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第一話 一年目の冬
リンドホルム王国の王都グンナルは白き森のただ中、北方にある。
三代前の建国時、王都をもっと南に移しては?とう家臣達の意見もあったようだが、それを始祖王スタイフは聞き入れなかった。
この白き森で生きる誇り高き銀狼が、冬の寒さを忌避するようでは王の資格などないと、そう吐き捨てたそうだ。
黒の森から白の森へと最近整備された道を抜けて北へと、王都へと近づくにつれて、夏の名残の残る緑の森が色付き始める。
「こっちではもう秋なんだね」
出会ったときと同じ赤いフード付きのマント姿、白馬にまたがったミシェルがあたりを見回せば、クリストフが「ああ」とうなずく。
「白の森の夏は短く秋は瞬く間にやってきて、冬は長い」
「詩的だね」とくすりと笑うミシェルこそ、赤や金色に紅葉し始めた森の中、まるでおとぎ話に出てくる妖精のように美しい。
クリストフの引き連れてきた男ばかりの供達も、初めは壊れ物を扱うように、この王子に接していた。本人が大変気さくで人懐っこいので、すぐに馴染んでしまったが。
サランジェ王宮より文字通りにミシェルを連れ去り駆け落ちした。……はずだったのだが……王都から出て一番最初の町に宿をとった。朝、そこに届けられたものに、クリストフは目を丸くした。
「さすが母様、わかっている」
なにも持たずに出てきたミシェルは、母大公レティシアから届けられた赤いマントをふわりと羽織りそして、同じく届けられた自分の愛馬である白馬に駆け寄り、ひらりとまたがった。
「さあ、クリス出発しよう!」
「ああ」とうなずきながら、駆け落ちとは?と心の中で思ったが、同時に義母?である大公殿下にひそかに感謝した。
ミシェルのために当初は馬車を用意しなければならないか?と思っていたが、十五の可憐な王子は意外にもお転婆……というは違うかもしれない。とにかく、達者に馬を乗りこなし、一日、馬にまたがっても少しも疲れを見せなかった。
乗馬というのはただ馬にまたがっていれば良いわけではない。実はかなり体力を使う。
「疲れてないか?」と気遣えば「これぐらい平気」とミシェルはけろりと言う。
「母様に鍛えられているからね。兄様のように将来軍務に付くことはなくとも、王子として自分の身は守れるようにって」
なるほど、あの父王と兄王子ではでろでろに甘やかしてわがまま王子に育ちそうだが、こんなに優しく純真に育ったのはあの母大公の教育か。やはり。
実際、馬もミシェルは達者だったが、母譲りの細身の剣も巧みに使った。旅の休憩時間にクリスも木刀で手合わせしてみた。
もちろん手加減はしたが、しっかりと護身のための剣術は身につけていた。「今度からはクリスが教えて」と微笑むミシェルに「ああ」とうなずきながら狼族の体力馬鹿ども用ではなく、ミシェル用の鍛錬を考えなければと思う。
それは国に帰る前に届いていた大公殿下の「あなたに嫁ぎましたが、まだまだ未熟なところもあり、学ぶべきものもたくさんあります」との手紙と、付いていた大公手書きの冊子で解決した。
ちなみにこの大公殿下の冊子は、リンドホルム王家の王子教育兼花嫁教育の指南書として王家に伝わっていくことになるのだが。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
「わぁ、綺麗」
美しく色付いた紅葉の森を抜けて、少し小高くなっている場所から見下ろした光景に、ミシェルは思わず声をあげた。
鏡のように美しい湖に紅葉の木々が映り込んでいる。そして、その真ん中にそびえる白亜のお城。青いとんがり屋根は、まるきりおとぎ話のお城のようだ。
「妖精王のお城みたい」
そうはしゃいでクリストフを振り返れば。
「ならば本当にそうなったな」
「?」
彼の言葉に首をかしげれば。
「妖精王ではなく、お前という妖精の王子を迎えてだ。ミシェ」
「っ!」
ミシェルはどかんと赤くなった。クリストフは大真面目でこういうことを言いだすから、心臓に悪い。
後ろにいる狼族の側近の騎士達が微笑ましく見守る中、クリストフは「ようこそ」と真っ赤なミシェルに告げた。
「わが王城、星の城(ヴィオ・ラクテ)へ」
「どうして星の城っていうの?」
王城へと渡る、これもまた美しいアーチがつらなる白い橋を馬で並んで行きながら、ミシェルは訊ねた。クリストフは「冬になればわかる」と答えた。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
そうして、迎えた一度目の冬。
「初雪だね」
城のバルコニーへと出て、空からちらちらと落ちてくる白いものをミシェルはその手で受けとめる。それに大きな手が重なる。
「寒くないか?」
「外に出たばっかりだよ。心配性だね」
