第七話 銀の王妃の戴冠

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第七話 銀の王妃の戴冠

 王都に戻らねばならない。  が、レティシアは身重である。  馬にまたがるなど論外だ!とロシュフォールは言った。  レティシアもそれほど無茶ではないので、馬車で移動するのにはうなずいた。  だが、これは聞いていない。 「陛下、どうして、私は陛下の膝の上に座っているのですか?」 「俺が“抱っこ”して一緒に乗り込んだからだ」 「…………」  その通りである。  レティシアはとしては自分が馬車に乗り、ロシュフォールが馬と、これでは主従逆転してるようで、不本意ではあるが、事情が事情であるから仕方ないと思っていた。  が、ロシュフォールは馬にまたがることなく、レティシアをひょいと抱きあげて馬車に乗り込んだ。  さらに自分の膝に横抱きにしてしっかり抱えた。それこそ、腕の中に宝物でも抱え込むみたいにだ。 「ずっと膝に座らせるなど、おみ足が辛くなられませんか?」 「全然だ。だいたい、お前軽すぎるぞ。腹の子のためにも、もう少し食え」 「今はあまり食べられません」 「ああ、果物は大丈夫だったな。道中、新鮮なものを届けるように手配してあるから」 「…………」  実際、旅の最中には近隣の様々な果物が届いて、あまり食欲はなかったが、それでも、山中の行軍中のようにお茶だけということは避けられた。  自分一人の身ならば無茶もするが、お腹の中の子のことを思えば少しでも食べたほうがいいだろう。  しかしだ。  ロシュフォールは自分の膝に抱きかかえるだけでは不安だったのか、馬車のなかには、無数のクッションが敷き詰められていた。自分達の座る椅子の脇にも反対側にも、さらには足下にまで、羽毛がたっぷりはいった最高級の織物で包まれた、ふわふわのそれが。 「私は落とせば割れる卵ではありませんよ!」 「俺にとっては宝石で作られた卵より貴重だ!」 「宝石の卵なんて、私は神話生物かなにかですか!」 「そんなものより大切に決まっているだろう!」  馬車から漏れ聞こえる会話を、周りを取り囲んだ近衛の騎士達は、ニコニコと聞いたのだった。  王都への戻りはレティシアの身体のことも気遣って、ゆっくりと進んだ。昼休憩もしっかりととり、日暮れ前には先触れをしておいた、領主の館にはいる。  王を迎えるということで、領主の館では当然、歓迎の晩餐をということになるが、それをロシュフォールの先触れの使者は「おおげさな歓迎は無用と陛下はおっしゃられています」と伝えて、領主に残念そうな顔をさせた。使者は要望として新鮮な果物を用意することと続けて、さらに「これはいまだ公に出来ないことゆえ、なにぶんご内密に……」と領主の耳元でささやいたのだった。  さて、この手の話というのは内密になどと、言えば言うほど、じつのところ広まるものだ。  十日ほどかけて王都へと到着したレティシアは、さすがにロシュフォールの膝からおりようとしたが、がっしり回った腕はびくともせずに、そのまま馬車は王都の正門をくぐってしまった。  とたん城までの沿道を埋め尽くす、人、人、人。四門の街をボルボン国から取りもどしたのだから、凱旋する王を出迎える熱狂かと思いきや、どうも「王様万歳!」の人々の声に混じって聞こえてくるのは。 「王子様万歳!」 「なんて、おめでたいんだ!」 「戦争の勝利に続いて、お世継ぎ誕生なんて!」  その声にレティシアは頭の上のとがった耳をぴくぴくと動かして、次にじとりと自分を抱っこする男を氷の瞳でにらみつけた。 「これはどういうことですか?」 「いや、秘密というのは隠せば隠すほど広まるというのは本当だな」  ロシュフォールがいい笑顔で言うのに「全然、秘密にしてないではないですか」とレティシアは痛むこめかみに指を当てた。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇  ロシュフォールの暴走?はこれだけではおさまらなかった。  凱旋の列が王宮に着くと、レティシアを大切に両手で抱いて、ゆったりとゆらさない歩みで玉座の間に向かったのだ。  玉座の間にはすでに廷臣達だけでなく、この知らせに駆けつけたであろう地方領主達も集まっていた。レティシアの父である辺境伯の姿もあったが、彼の席次は作法通り、玉座より少し遠い真ん中の位置だ。  王の覚えめでたき参謀殿は、自分の身内や縁者をひきたてることのない無私無欲の人でも有名だった。ロシュフォールとの関係をあれこれ言う者はあっても、レティシアのことを廷臣達が悪し様に言い切れないのはこれがあった。  その王の最愛の参謀が、王の子を身籠もったというのだ。しかし、いくら美しくてもレティシアは男だ。居並ぶ廷臣や貴族達のほとんどの顔は、懐疑的であった。  玉座に腰掛けたロシュフォールは、抱いていたレティシアをそのまま自分の膝に座らせた。