第一話 一年目の冬

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「僕が来る前までは、クリストフもみんなと一緒に入っていたって!」 「…………」  たしかに以前は騎士団員たちと一緒に共同サウナに入っていた。自分一人で王家のサウナを使うまでもないと思っていたからだ。  しかし。 「ミシェ」 「なあに?」  隣に座っているミシェルが不機嫌な顔ではあるが、こちらを見上げる。汗に濡れて白いひたいに張り付く銀の髪、すみれ色の大きな瞳。花咲くような小さな薄紅の唇。細い首筋、薄い身体、長い手足は棒きれのようだ。そして布に包まれた腰も、壊れそうに細い。 ────目に毒だな。  こんなのを若い狼たちの中に放り込んでみろ、鼻血を吹き出してみんな倒れそうだ。 ────いや、俺も若いんだが。  我ながらかなり我慢強いと思わないでもない。 「君は俺の伴侶だな?」 「うん、クリスは僕の、は、伴侶だよ」  ちょっと照れたように目を反らす。そんな表情も大変愛らしい。 「だからだ。自分の伴侶の裸を他の男の目に触れさせたくない」  生真面目に告げれば、すみれ色の瞳が再びこちらを見る。サウナの熱だけでなく、頬がぽうっといっそう色付いたように見えた。 「クリスが嫌なら仕方ないな。うん、わかった」  こくりとうなずく素直な子だった。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇  王城を囲む湖が完全に凍り付く頃に冬祭は開かれる。  湖の南に広がる城下町は、冬期となれば日暮れと同時に早々に灯りが落とされるが、この日ばかりは大通りに露店が並び、温かな色のカンテラが店先に揺れる。雪に白く染まった街で、その様はどこか幻想的だ。  クリストフから贈られた白い毛皮マントを羽織り、これもそろいのふかふかの帽子をかぶったミシエルが、キラキラと輝くすみれ色の瞳で露店を見て回る。横には黒いマントをまとったクリストフが並び、二人の騎士が護衛についているが仰々しさはない。  「ごきげんよう、陛下」と露店の女将から声をかけられて、クリストフは片手をあげる。王都といえどサランジェ王国の王都エーヴに比べればはるかに小さい街だ。王と民の距離は近い。 「ようこそいらっしゃいました、殿下」  ミシェルが一つの露店をのぞけば、その主人がにこやかに迎える。それは二つの意味があるだろう。我が店にいらっしゃいませと、この遠い北国にようこそという意味と。 「見せてもらっていい?」 「どうぞ、どうぞ」  ミシェルがにっこりと微笑む。人々の視線は感じるが、人自体はそれほど集まることなくさりげなく視線をおくり、それぞれの祭りを楽しんでいる。我が国ながら良い民だとクリストフは思う。  「雪の王女様みたいね」という小さなささやき声が、クリストフの良く聞こえる狼の耳に入り、思わず口許に笑みが浮かぶ。たしかに今の白いマントに白い帽子のミシェルはそう見えなくもない。  そんなミシェルは店主の説明を熱心に聞いている。店の品は木工の小物だ。金脈が見つかるまでは、狩猟に牧畜、そして豊富な木々がこの国の資源だった。  城こそ石造りだが、この都の家々はすべて木造だ。そのあまった木材の切れ端で木彫りをし、彩色をほどこす文化も生まれた。  ミシェルが手にとったのは木彫りの銀狼と銀狐のものだ。銀狼は以前からよく彫られていたが、銀狐がそれにくわわるようになったのは最近だ。  大国サランジェから嫁いできた“王子様”の存在は、最初王都の民にとって遠いものだっただろう。それを親しみ深いものにしたのはミシェル本人の力だ。  王城の施術院はすべての民に開放されている。癒やしの殿下の名は、王都の民のあいだですぐに評判となったという。  それを我が事のように嬉しそうに報告してくれた、元側近にして今は将軍の地位にあるイェランをクリストフは思い出す。普段は強面の顔がゆるんでいた。  ミシェルは銀狼と銀狐の小さな木彫りの人形を買うことにしたようだ。