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それは破格の条件ではあったが、レティシアは迷うことなく「お断りします」と再び返した。
もはや言葉はいらないと察した、両者は剣を構える。赤銅の獅子の公爵の体躯は天井をつくばかりであり、たいしてのレティシアはその背の半分とは言わないが、細く儚く見えた。二人の見た目からすれば、勝敗ははじめから明らかに思えるほど。
最初の一撃の激突で、レティシアはその衝撃に顔をしかめた。やはり獅子の剣は重い。狐である自分は種族的にも、体格的にもまた劣る。お前の剣は巧みではあるが、重さはまったくないと、大叔父にも散々注意された。
まともに受ければ力負けするのは、初めからわかっていた。レティシアは剣にまとわせた風の魔法で、その力を拡散させて受け流しただけでなく、びきびきと公爵の足下を凍らせ、身動きできないようにしようとする。
「ほう、多少はやるか。小手先の術など私には通用しないぞ」
じゅうっとその氷は溶けて水になるどころか、たちまち煙となって消えて行く。銀狐であるレティシアが風と水の魔法を使えるのに対して、獅子である公爵は炎の強力な魔法を持つ。己の身体を発熱させて、氷をとかすなど容易いことだ。
だけでなく。その赤銅色のたてがみのような髪を振るえば、炎が飛んでレティシアが後ろにかばう、小さな王子に飛ぶ。
危ないと、とっさにレティシアは跳んでさがりながら、風魔法で薄い膜を作って小さな王を、その炎の玉から守る。
しかし、公爵はそれで攻撃の手を緩めることはなかった。相手が弱者であっても、己の猛攻をそそぐのが獅子とばかり、その剣がロシュフォールの白く小さな顔に迫る。
それもレティシアは、彼を抱いて跳んでかばうことで間一髪よけた……つもりだった。
「っ……!」
左の顔半分に灼熱の感覚が走った。片方の視界が真っ赤に染まり、次に黒く塗り潰されたように失われる。
ギイの剣先がレティシアの顔半分と左目をかすめたのだ。遅れて顔の半分がぬるりとしたもので覆われる。細いあごから滴る血が、白い下着を赤く染める。
「レティシア!」
さけぶ少年の声にこの方は自分の名を覚えていたのか?とぼんやり思う……暇はなかった。
少年を抱いて跳んだレティシアを追い掛けるかのように、ギイの一振りがうなり飛んだ、その剣圧だけで小さな少年の身体には、致命傷だろう一撃が飛んだのだ。
とっさにレティシアはロシュフォールの身体を突き飛ばして、その衝撃を自分の身体で受ける。床に転がりしたたかに打ち付けられた。
全身に走る痛みを堪えて、よろよろと立ち上がると「レティシア!」ともう一度名を呼んで、ロシュフォールが駆け寄ってくる。
その小さな王を背後に庇い、レティシアはこちらにゆっくりとやってくる、ギイに向かい剣を構えた。剣がひどく重く感じる。
「あきらめてはなりません」
その小さな声は後ろにかばう王に対してだった。
「私を盾にして、少しでも時間を稼ぐのです」
援軍は絶望的かもしれない。ギイこそ、この国の全軍を率いる将軍であり、近衛も彼に従っている状態なのだ。それでも……。
「王であるあなたは、生きることが役目です」
「……もういい」
レティシアの後ろから横に出るロシュフォールを「危険です、後ろに」と言いかけて、レティシアは異変に気付いた。
自分の剣を持つ手に添えられた彼の手が炎のように熱い。いや、それだけでなくこれは子供の手の大きさだろうか?
