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広い庭へと遊びに駆け出していく子供達に、その親達が遠くに行かないようにとよびかける。マルタ王女も当然一緒だ。レティシアがさりげなく目配せすると、数名の近衛の衛兵達が、マルタ王女が混ざった子供達のあとを追い掛けていく。
「子供は、子供同士が一番だな」
「ええ、楽しそうですね。私にはあのような経験はないので」
「俺もだ」とロシュフォールが答える。二人の子供時代を考えれば、かたや十歳で王冠をその頭にのせられた幼い姿のままの王。もう片方は生まれた時より女子として育てられた秘密を抱えた身だ。友人と言える者は一人もいない。
唯一と言えるのは。
「今夜あたり、後宮で二人、追いかけっこでもしてみるか?」
「嫌ですよ。追っ手はあなたで捕まるのは私でしょう?」
「よくわかるな。連れ込む先は当然、寝台だ」
「こんな明るい昼間に胸を張って言わないでください」
そんな軽口をたたきあいながら、二人、無邪気に鬼ごっこをする子供達を見守ったのだった。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
お茶会はほどよい時間で散会となり、マルタ王女とアーリーは衛兵と世話係につけられたメイド達ともに表から後宮へと抜ける回廊を歩いていた。
その回廊の太い柱の陰から現れた豪奢なドレス姿に、マルタ王女のみならず、すべての者達の表情がこわばった。
王太后パオラと数人の貴婦人達だった。婦人達はいずれも後宮の元女官達だ。ロシュフォールが愛妾達全員に暇を取らせたと同時に、貴族の夫人として名誉ある称号である宮廷の女官の地位を失ったものたち。
「おひさしぶり……というのは、少し嫌みかしら?元気そうでなによりです、マルタ姫」
「王太后様もごきげんよろしゅう……」とおどおどした態度ながら、それでも王女らしくドレスの脇をつまんで、軽く膝を折り挨拶ようとしたが「ごきげんなどうるわしくあるはずないでしょう」とのパオラの低い声に、それ以上言葉を続けることも出来ずに、固まる。
「まあ、いいわ。マルタ王女とそこのお付きの小間使いは、こちらで預かります。いいですね」
衛兵二人とメイド達は、王太后と元女官である貴婦人達に逆らえる立場ではない。顔を伏して控えたまま、王女とアーリーが連れ去られるのを見送るしかなかった。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
お茶会を先に抜け出したロシュフォールは、執務室にいた。そこに自分付きの書記官が駆け込んでくる。
マルタ王女を王太后が連れ去ったと、耳打ちされたロシュフォールは椅子から立ち上がり、部屋を三つ抜けたレティシアの部屋に向かう。
だが、その執務室にレティシアの姿はない。彼付きの書記官に確認すれば、まだ戻っていないという。
お茶会はすでに終わっているはずだ。あの生真面目で時計のように正確な彼が、どこかで寄り道などしているはずもない。
もう一ついえば、衛兵の警護も自分にはいらないと、あれの移動はいつも一人だ。この伏魔殿のような宮殿で、危険だといくら言っても聞きもしない。
あれの剣の腕と風と氷の魔法はたしかに一流だ。しかし、相手がどんな卑怯な手段を使ってくるかわからないというのに。
マルタ姫を堂々と別宮へと連れ去った王太后のことを考えると、嫌な予感がする。ロシュフォールはレティシアを探すように衛兵や書記官達に命じた。
無駄を嫌うあれは当然、最短距離でこの執務室まで戻るはずだから、そこだけを探せばいいとも指示を出す。
すぐに衛兵と書記官は戻ってきて、レティシアの姿はやはりないという。お茶会はとっくに終わり、彼が宮殿に戻る姿を見た者はいたが、そこから先がわからないと。
「お探しする範囲を広げますか?」の言葉にロシュフォールはうなずく。「衛兵だけでなく、近衛の騎士も総動員しろ」と命じる。
だが、一番の早道は。
