第三話 泣き虫王女と小さな騎士

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「なんて生意気な小僧なの!このわたくしのやることのすべてに注文をつけるつもり!」  サロンには王太后の甲高い怒りの声が響き渡った。ぎりりと赤紫の紅で彩られた唇を噛みしめて、傍らのマルタ王女をにらみつける。王女は王太后の視線に怯えたように身をちぢませた。 「あなたもあなたです!少し見目がいいぐらいの、あのような男娼の口車にのせられて、わたくしの言葉より、あんな者の言葉にうなずくなど!」  完全な八つ当たりである。あげく、怒りに我を忘れた王太后は、手に持っていた扇を王女の顔に向かって投げつけた。この暴挙にはさすがに、まわりを囲むメイド達から「王太后様!」と声があがる。  恐怖に足がすくんで動けない王女を抱きしめるようにしてかばったのは、かたわらにいた白狐の少女だった。バシリと強い音がして、扇が彼女の額に当たる。  そして当たり所が悪かったのか、たらりと彼女のひたいから赤い血が流れた。「アーリー!」とマルタ王女は悲鳴をあげる。周りのメイド達も慌てて、白狐の少女の周りを取り囲んで、取り出したハンカチで傷口を押さえる。  王太后もさすがに遣りすぎたとばかりの顔となり、 無言で立ち上がり、そそくさとサロンを立ち去る。そのあとを幾人かのお付きのメイド達が追い掛ける。 「アーリー!血が、血が!わたしのせいで!」 「いいえ、姫様。あなた様にお怪我がなくてよかった」  白狐少女はひたいから血を流し、痛みに顔をしかめながらも、ほろほろと涙を流す泣き虫な自分の主人に微笑んだのだった。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇  その翌日の別宮。朝の挨拶にきたレティシアに王太后はとうとう会わなかった。「顔も見たくありません」とひと言。  しかし、ご機嫌伺いにきた王の参謀をそのまま返す訳にはいかない。マルタ王女のみがいつものサロンへと出てきて、その横に白狐の少女が付き添った。  少女の額に巻かれた包帯に、レティシアの眉がかすかに動いた。  その昼に、レティシアが再び別宮を訪れた。今回は近衛の騎士を引き連れてきたことに、騒然となるなか、彼はサロンで待つことなく、そのままマルタ王女に割り当てられた部屋へと向かった。  そこには王女と白狐の少女がいた。白狐の少女が王女を守るように立ちはだかるのを、すっとその横を抜けて、レティシアは椅子に座る王女の前にひざまづいた。 「陛下のご命令でお迎えにあがりました」 「ど、どこに?」  戸惑うマルタ王女にレティシアは、王女とその傍らの少女だけに聞こえる声でささやいた。 「彼女をこれ以上傷つけたくないでしょう?王太后様から、お離れになるべきです」  はっと目を見開く少女に、マルタ王女は瞳をとたん潤ませて、こくりとうなずいた。そして小さな声で「アーリーを助けて」と言う。  それにレティシアは無言でうなずいて、背後の近衛騎士の一人に目配せする。騎士もまた王女に片膝をついて「失礼いたします」と王女を抱きあげる。もう一人の少女も別の騎士が抱きあげていた。  そうして、彼らは用は済んだとばかり、風のように別宮をあとにしたのだった。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇ 「マルタ王女に王妃の部屋を明け渡したとは、どういうことだ!?レティシア!」  後宮。愛妾達がいなくなりいくらでも部屋はある。王と王妃の間の近くに、居を移したレティシアだったが、さっそくその居間に大股で飛び込んできたロシュフォールの姿にレティシアは「大きな声をあげないでください」と注意する。 「となりの部屋では診察中なのですから」 「なんだ?」  首をかしげるロシュフォールに、隣室の扉が開いて戸惑った顔をした侍医が顔をのぞかせる。 「そ、その申し上げたきことが」 「どうしました?」 