番外編 プロムナード

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「マルタ殿下の公爵位に関して、同時にあなたに私から話が一つあるのですが」  レティシアの言葉にアーリーはパチパチと、その白く輝く長いまつげをしばたかせた。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇  マルタ殿下がモンクティエ公爵位を受けて、その祝いの夜会では、年頃の令嬢達が大勢着飾って参加した。  この将来有望な殿下にお目に止まり、正夫人となれたならば……と。  しかし、その彼女達のもくろみは粉々に砕けることになった。  なんと同時に従者のアーリーがレティシア大公殿下の養子となることが発表され、彼にもマルシャル子爵の称号を与えるとロシュフォール王自らの朗々たる声で告げられたのだ。  これの意味するところは大公殿下がアーリーの後見となり、子爵となったことで貴族の仲間入りをしたということ。  マルタ殿下のたんなる従者、使用人から、共に横に並んでいても、誰にも文句が言えない身分となったのだ。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇  アーリーは最初、レティシアの申し出を断ろうとした。自分はただの従者としてあの方のおそばにずっといられればいいのだと。  が、レティシアは「あなたには拒否は出来ません」と静かに告げた。 「これは陛下と私の命です。マルタ殿下と共にあるためには、あなたにもそれなりの身分が必要だと、わかりますね?」  そう言われてしまえば、アーリーに拒否することは出来ない。だから「わたくしの身にはあまるものですが、お受けいたします」と答えるしかなかった。  そして……。 「これでやっとお前に求婚できる。これからは僕の伴侶として一生を共にしてくれ!アーリー!」  二人が暮らす別宮のサロンにて。共に夕餉をとったあとのことだ。マルタの突然の言葉に、アーリーは目を丸くした。  従者である自分は本来、主人であるマルタと一緒に卓を囲むなんて出来ない。しかし、マルタにいつものごとく「アーリーと一緒じゃないと寂しい」と言われて、ずるずると続いてしまっていた。  それがいけなかったのだろうか?とアーリーはこの状況を考えた。  椅子に座る自分の前に片膝をついて、頭を垂れたマルタはまったく凜々しかった。きっと貴族の令嬢ならば、それだけでうっとりとしてしまう見事な求婚だろう。  求婚……そう求婚だとマルタは言った。  この従者の自分に。 「いけません!」  アーリーは叫んだ。それはとても恐ろしいことのように思えて、彼は青ざめて震えてさえいた。  自分は一生、この方の従者でいいと思っていた。一生おそばに仕えるのだと。 「わたくしが正夫人など、あ、あり得ません!」  混乱してアーリーは立ち上がり、その場から逃げて自室に立てこもった。 「アーリー、アーリー出てきてくれ!」  ドンドンと扉をたたく音が聞こえたけれど、アーリーは寝台に突っ伏して布団を被り、聞こえないフリをした。  扉をたたく音はやがておさまり、最後に「僕は絶対あきらめないからな」なんて恐ろしい言葉が聞こえたけど、それ以降は静かになった。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇  眠れない。  眠れるわけがない。  寝台に突っ伏したままアーリーはそこでかなりの間過ごしたけれど、そのまま寝るなんてことは出来なかった。  身を起こす。時刻はとっくに真夜中だ。  諦めないなんてマルタは言っていたけれど、もう寝台に入って休んだだろうか?  アーリーは気になって、マルタの寝室へと続く扉に近づいた。自分の寝室はマルタの部屋の隣にあって、扉でつながっている。  これもマルタのわがままだった。使用人の自分の寝室は本来屋根裏か地下にあるべきだ。それが「夜中に目が覚めて、呼んですぐにアーリーが来てくれないといやだ」とそんな幼かった彼のお願いを聞いてしまい、そのまま……。  扉を開いて足音を忍ばせて、天蓋付きの寝台を見る。カーテンの閉まってないそこに誰も寝ていないことはすぐにわかって、アーリーは青ざめた。  こんな夜中にマルタはどこへ!?  まさか、自分が拒否したからヤケになって、別宮を飛び出したのか?あてもないのに!と、慌ててアーリーは寝室の隣の控えの間へと出た。  すると「アーリー?」と不思議そう声がした。 「どうして僕の寝室から出てきたんだ?」 