レティシアは逆らわない。ここで隣にある普段の定位置である背もたれのない椅子に移動など、自分を抱きしめた腕が逃してくれるはずもないし、ジタバタと暴れたうえに「離す」「離さない」の王との痴話ゲンカを、居並ぶ者達の前で披露する趣味はない。  玉座の前に歩み出たのは、侍医長だ。ロシュフォールに「今回の慶事のこと、調べはついたか?」と問われて「はい」とうなずく。 「従軍した侍医の報告からして、レティシア参謀様がご懐妊されているのは間違いないと、思われます」  侍医長の言葉に玉座の間がざわめくが、ロシュフォールが軽く手をあげれば、ぴたりとそれは静まる。侍医長の言葉は続く。 「しかしながら、男性が身籠もるというのは長年治療師をしている私も経験がございません。  ですが我々侍医長のあいだのみ伝わる、王統の系譜に関する秘文がございました。にわかに信じられない内容ゆえに、わたしも一度目を通したのみで、まさか……と忘れ去っていたのですが」 「前置きはいい、それでその秘文とはなんだ?」 「はい、中興の祖とよばれるエドガール豪胆王。こちらの実の母君が銀狐の男性であったと」  あとで侍医長が「これは憶測にすぎませんが……」と詳しく説明してくれた。 「狐族のほとんどは女子で生まれます。が、まれに生まれる男子というのはすべて、銀狐や白狐や黒狐などの通常の金茶の毛並みとは違うものなのです。  そもそもが狐族というのは女子が望まれるもので、大変言いにくいことですが、男子は生まれるとすぐに始末されてきたという悪しき因習もございました。  ですから、私が見つけられたのは、王統の秘文のみにございますが、もしかすると狐の男子というのは両性具有もしくは、男子でも妊娠可能な個体なのかもしれません」  とのことだった。  侍医長の言葉に玉座の間はまた、大きなどよめきに包まれたが、ロシュフォールの目配せをうけた宮廷大臣が「静粛に」と声をあげると、その声は再びおさまる。  ロシュフォールがおもむろに口を開く。 「我が参謀であるレティシア・エル・ベンシェトリに公爵の称号をあたえて、新たにシャトレ公爵家を興す」  王族ではないものに、まして辺境伯の庶子にすぎないレティシアに公爵の位を与える。さらには今ある公爵家の養子とするのではなく、あらたに家を興すなど信じられないことであった。  だがレティシアにはロシュフォールの狙いがわかっていた。すでにある公爵家の養子に……などと言われたら断っていただろう。一族のしがらみというものを嫌う点でだ。  もっとも、いくら新しい家を興すといっても、レティシアは公爵の位など望んでおらず、ただの王の参謀であればいいのだが……と思いかけて、いや必要か?と思い直した。  五段ほど高い玉座からは居並ぶ貴族達の姿が見えた。当然中程にいる父である辺境伯の顔もだ。  いままでもこれからもレティシアは、有能なものなら別だが、ただ血縁だからと能なしを取り立てる気はみじんもない。しかし、自分が国母という言い方も妙だが、ともかく王の子を生んだならば、必ず彼らの顔色をうかがい便宜を図ってもらおうとするものは出てくる。  新たな公爵家を興すということは、この縁を断ち切る良い機会だ。レティシアがただの辺境伯の庶子ではなく公爵となれば、身分が遥かに上となった自分に父や親族たちも安易に接することは出来なくなる。  しかし、ロシュフォールはレティシアをただ公爵としただけでは、満足していなかったらしい。  いや、そもそも彼を公爵としたのは。 「同時にレティシア、いや、シャトレ公には王妃と同格の称号である大公の位を与えるものとする。  王の“伴侶”としての大公の戴冠式は無事に御子が誕生したあととする。以上」  後に黄金の太陽王と呼ばれたロシュフォールが定めたこの称号は、王の伴侶となった男性の狐たちに受け継がれることになるのだが、それは後のこと。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇ 「まったく、私にかけらの相談もなく、よくもやってくださいましたね」  後宮は王妃の間にて、レティシアはしっぽをぶわりとふくらませて怒っていた。猫足の長椅子で腰を抱かれて横に座るのではなく、膝に座らされてしまったのは、馬車の中でもずっとそうされてきたからだ。  「先に言えば絶対拒否しただろう?」とのロシュフォールの言葉に「当然です」とレティシアは答える。 「辺境伯の庶子に過ぎない私を公爵にしたうえに、さらには王妃と同格の大公なんてどうかしています」  本来ならめんどくさい根回しとか色々したところで、名門貴族達の間から文句は出るだろう。それをいきなり玉座の間で王たるロシュフォールが宣言してしまったのだから、誰も表立って反対など出来なくなってしまった。
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