「傷の治療のために身体にざっと透視魔法をかけたのですが、実はあの少女の性別は男子でして」  さすがのレティシアも目を丸くし、ロシュフォールはますますわからないという顔になる。それにレティシアが「男の子ならば問題ありませんね」と隣の部屋へと入る。  隣室は寝室で天蓋のカーテンを開いたベッドにドレスを脱いで裾の長い下着姿となった少女が座っていた。この年齢では胸のあたりを見ても男か女などわからない。治療魔法が使える医師が透視魔法をかけなければ。 「なんだこれは!」  ロシュフォールがいきどおった声をあげたのは、白い狐の少女……いや、少年の下着姿となったむき出しの腕や肩に打擲のあとが散らばっていたからだ。赤黒く変色した酷いものまである。  自分が男子だとバレたと少年もわかっているのだろう。俯いている彼の前にレティシアは立って、告げた。 「あなたが男子であることは置いておいて、マルタ王女はあなたを助けてくれと、私に言われました。そのお気持ちがわかるなら、正直にどうしてこの傷を受けたのか話してください」 「すべて王太后様から受けたものです」  少年は意を決したように真っ直ぐ顔あげて、レティシアに告げた。  以前からマルタ王女の目の前で彼を身代わりとして、パオラ王太后は暴力を振るっていたという。手でなぐるのはよいほうで、扇やときに彼を下着姿にして鞭で打ち据えたことがあったと。  そのたびにマルタ王女は泣きながらパオラ王太后に「王太后様の言うことはすべて聞く、良い子でいますから」と誓わされていたという。  「あの女」とロシュフォールが今にも駆け出しそうなのに「お待ちください」とレティシアは両手を広げて立ちふさがる。 「退け!いくらお前でも今度こそ言うことを聞けないぞ!あんな腐った女の首へし折ってやる!」 「私が怒ってないとお思いですか?出来ることなら、今すぐ別宮に乗り込んで、あの厚化粧がひび割れるぐらい両頬を張り飛ばしてやりたいぐらいです!」  レティシアらしくもない怒った顔と、張り飛ばすなんて荒い言葉づかいに「ああ」とロシュフォールが毒気を抜かれる。「怒りを我慢しなければならないのは、あなただけではないのですよ」とレティシアは告げる。それから少年に向き直り。 「その額の傷は昨日、私が去ったあとのものですね」 「はい、王太后様はマルタ王女様が、あなたの茶会の提案にうなずいたことをひどく怒られて。  とうとう王女様ご自身のお顔に、扇を投げつけられたのです」  「運悪く扇の角があたり、血が流れました」と白狐の少年はたんたんと告げる。その姿はどこかレティシアに似ていた。 「あなたの身体に傷がそのままなのは、医師も呼んで貰えなかったのですか?」 「外にこのことが漏れると、そのままにされました。昨日は血が流れたので、さすがにメイド達が頭に包帯を巻いてくれましたが」  「周りの者達もなにを考えているんだ」とロシュフォールがいきどおった声をあげる。とはいえ、あの王太后の気性ならばかばい立てすれば、今度は自分にその攻撃が向くのだ。使用人の立場としては見て見ぬふりをしたのだろう。 「あなたの名前は?」 「アーリー・サンチェスと申します」 「それで男の姿に戻りますか?」  少年は静かに首を振った。 「姫様のおそばにいてお守りするには、この姿のほうがよいですから、わたくしは生涯姫様をお守りすると、姫様ご自身に誓いました」 「マルタ姫はあなたが男子であることは?」 「存じておられます」  レティシアはロシュフォールを見た。これを判断するのは自分ではなく、王である彼だ。  ロシュフォールは少年に向かい手を伸ばし、その白い頭をくしゃりと撫でた。「よくやった」という言葉に少年が赤い瞳を見開く。 「女の姿をしているがお前は立派な騎士だ。これからもマルタ姫を守ってやってくれ」  「はい」と少年は嬉しそうにうなずいたのだった。
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