でもその優しさが嬉しくて、後ろから自分を抱きしめるようにする、広い胸に寄りかかってミシェルはくすくすと笑う。
「クリスにもらったこの白貂のマントも温かいし」
暖炉に最初の火がいれられた日に、クリストフから贈られた。まっ白な雪のようなマントだ。衿元の赤い大きなリボンがミシェルには良く似合っている。
「それはよかった。だが、北の冬は身体の芯まで冷やす、少し外に居ただけでもな。気をつけてくれ」
「うん、それはクリスだけでなく、みんなからからも言われているからね、気を付ける」
国が近代化されて街道が整備されつつあるが、それでも冬には何人もの遭難者が出るのだ。過去には雪解けの遅れから、人も物資も通えずに辺境の村一つが滅びるという悲劇もおきた。
この国の雪と氷の厳しさを、まだこの小さな身体は知らない。
城の中で遭難することはないが、いくら室内が暖かくても雪に閉じこめられて、見上げれば幾日も灰色の雲が垂れ込める空ばかりでは、気鬱になるというものだ。実際そんな風土病もあるぐらいだ。
この冬を乗り越えてくれ……と。
クリストフは腕の中の小さな身体を抱きしめた。
が……。
「うわあ~まっ白!」
半月あまりも雪が降り続き、久々の快晴となった日。クリストフはミシェルにねだられて、城の中庭へと出た。
白いマントをまとって雪にあしあとをつけてはしゃぐ姿は、子犬のようだなとクリストフは思う。
雪に閉じこめられても、ミシェルはその朗らかさを失わず、城内をくるくる動いていた。午前は勉学にいそしみ、午後は城の地下に作られた鍛錬場で、他の狼の騎士達とともに自分用の細い木刀を元気に素振りする。
それから三日に一度。
「殿下先生!」
「イーサク、もう熱は出てない?」
「うん、治った」
「本当かな?ちょっと診せて」
城住みの騎士の小さな息子の顔を、ミシエルはのぞきこむ。その表情は笑顔であるが、瞳は真剣で触れる手つきは施術師のものだ。
殿下先生という呼び名は、子供達がいつのまにか口にし始めたものだ。怖い顔をした先生より、優しい顔をした殿下先生がいいと子供達に人気だと言っていた、施術院長の少し傷ついたような顔を思いだして、クリストフはくすりと微笑む。
他国の王子であり十五歳と若いミシェルが施術院で施術師をすることに、最初、他の施術師たちは不安の目を向けていたが、しかし、その疑念はすぐにはれた。
癒し手として優秀なだけではない。医学や薬学の知識も素晴らしく、施術院長が「まこと得がたい宝をサランジェより迎えられましたな」と感謝されたほどだ。
子供達からは殿下先生と呼ばれ、大人達からは癒やしの殿下と今では慕われている。
そんな考え事をしていると、ぽふりと肩に軽くなにかがあたった。雪玉だ。
「クリス、遊ぼう」
先ほどまで子供を真剣な顔で診ていたのに、今はその子供のような顔で笑う。後ろでは中庭に出てきた城の子供達が雪合戦をし始めている。
「わかった」
たまには童心に戻るのもいいとクリストフもそれに加わった。
陛下が雪合戦をされているぞと城の騎士達に知れ渡り、非番の者達までそれに加わって、良い大人の男達も含めて、みんな雪まみれとなった。
「うわ~びしょぬれ~身体熱くなってきたから、マントは脱いで無事だったけど」
「今は運動で汗をかくほど温かいが、すぐに冷える。サウナに行くぞ」
「うん、サウナだね!」
サウナはリンドホルム特有のもので、全裸になるなど嫌がるか?と思ったが、最初からの豪快な脱ぎっぷりに、クリストフは面食らったものだ。
「男同士なのになに気にしているの?」と本人はきょとりとしていたが。「男同士だが、君は俺の妻だぞ」という言葉はのみ込んだ。
しかし、今回は「寒い~」「あったまるぞ~」とドヤドヤと騒ぐ騎士達に混じって、城の共同サウナに向かおうとしているのはいただけない。
「ミシェは俺とこっちだ」
「わあっ!」
片腕でさらうように抱きあげて、王家専用のサウナへと向かった。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
王家専用のサウナは木目込み細工でつくられた雪花模様の床が美しいものだ。大理石の壁面には王家に伝わる銀狼の神話が浮き彫りにされている。
焼けた石に水をかければ黙々と白い蒸気が発生する。同時に心地よい花の香りが室内に漂う。水には香油が混ぜてある。
霧のように蒸気があがる中、木の長椅子に座るのは儚げな妖精が一人……と言いたいところだが、その妖精はすねてむくれている。
「みんなと一緒に入りたかったのに」
「それはダメだ」
長椅子の横に腰掛けながら、クリストフが言えば「ずるいよ」と薄紅の愛らしい唇をとがられて、ミシェルがつぶやく。
「僕、聞いたんだから」
「なにをだ?」
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