「マルタ様こそ、どうして、わたくしの寝室の扉の前にいらっしやるんですか?」  控えの間はマルタの寝室とアーリーの寝室へと繋がっている。そのアーリーの寝室の扉の横に、マルタは毛布にくるまり座っていたのだ。 「どうしてって、お前が僕の求婚を受け入れてくれるまで、毎晩ここで寝ようと決めたから」 「なぜそんなことを!」 「陛下が大公殿下に求愛されたときにこうされたと聞いたからだ。これが真実の愛だと誠意を示されるために、一ヶ月間扉の前で寝られたと」 「一ヶ月間……」  大公殿下もいい加減ご容赦がない。アーリーは大切なマルタを一晩だって床に寝させるなんてことは、出来なかったので「あなたのお気持ちは分かりましたから来てください!」と言って、その手を引いた。  彼は素直に立ち上がり、そしてアーリーはマルタの寝室に向う。寝台の前に導いて「さあ、今夜はお休みください」とうながした。 「アーリーも一緒だ」 「わ!」  軽々抱きあげられて、一緒の寝台へと。よく考えたら、二人とも寝間着にも着替えていなかった。朝になったらしわくちゃの服を、世話係のメイドのオルタンスにあきれられるに違いなかった。 「は、離してください」  なんとか抱きしめられた腕の中から逃れようともがくが、マルタのいつの間にやら力強く育った腕は、がっちりとアーリーを捕らえて離さない。  前から気付いていたけれど、二人の種族からの体格差はどうしようもなく、マルタは黒獅子でアーリーは細い白狐なのだと思い知らされる。  きっとこのまま求められたら自分は拒めない。  じわりと涙目になれば「アーリー、僕のことが嫌いなのか?」とマルタが焦りながら、それでもアーリーを抱きしめる腕は解かれない。 「違います、あなたを嫌いになるなんてあり得ない」  アーリーはパタパタと首をふる。無意識にその頭の上の白い耳はぺたりと寝ていた。ぽろりと白い頬にこぼれた涙を、マルタがぺろりと舐める。 「しょっぱい」 「当たり前です。涙です」 「僕はアーリーがずっと好きだ。お前もずっとそばにいてくれるのだろう?」  アーリーはこくりとうなずいた。この方の正妻に……なんて今は考えられないけど、でも、共にいたいことは変わらない。 「なにがあっても、おそばは離れません」 「ならいい。今日は一緒に寝よう」  その今日は……が、今日もになって、ずっと一緒の寝台で眠ることになってしまうのだが、このときうなずいたアーリーは知らなかった。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇ 「それであの二人は一緒に寝ている“だけ”なのか?」  王の執務室。午後のお茶の時間。優雅にカップを傾ける自分の妻にして参謀を前にロシュフォールは顔をしかめた。 「アーリーが頬を染めて報告した内容はそうですね。寝台は共にしているようですが」 「まったくふがいない。せっかく俺が知恵を授けてやったというのに」 「それは寝室の扉の前で寝るという、あの馬鹿な行為ですか?」  レティシアはあきれたように言う。「マルタ殿下第一のアーリーは、それを見たとたんに殿下を寝台にお連れしたようですよ」と返す。 「だから、そのまま、なぜ抱かなかったのだ?」 「手の早かったあなたと違い、マルタ殿下は紳士でいらっしゃいますから」  おっとりしているように見えるマルタだが、それだけでなく思慮深く忍耐強い。  なにしろ去年、騎士の叙任もアーリーも同時にと望んだ、その前からロシュフォールやレティシアに密かに根回ししていたのだ。 「国王陛下、大公殿下。アーリーは従者として僕のそばに一生いてくれると誓ってくれました。  だけど、僕はアーリーともっと……陛下と殿下みたいになりたいのです。どうしたらいいですか?」  あの黒に金色の光が混じる真っ直ぐな瞳で、彼が訊ねてきたのは、まだまだ子供の面影が残る頃の話だった。 「そもそも、耳年増のあなたと違って、マルタ殿下もアーリーも本当に純粋ですから、いずれ、自然に結ばれることでしょう」 「自然にというがな。いつまでも子供のように一緒に寝るだけだったらどうする?」 「そのときはあなたがマルタ殿下に教えてください」 「う、うむ、しかし、俺はどうも人に教えるのは苦手でな」 「それも父親代わりの役目ですよ」  実際のところレティシアの言葉どおり、一年もしないうちに、二人は本当の意味で恋人同士になっていたのだけれど。  さて、生真面目なアーリーがそれでマルタの伴侶になることを承知するのは、またまたの大騒動があったあと……だったりする。
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