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そのあまりの変わりなさに美容に必死な貴婦人がたがなんとかその秘訣を聞こうとしたが、彼は冷ややかに「とくになにもしていませんが。あなたがたのように卵や小麦粉を顔にぬったくりもしていませんし」と彼女達の心をぽっきりへし折ったのは、有名な話だ。
その母大公は沈黙をたもち「そんな」と口を開きかけたミシェルにロシュフォールがさらに告げる。
「それから三日後のリンドホルム国王が帰国する別れの夜会にも出席は不要だ」
それではクリストフが帰るまで一度も顔を合わせることもお別れの挨拶も出来ないと、ミシェルは唇を噛みしめ、キッと父の隣に座る兄をにらみつける。
「兄様、父様に言ったの?」
「当たり前だ。お前には一国の王子という自覚が足りない。俺達に内緒で他国の王とたびたび会っていたなどな」
ロシュフォールが「相手側のクリストフ王にも厳重に抗議するつもりだった」との言葉にミシェルは、彼に迷惑がかかったのかと息を呑んだが、レティシアの「私が止めました」との言葉にホッとする。
「よく事情も分からず頭ごなしに抗議など国同士の問題となります。
それに、おそらく初めはミシェルからあちらに押しかけたのでしょう?」
「はい、母様。僕からクリスに会いに迎賓館に行きました」
「「クリス」」とうなるように父と兄が言うのにミシェルは無視する。そして、五年前に彼と出会った森での出来事を話した。
「じゃあ、森でお前をさらったのはあの男か?」
声を上げる兄に「さらったなんてとんでもない!」とミシェルは言い返す。
「森に一人で行ったのも僕だし、そこでクリスとたまたま出会って、逆に僕を助けてくれたんだから」
たしかにクリスは刺客に追われていたけれど、ミシェルが一人で彼らに出会っていたら、どんなことになったかわからない。
「それに安全になった翌日には、離宮まで送り届けてくれたのだし」
「あなたを保護してくださったことを、クリストフ王には感謝しなければなりませんね」
レティシアの言葉にロシュフォールが「一日、可愛いミシェルを誘拐した男に感謝だと!」と叫ぶ。それにミシェルはすかさず「母様の言うとおり、彼は僕を保護してくれたんです」と言い返す。それにぐぬぬとロシュフォールがうなる。
「事情はわかった。それではお前達が勝手に会っていたことは不問としよう」
「それじゃあ、今まで通りクリスに会いに行っても……」とミシェルが言いかければ「それはダメだ!」と二つの声がそろって叫ぶ。当然父と兄だ。
「クリストフ王と会うことは二度と許さん。最初に言ったとおり、お前は後宮で謹慎だ」
「そのあいだは俺が監視につくからな。俺の目をごまかして、あの男のところに行けるなどと思うなよ」
父と兄の言葉にミシェルはキッと二人をにらみつけてさけんだ。
「父様も兄様も大っ嫌い!」
衝撃を受けている父と兄を尻目に、ミシェルは立ち上がると食堂を出ていってしまった。
「こうなることは初めから予想出来たことです。あなたたちはその“覚悟”もなかったのですか?」
固まったままのロシュフォールとランベールに、レティシアは冷ややかに告げた。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
自室に閉じこもりベッドにうつ伏せでいると、コンコンとノックの音がした、誰にも会いたくないから、黙っているとカチャリと扉が開く音がした。
父や兄ならば「入らないで!」と拒絶するところだが、飛び起きて見れば立っているのは母、レティシアだ。
「母様……」
「まったく、食事途中で席を立つなど不作法ですよ」
「ごめんなさい、でも……」
「そうですね。陛下もランベールも、あなたに対してはいささか過保護過ぎるところがありますから」
レティシアは皿を手にしていた、それを寝台の横の小卓に置き「お食べなさい」と言う。
それはサンドイッチだった。たしかにミシェルは夕餉のスープを一口飲んだきり、席を立ってしまったから、なにも口にしていない。
側仕えのメイドがお茶を運んでくるのに、ミシェルは小卓を挟んで母と向かいあって席についた。
一食でも食べないことはよくないことだと、施術師としてミシェルにもよく分かっているから、食欲がなくても、サンドイッチを一口かじった。
「あの二人も落ち込んでいましたよ。いつもならば旺盛な食欲もなんだか、フォークもナイフも重そうにしていました」
しょんぼりした金獅子二人が、ぼそぼそ食事をとっている姿を思い浮かべてミシェルはくすりと笑ってしまう。
「本当に父様も兄様もいつまでも僕を子供扱いなんだから」
「そうですね。一切会うことを禁止するのはやりすぎだと思いますが、あなたはサランジェ王国の王子です。それを忘れてはなりません」
「はい」
