第六話 私達別れましょう

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 戦争は金食い虫であると、レティシアはかねてから語ってきた。長期戦の泥仕合など参謀として一番に避けるべきである。 「東方のことわざにあります。敵を騙すには、まず味方からとね」  いつもは無表情なのに、珍しくも不敵に微笑んだレティシアにロシュフォールが軽く黄金の目を見開いた。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇  王の参謀であり愛人である、レティシア・エル・ベンシェトリの突然の失脚は、王宮を騒然とさせた。  彼の使っていた王妃の間は引き払われ、さらには王の執務室から他の大臣達よりも、一番近かった彼の執務室もまた固く扉が閉ざされて、その前には衛兵達が物々しく立っている。  それと同時にロシュフォールが他国の王女を王妃に迎えるとの話も密かに進んでいるとも。  これは自分達の娘を王の愛妾へと差し出す機会かと貴族達は騒然となったが、その間もなく王は数日後に軍を引き連れて四門の街へと出兵した。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇  いっぽうレティシアは現在、ルグラン国の山中の森の中にいた。  もうじき日が落ちるということで、ここで野営となった。夕餉の食事としてパンと干し肉が出されたが、レティシアはそれに手をつけることなくお茶だけをもって「少し散歩する」と野営地を離れた。  パンと干し肉の匂いから逃れて「はあ……」と息をつく。  王都を離れて数日後から、どうにも胃の調子が悪い。食べ物の匂いが鼻をついて、茶と水以外喉を通らないのだ。  果物ならば食べられたが、こんな山中の行軍にそんな贅沢は望めない。森へと入ってからはお茶と無理してのみ込んだ干し肉のスープ以外、口にしていない。  とはいえ人間は数日食べないぐらいで死にはしないとわかってはいる。茶は喉をとおるのだからなんとかなるだろう。  四門の街までたどりつければいいのだ。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇  王都を離れて五日の強行軍で、ロシュフォールが率いる軍は、四門の街へと着いた。  しかし、その城門は固く閉ざされていた。長年の戦乱の場であった石の城壁は高く、鉄の門は堅牢であり、これを破るのは容易ではないと見えた。  長期戦を覚悟しなければ。  城壁の上には弓兵の他に魔法兵の姿もあって、サランジェ軍が近づくと、威嚇の矢を射られ、また火球も飛んで来る。  その攻撃が届かないギリギリでロシュフォールは進軍を止めて、城壁の上にいる兵士達とにらみ合った。そして、おもむろにその手を頭上へと上げると、手から雷光を放つ。  ドン!という音ともに、ひと筋の光が雷の落ちるのとは逆に天へと昇る。  「なんだ?」「サランジェの王様のこけおどしか?」と城壁の上でからかうボルボン兵の声は、同時に湧き上がった「わあっ!」という街の中の悲鳴と怒声にかき消された。 「なんだ!?」 「荷車から兵が!?」 「どういうことだ!?」  そんな混乱の声。  サランジェへの門は固く閉ざしていたボルボン国であったが、自国と他の二国の門は開いていた。あちこちに兵を配置していたが、カジミールからの商隊に対しての警戒は甘かった。東方からの品を山に積んだ荷車がなぜかサランジェ側の門へと近寄るのを許すほど。  「そっちは閉鎖されているぞ」とボルボンの兵がのんきに声をかけるのと、東方の絹織物をはねのけて、屈強で知られるルブラン国の傭兵が姿を現すのとは同時だった。  その中でも一人目立つのは銀の髪を翻す、小柄な姿。サランジェ側の門へと駆け寄ろうとする兵士達に向かい彼が白い手をかざせば、たちまちその足下白く氷りついて兵士達を足止めする。  そのあいだにルブランの傭兵達によって、門は開かれて、ロシュフォール率いる軍がなだれこんでくる。  こうなればもうサランジェ軍に勢いがある。街の中に侵入されただけで、大半のボルボン兵達は戦意を失って自国の門へと殺到する。