「本人に直接尋ねることだな」
ロシュフォールは別宮へと足を向けた。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
先触れもなくロシュフォールは王太后の私室へと踏み入った。その居間には、見たくもない王太后の顔があり、さらに先日クビにした女官だった貴族の夫人の顔があった。彼女達はいずれも、そのまま夜会に出られそうな豪奢なドレスと宝石を身にまとっていた。
その豪華な布の壁に囲まれるようにして、マルタ王女がいた。彼女は元女官の貴婦人達の手を振り払い、真っ直ぐにロシュフォールの腕にすがりついてきた。
「途中でアーリーが怖い兵士達に連れていかれて……」
それだけでロシュフォールは、これは一刻も早くレティシアとアーリーを見つけなければならないと感じる。
「なにをしているのです。マルタ王女!陛下から離れなさい!」
王太后の厳しい声に、マルタはぴくりと震えて、ますますロシュフォールの腕にしがみつく。王太后の白い顔をロシュフォールは黄金の瞳で射貫くように見れば、彼女は一瞬たじろいだように身じろぎした。
ロシュフォールは腕に抱きあげたマルタに「ぎゅっと目をつぶって、耳もふさいでいてくれ」と言えば、素直に彼女は従った。これからの出来事は彼女には見せたくないものだからだ。
「レティシアとアーリーはどこだ?」
「そのような者の行方など、わたくしは知らな……キャア!」
その声が途中から悲鳴に変わったのは、彼女の横にドン!と小さな雷が落ちたからだ。ロシュフォールの手から放たれたものだ。
「いまのは加減した。全力でやればこのサロンごとふっとぶからやらないが、お前一人をその座ってる椅子ごと黒焦げにするなど容易いぞ」
王太后の周りにいた元女官達は、その言葉にギョッとして、とたん彼女から距離をとる。まったく、悪だくみで集まった忠誠心などはかないものだ。
「もう一度訊く、レティシアとアーリーはどこだ?」
「わ、わたくしを殺すつもりですか?あなたの義理の母である王太后の私を手にかければ、あなたは母殺しの汚名をおうことになりますよ」
「ならお前は義理の息子である王子を幾人殺した?俺の母親を殺したのもお前だ」
「今すぐにでもその白い首をねじ切りたいのを、必死に抑えているんだがな」とロシュフォールはわざと凶悪な表情をつくりどう猛に微笑んでさえ見せる。
そこに彼の本気を見たのだろう、王太后はガタガタと震えだした。
「このわたくしを殺したならば、逆にあの二人の命も危うくなりますよ!あなたが寵愛しているあの男妾は、殺される前に幾人もの男達に姦されることでしょう!」
震えながら引きつるような醜い笑みを王太后は見せた。ロシュフォールは「それがどうした」と返す。
「逆に手の内を明かしてくれてありがとうともいうべきか?
つまり、あれが男達にどうこうされる……なんて考えたくもないが、そのあいだはどんな姿でも生きているってことだ。傷は魔法で治療できる。どんなに身体を穢されようと、あれの気高い精神の傷一つも付けられないだろうし、俺があれを愛することには変わりはない」
そして、ロシュフォールは蒼白となった王太后の顔に、バチバチと雷光をまとう片手を近づける。
「まずは、そのご自慢の顔を焼いてやろうか?高い魔力でつけられた傷は治らないって、お前も知っているだろう?」
命も大事だが、顔を焼かれるなどと王太后にとっては最大の恐怖だ。「ヒイッ!」と彼女は悲鳴をあげて、そしてさけんだ。
「あ、あの二人は、王宮の隠し部屋にいます!」
「場所はどこだ?」と訊ねれば「あ、案内しなさい」と王太后が、一人の元女官に言う。ロシュフォールの黄金の瞳ににらまれて「こ、こちらです」女はドレスの裾を摘まみ、早足で駆け出した。
後ろについてきた近衛の騎士に、マルタの身を預けて、ロシュフォールは胸の内で「無事でいてくれ」と願った。
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