身分には責任が伴うというのが、母大公がくり返し自分達に教えてくれたことだ。その行動が国の命運さえ左右することがあるとも。
「でもクリスに会うのはいけないことだとは、僕は思わない」
「あなたはまだ十五で、もう十五歳なのですよ。ミシェル。そして私と同じ狐族の男子であり、サランジェ王国の王子です。
あなたの結婚相手は男女ともにいるのですよ」
「…………」
母様と呼んでいるがレティシアは男だ。彼が双子である自分達を産んだから、狐族の男子は両性具有なのだとわかったという。
そして、ミシェルは大国サランジェの王子であるが、同時に王女と同じ立場だということだ。彼との結婚を望む王や王子は大陸各国にいると。
「でもクリスは僕が王子だから、会いに来てくれたんじゃないと思う」
たぶん彼は森でミシェルが名乗ったときに気付いていた。ミシェルの名を知らない王侯などこの大陸にはいないだろう。そもそも銀狐の男子なんてだ。
「そうですね。見たところクリストフ王は噂に違わぬ誠実で賢明な方でいらっしゃるようです。
けして、あなたと邪な気持ちで会っていたのではないとわかっています」
「なら、母様から父様にクリスに会えるように言ってくれる?」
「それはダメです。王が王子に命じたことなのですから」
「…………」
政(まつりごと)となると「あなた馬鹿ですか?」などと参謀として辛辣なことを、国王ロシュフォールに告げるレティシアだが、家庭内では常になんだかんだで父を立てている。「家庭というのは王国と一緒です。王を中心にすえなくてどうしますか?」とは母の口癖だ。
「母様もやっぱり、クリスと僕が会うのは反対なんだ」
「反対でもありませんが、賛成でもありませんね」
「なにそれ、いつもハッキリしている母様らしくない」
「それを言われると痛いですね。ですが、くり返しますが、あなたはもう十五で、まだ十五なのですよ」
「…………」
母の言いたいことはわかる。まだまだ子供扱いしたいが、王族の姫ならばとっくに輿入れしている年齢でもあるということだろう。
クリスの元へとミシェルが通っていると、他の貴族達に分かったりしたら、たちまち噂にもなる。
ミシェルだってわかってはいる。
わかってはいるけど。
「母様、人生は短いんだよ」
「若いあなたが言うことですか?」
「若者でも年寄りでも死は等しくやってくる」
「悲観主義なんてあなたらしくもない」
「そうじゃないよ。僕は施術師だもの。だからこそ後悔しないような生き方したいと思う」
どれだけ手を尽くしても消える命があることはわかっている。それで当初ミシェルが傷つくことになるのではないか?と施術院に通うことをロシュフォールに反対されたりもした。
それを「いつまで子供扱いしているのですか?」と父王に言ってくれたのは、母大公だ。
「絶対、クリスに会いに行く」
このままお別れなんて嫌だとミシェルが宣言すれば。
「がんばりなさい。今日からランベールがあなたの部屋の前で不寝の番をするそうですよ」
「母様、父様はともかく兄様はなんとかしてくれないの?」
「その父王の命をうけて、兄があなたを見張るのです」
「結局、母様も父様の味方なんだから」
プンと頬をふくらませたミシェルに、「私は誰の味方でもありませんよ」とレティシアが微笑んだ。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
「どうしても、そこを退いてくれないの?」
「お前を後宮から出すなという、父上の命令だ」
「明日にはクリスは国に帰っちゃうんだよ。ひと目会ってお別れだけでも言えないの? 兄様もついてきていいから」
「ダメだ!」
「兄様も父様も横暴だ! 大嫌い!」
またもやの大嫌い攻撃をうけて呆然とするランベールだが、扉に立ちはだかった自分より幅があり頭一つ分も高い兄の身体を押しのけることは出来ないと、ミシェルは唇を噛みしめて自室の中へと戻る。いささか乱暴に扉を閉める。
あの日以来、兄は自分にぴたりと張り付いて離れない。夜もミシェルの寝室の前に寝椅子を置いて寝ているから、寝ている間に抜け出すことも出来やしない。
明日にはクリスが帰ってしまうのに。
せめてお手紙だけでもメイドに頼んで渡して貰えないだろうか? でも、一度も会えないなんて……とミシェルはそのすみれ色の大きな瞳をじわりと潤ませる。
本当にこのままお別れ? でもお互いに好きだとあのとき、たしかに確認しあったのに。
そのときコンコンと窓をたたく音がした。
振り返ればガラス越しにクリストフの顔がある。慌てて窓をあければ、彼の長身がするりと部屋の中へと入ってきた。
思わず腕の中に飛び込めば、抱きしめてくれる。ほろりとこぼれた涙を、長い指がぬぐう。
「会いたかった」
「俺もだ」
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