捕虜となったのは、それで押し合いへし合いして倒れたり、仲間に踏まれたりして怪我をした者達という情けなさだった。  あとは街の中に隠れた兵士達を探し出して、朝に始まった戦闘は、昼前には終わっていた。  こうして、四門の街はすべてサランジェ王国のものとなり、逆にボルボン国はこの半分を失う形となった。  これがレティシアの考えた策だった。王の不興を買ったとボルボン国のみならず、自国の者達さえ騙して、自分は数人の護衛を連れてルグランへと渡り、そこで傭兵部隊を雇い入れた。山国のルグランは牧畜と傭兵稼業の出稼ぎで成り立っているのだ。  さらに用心深く四門へはルグラン側からではなく、カヴァッリ側から商隊を装って入ったのだ。そのためにはルグランの山中を越えてカヴァッリ側へと一旦入る手間がかかったが。 「終わったな」 「はい」  久しぶりに会った銀狐の姿にロシュフォールは微笑んだが、怪訝に眉を寄せた。 「少し痩せたんじゃないか?」 「山越えの強行軍でしたか……ら……」 「レティシア!」  ふらりと倒れた細い身体を、ロシュフォールは抱き留めた。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇  四門の街のサランジェ王国側の国境管理長の館。主人の寝室の寝台にはレティシアが横たわっている。  ロシュフォールが伴ってきた若い侍医は、まず一度、鑑定魔法をかけて、その全身を調べてから「命に別状はありません。軽い栄養失調と脱水症状ですね」と癒やしの魔法をかけてから「ん?」と首をひねり、そして、それから幾度も幾度も確認するように、診察のための鑑定魔法をかけている。  レティシアは目を覚まさず命に別状はないと聞いて、いったんホッとしたロシュフォールも「どうした?」と苛立った声をあげる。 「いえ、あ、あの、これはあり得ない。いや、でも、確かに……」 「だから、はっきりと言え!」 「これは王都にいらっしゃる、私の師である侍医長に確認しませんと、なんとも……」 「急病人を前にして、悠長に王都にいる侍医長を呼んでいる場合か!今すぐに、レティシアの病がなんなのか言え!」 「それが、これは病とは言えず、いや、しかし、確かにこの方は男性で……」  「なにをごちゃごちゃ言っている!」とロシュフォールが怒鳴れば「騒がしいですね」と寝台から身を起こそうとする細い姿に、ロシュフォールが慌てて駆け寄って抱き起こす。 「陛下が大声を出されては、侍医がとても怯えて、より言いづらくなります」  ロシュフォールの腕に寄りかかるようにして、レティシアは青ざめている若い侍医に話しかける。 「どのような病でも隠し立てすることはありません。陛下もこの者を罰することはないと、誓ってくださいますね?」  レティシアに言われて「ああ」とロシュフォールがうなずくのに、若い侍医は「あの……私もこんなことは初めてで、信じられないのですが」と口を開く。 「幾度も鑑定魔法で確認したので、間違いありません。参謀様のお腹の中には新しい命が宿っておられます」  その言葉にレティシアの肩を抱くロシュフォールが固まる。さすがのレティシアもひとつふたつみっつと考える時間があった。 「私の中に命とは、それは妊娠しているということですか?」 「はい、参謀様は男性でいらっしゃいますが、身籠もられています」  「俺の子か?」とぼうぜんとつぶやいたロシュフォールに「お疑いですか?」とレティシアが返す。 「とんでもない、かけらも疑うか!」 「わあっ!」  次の瞬間ふわりとレティシアはロシュフォールに抱きあげられていた。腕にレティシアを座らせて、見上げるロシュフォールは満面の笑みを浮かべている。 「俺達の子だ」 「はい」 「レティシア改めて言う。俺と結婚して王妃になってくれ」 「それはお断りします」  きっぱりと言ったレティシアに「なんでだ!?」とさけぶロシュフォール。あとは「俺の子を身籠もったんだから王妃になれ」「なりません」と二人の言い争いが続き。  若い侍医はただおろおろとするばかりだった。
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