力一杯握り締めていたはずの己の手から剣がするりと抜き取られる。自分の前に歩み出た光り輝く彼の姿に、レティシアは片方だけの蒼の右目を見開いた。
十歳ほどの小さな子どもの姿ではなく、光をまとった彼は、レティシアと同じほどの背丈となっていた。いや、まだまだドンドン大きくなっている。
ぶちぶちと布のひき裂かれる音。子供用に仕立てられた豪奢な王の衣装が破れて、下からのぞくのはかがやくばかりの若馬のようなはりのある白い肌。広い背中に、すらりと伸びた腕に脚。ほどよく筋肉のついた至高の彫刻家が刻んだ彫像のような姿だ。
くるくる巻き毛の首が見えるあたりで切りそろえられていた髪も伸びて、肩に着くほどの長さになる。まさしく獅子のたてがみがごとく、太陽の金色に輝くそれ。
背を向けられているレティシアには分からなかったが、神像のように美しく整った青年の顔。その二つの双眸は髪と同じく黄金色で、ひたりと驚愕の表情のギィを見据えた。
「馬鹿な、今さら力を解放したというのか?遅いわ!剣の使い方もわかるまい!」
ギイの振り上げた剣は、がきりと受けとめられた。炎の力を込めた目の前の相手の肩口から胴を切り裂くはずの一撃だった。だが、それは相手の持つ片手一本の剣によって受けとめられていた。
剣はまばゆいほどの黄金の光に輝いていた。びりびりとはしるのは雷だ。獅子の力は炎であるが、真の王族はさらに光の魔力を持つ。
ぱちりと光の剣に稲妻が再び走り、重ねたギイの剣に亀裂がびしりと走り砕け散る。
そして、その瞬間ごうっとうなった、ロシュフォールの剣がギイの身体を切り裂いていた。彼がそうするつもりだった、肩から胴に。
痛みも苦痛もない。ただ「馬鹿な……」という表情でどうっとギイの巨躯が仰向けに倒れる。周りの近衛の騎士達は動かない。それに「ひざまずけ」とロシュフォールが告げる。「僕……」と言いかけて「俺」と言い直す。
「俺が王であり、この戦いの勝者だ。従い頭を垂れろ」
それは先ほどまでの甲高い少年の声ではなく、朗々と響く若々しい男の声だった。彼らは一斉にひざまずいた。
獅子を王に頂くこの国では、力こそ正義だ。もはや、勝敗は決した。
そしてロシュフォールは後ろを振り返り、床に倒れているレティシアに駆け寄り、抱き起こした。
「レティシア!レティシア!しっかりしろ!」
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
「破滅の時は必ずやってくる」
それが敬愛する大叔父の言葉だった。
黒狼の魔法騎士として宮廷に仕え、なんらかの理由によってその宮廷を辞して、田舎へと隠遁した。甥夫婦が亡くなり身寄りを無くした若い姪をひきとって、生活のために辺境伯であるレティシアの父に、私兵の指南役として仕官した。
狐の美しい姪がその領主に目をつけられるのは時間の問題であった。大叔父は姪にけしてこの恋は報われないだろうことは忠告した。身分からして彼女は正妻にはなれないともだ。しかし、恋愛は自由であるから彼はそれ以上口出しすることはなかった。
田舎娘などすぐに飽きられて捨てられるだろうと、その傷心の姪を慰めて、堅実な男と家庭を持てばよいと、自分の考えが甘かったと大叔父は、いつものチェスをしながら、レティシアに苦々しく語った。
姪が、レティシアの母が身籠もるまでは……だ。妊娠が分かると、彼女は正式に辺境伯の城に迎えられて一室を与えられた。
そして運命の日はやってくる。産まれたレティシアは、珍しい銀狐……であるが男子だった。が、母親は辺境伯に女子であるといつわって報告した。
辺境伯は喜んだ。狐の女は美人そろいだ。まして銀狐ならばなおさら、王に側女として差し上げれば、自分も華やかな王都の貴族社会の仲間入りが出来ると。
なぜそのような嘘をついたのか?と大叔父は姪を責めたが、レティシアの母は泣きながら言った。身籠もっているときに辺境伯に言われたのだと。
「産まれた子供が狼の男子ならば、うちの一族にくわえる。女子でも同様。狐の女子ならばなおさら、美しく政略結婚に使えるであろう。
だが、狐の男子ならば不要だ。すぐに始末する」
と。
息子を守るために彼女は嘘をついたのだ。だが、そのような嘘はすぐに破滅の日がやってくるに違いない。生まれた男子に生きる術を大叔父が教えた。貴族の婦女子たる教育を受けながら、それは秘密裏に行われた。剣に魔法の扱い、そして、チェスを使っての戦略。
