼女が持つことの出来ないたぐいの気高い美しさと、取りもどすことの出来ない若さがあったからだ。  後にロシュフォールが「あの女がレティシアを見たとたん蒼白になってぶるぶる震え出したんで、こっちが逆に毒気を抜かれて無難に挨拶が出来た」と語ったぐらいだ。  関係ない周りの貴婦人達が青ざめるような、王太后の視線を受けながら、レティシアはいつものごとく冷静であった。  着飾った王太后よりも、その横に立つ王女と、その後ろにいる王女より少し年上だろう少女を見た。黒の巻き毛に黒い瞳の黒狐である王女も珍しいが、後ろの少女は、レティシアの銀とは違う、髪はまっ白で瞳の色は赤の白狐とは、これもまた対照的な取り合わせだ。  レティシアの視線に気付いた少女は、その赤い瞳で真っ直ぐこちらを見た。  その少女がレティシアにはなにより、強い印象に残った。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇ 「こっちに贈られてきた肖像画から分かっていたが、黒狐とは珍しいな」  対面が終わったあと、後宮は王妃の居室にてくつろぐロシュフォールが口を開いた。同じ長椅子の横に座るレティシアはうなずく。 「ボルボンの王は黒獅子ですから、あの色はあちらでは珍しくはないのかもしれません」  大陸のほとんどの王家の王は獅子である。これは元は天空から降りてきたという神の一族から分かれたからだと言われている。実際、王家の血統図をたどるとすべては、天空の太陽神へと繋がるのだ。  サランジェの王が金獅子の系譜なのに対し、ボルボン王家では黒獅子の系譜だ。  そして、そんな王家や貴族の夫人や寵姫は現在すべて狐族となっている。これは狐の女子の容姿が美しいことと、その特性にあった。  狐が産んだ子供は、男子ならばほとんどが父方の種族となり、女子ならば狐となるのだ。生まれた男子が別の種族となることはなく、女子ならば美しい姫として他家に嫁がせる政略結婚の道具となる。高貴な一族にとって、これほど便利な“胎”はない。 「それより気になったのは、王女の後ろの同じ年齢のおそらくは遊び相手の貴族の女子と思いますが、あちらは白狐でしたね」 「それをいうなら銀狐のお前が一番珍しいだろう?」 「確率としては一番低いですね。さらには女子ばかりの狐が、この毛並みで男子で生まれるなど……また、そんな顔しないでください」  なにげに話していたが、ロシュフォールがすぐに不機嫌な空気を出し始めたのに気付いて、レティシアはあきれる。 「王たるものがそんな些末なことを気にするものではありませんよ。私の父は放置してよいと言ったでしょう?」  この王はレティシアが女子として育てられた経緯を聞いて、いまだ自分の父に怒りを抱いているのだ。  狼族の辺境伯である父は、騎士の娘の狐の母に対して狼の男子ならば良し、狐の女子ならば手駒としてなおよし。  ただし、男の狐など無用の者であるから、すぐさま始末すると、そう宣告したのだ。  それがなんの皮肉か、生まれたのは珍しくも美しい銀狐の……男子だったのだから、そのときの母が真っ青になって震えて、生まれたのは女子ですと、偽りを告げたのもわかるというもの。 「母は荘園暮らしで心穏やかに過ごせているようです」  王の参謀となったレティシアが、身内で手を打ったのは母のことだけだった。父の辺境伯の領地から秘密裏に王都郊外の王家の荘園に移した。  華やかな王都も控えめな母には合わないだろうとの配慮だ。実際、母は荘園の草花の手入れをしているときが一番楽しいと、押し花のしおりとともにこちらにたびたび手紙が届いていた。 「父や兄弟に親族のことなど、どうでもいいことです」  実際のところレティシアのところには、連日のように父や兄弟、親族の手紙も届いているが、中身も見ないで、すべて自分付の書記官に処分させている。  どうせ“王の気に入り”となったのだから、自分達にも華やかな王宮での役職をよこせと、そんな中身なのだから。 「お互い“身内”には苦労するな。あんなもの身内とも思いたくないが」 「別にこちらの“害”にならなければ、なんとも思いませんが」 「お前はそういうところがあるな。しかし、あの女は完全に“毒”だぞ」 「たしかに王太后様に関しては、今は政治的に受け入れなければならないとしては、その毒をまき散らさぬように、手は打たねばならないでしょうね」    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇  マルタ王女に用意されたのは、後宮ではなく、まだ彼女が幼く婚約期間も長くなるだろうということで、本宮殿から離れた別宮だった。  王女の部屋の大きさも、王太后の部屋の大きさも同じにしたのは、配慮といえるだろう。王女の付き添いとはいえ、王太后が王女より少しでも小さな部屋を承知するかどうかは、明らかだったからだ。  そして、対面のあとマルタ王女の様子は少しおかしかった。いや、ロシュフォール王が姿を現したその時よりだ。  彼女は王よりも、その横に立つ銀の月のような姿にぽかんと見とれていた。それは誰が見るよりも明らかで、ロシュフォールの挨拶も、侍女にうながされて気付くほどだったのだ。  そして、横にいる参謀をそのロシュフォール王自ら紹介された。銀色の麗人は優雅に片膝をついて、王女の手を捧げ持つようにして、挨拶をした。  みるみる王女の頬は真っ赤に染まり、そして、対面が終わるまでのあいだ。そのままだったのだ。  そんな王女の様子は、別宮に戻る馬車の中でもそんな風で、そんな彼女の様子に王太后は舌打ちをした。 「美しい貴公子に見とれるなんて、ずいぶんとおませさんだこと。あのレースの眼帯が気に入ったのかしら?変わった趣味ね」  王女はびくりと肩を震わせてうつむいた。そんな態度さえ気にさわると王太后は、厚化粧の顔をゆがめて意地悪く笑う。 「いいこと?あのレティシアという参謀はね。王の穢らわしい男娼なのよ!あなたの代わりに王妃の部屋まであたえられて、寝台で王に脚を開いて、その男をくわえこんでいる……」  王太后の言葉が王女にとても聞かせる内容ではないと、手を伸ばしたのはとなりの白狐の少女だった。俯く王女の頭を上の耳をふさぐように、彼女の頭をとっさに抱く。  それに王太后が「気にさわる子ね!」と黄金の手袋に包まれた手を伸ばして、ぱしりと白狐の少女の頬をはたくのと、馬車が止まるのとは同時。  扉が開かれて、王太后は従僕に手をとられてさっさと出ていく。王太后という地位はあれど、本来ならば王女を優先すべきなのに、人の目がなければ、彼女はこの王女を完全にないがしろにしていた。 「アーリー、アーリー、頬が赤い。痛い?大丈夫?」  ぽろぽろと涙を流すマルタにハンカチで涙をふいてやりながら「わたくしは大丈夫ですよ、姫様」とアーリーが微笑んだのだった。
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