チェスをしながら大叔父は様々なことを語り、そしてくり返した。
「破滅の時は必ずやってくる」
「悪手を打っても生き残れ」
「おのれが誇りに殉じて死ね」
これを胸にレティシアは育ったのだ。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
目が覚めると視界の半分はなにかに覆われていた。あとの半分はまぶしい光。いや、これは黄金だ。黄金の獅子のたてがみのような巻き毛。それに縁取られた精悍な顔が、レティシアをのぞきこんでいる。
「レティシア、気がついたのか?」
「ええ、あなたは?」
そう訊ねれば、目の前の青年は一瞬痛みを堪えるような顔をする。
「俺だ、ロシュフォールだ」
それにレティシアは「ああ」と気を失う前のことを思い出す。側室となるお披露目でドミニクのいわれなき告発を受けて、自分を男と明かしたこと。そのあと大広間にやってきたギイ・ドゥ・テデスキ公爵の反乱を。
「お前の左目とその傷だが、叔父上の魔力で傷つけられたものだ。全身の打撲はすみやかに治癒させることは出来たが、傷をふさぐ以上のことは出来ないと」
つまりは失明。傷跡も残るということかとレティシアは「はい」とうなずいた。それにロシュフォールがなんとも言えない顔をした。
「泣かないのか?」
「それで左目が治癒するならば、タマネギを用意してきてもらいますが」
無駄なことはしない。それに片目は残っているのだ。当初は多少の不自由はあるだろうが、そのうちなれるだろう。
「お前、変わっているな」
「そうでしょうか?」
レティシアは小首をかしげた。細く薄い肩に、さらりとその青みがかった銀糸が流れる。それにロシェフォールが思わず見とれる。美しい髪のきらめき。細い首筋に寝間着からのぞく、貝細工のように美しい鎖骨……とまで視線を移して、さりげない様子で視線をそらし、咳払いを一つする。
「ともかく命を救ってくれたことに感謝する。俺から与えられる褒美ならば、なんでも与えよう。望みのものを言うがいい」
家臣が働きを見せれば、王が褒美を与えるのは当然であり、レティシアは少し考えたが、己の望みは一つしかなかった。それを口にしようとしたとき「大変です!」と王付きの書記官が飛び込んできた。
「ゲレオルク国の軍が国境のメオン川を渡ってこちらに侵入してきたと」
ゲレオルク国はサランジェ王国の西方に位置する国だ。
なるほどギイ・ドゥ・テデスキ公爵の反乱と、その彼が倒れたときいて、さっそく領土をかすめ取りにきたかとレティシアは考えた。
ギイ・ドゥ・テデスキ公爵は国軍を率いる大将軍であり、その武勇は周辺国にとどろいていた。彼が反乱を起こした末に失敗し倒れたとあれば、絶好の機会だと他国は思うだろう。ここで、ゲレオルクの軍の侵略を防げなければ、他の周辺国もサランジェに群がって、己が領地を増やそうとはぎ取っていくだろう。
「陛下。親衛隊の者達は今どうしていますか?」
公爵の反乱に彼らも荷担したのだから、当然しかるべき処分は受けていると思ったが。
「兵達は上官に命じられただけとのことで、兵舎にて謹慎だ。将校の騎士達は牢に放り込んである」
「賢明な措置です。では、兵達の謹慎をさっそく解き、将校達も牢から出してください」
「なんだと?」と驚くロシュフォールにレティシアは「戦力は今、少しでも欲しいでしょう」と淡々と語る。
「陛下の寛大なる御慈悲によって、反乱の罪を許し、この国難に立ち向かえと命じれば、彼らは名誉挽回のためにそれこそ、死に物狂いで戦うはずです」
「反乱を起こした親衛隊が最前線で奮戦する姿をみれば、他の兵士の志気もあがります」と続ければロシュフォールは「捨て駒か?」と訊ねる。
「親衛隊は本来、王のそばにて守るものだ。それを最前線に配するなど」
「いいえ、公爵が鍛えた最強の魔法騎士部隊です。これを王の周りの飾りとしてどうしますか?強い武器ほど一番に使い、敵をひるませるべきです」
「では、率いる将軍はどうする?大将軍はもういないのだぞ」
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