品物と引き替えに店主に自分の革袋の財布から銅貨を手渡していた。  この金はミシェルが施術院で働いた“給金”だ。自分には王妃としてのお小遣いはいらない。施術院で普通の施術師が働いた日当でいいとミシェルが言いだしたのだ。 「サランジェでも僕が施術院に通い出したときに、母様がそうしてくれたの。これがあなたの働いたお金ですよって」  これにはクリストフも面食らった。およそ働くとか給金という言葉に縁がないのが、王族というものだからだ。  それにミシェルは「これは秘密なんだけどね」とイタズラっぽく笑う。 「兄様は一日も働いたことがないから未だにお小遣いで、それは父様も一緒だよ」  母大公は王の参謀ゆえにその給金をもらっていると言う話に、クリストフは「それはサランジェの重要機密を知ってしまったな」と破顔した。 「では給金をもらうミシェより“お小遣い”の俺は貧乏だな」  実際のところ金脈を持つリンドンホルムの財政はけして貧しくはないどころか豊かだ。それにミシェルが「ううん」と首を振る。 「“無給”で国に奉仕する王様のお仕事は、お疲れでご苦労で大変なことだって、母様が言っていたよ」 「国に奉仕か。大公殿下らしい良いお言葉だ」 「僕にも手伝わせてね」 「ん?」  ミシェルがクリストフを見つめていう。執務室の椅子に座るクリストフの目線は、今は傍らに立っているミシェルとほぼ同じだ。 「今はこの国のことをもっと勉強しなきゃいけないけど、施術院だけじゃなくて、クリストフの執務を少しでも助けられたらいいなって思ってる」  きりりとした顔をするミシェルにクリストフは「ありがとう」と微笑んだ。  まだまだ子供っぽいところもあるが、しっかりと王の配偶者の自覚はあるこの王子に、胸が温かくなった。 「はい、これ」  そんな回想をしていたクリストフの前に、木彫りの銀狐が差し出された。小さなそれには革紐がついていて、なにかに付けられるようになっていた。 「俺にか?」 「こっちは僕が持つから」  ミシェルが銀狼のほうをそっと両手で包み込むようにする。 「この銀狐は君か?」  クリストフが受け取れば、ミシェルはぽ……と赤くなって「うん、そう」と素直にうなずく。 「ありがとう、大切にする」  その言葉どおり、次の日から王の衣のベルトに付けられ揺れるそれに城の人々は思わず微笑み。  もちろんミシェルのベルトにもまた、銀狼が揺れるのだった。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇  冬祭から帰ったあと「まだ眠くないか?」とクリストフに確認されて、ミシェルはこくりとうなずいた。 「じゃあ、少し付き合ってくれ」  そう告げられて城のバルコニーへと導かれる。冬用の二重の重い木の扉を開ける重々しい音がして、クリストフがうなずくままに、外へと出てミシェルは目を見開いた。  わぁ……なんて歓声も出ない。ただそのすみれの瞳で、バルコニーから見える風景を一心に見つめる。  祭は終わり街の灯りは落とされている。そして、凍結して鏡のようになった湖面に映るのは、頭上の星々だ。  まるでこの城が星の海に浮かんでいるような光景。  たしかにここは星の城(ヴィオ・ラクテ)だ。 「ありがとう」  自然に口に出ていた。後ろに立つクリストフを振り返る。 「僕をこの国に連れてきてくれて、誓い(ゲッシュ)を守ってくれて」  この国に来てからゲッシュの意味を知った。それはただの約束なんかじゃない。戦士の立てた誓いは違えることなく絶対なのだと。  それをクリストフはした。十歳の自分に。  父王を失い国を失いながら、この人は立ち上がり王となって自分を迎えにきてくれた。 「僕、この国にきて良かったって思ってる。森の木々は美しくて、冬は寒いけどこんなに綺麗で……」  再び湖面を振り返る。またたく星々。明け方まで眠らないなんて言われているサランジェの王都では、見ることの出来ない風景だ。 「おとぎの国みたいなこのお城も、熱いサウナも大好きだよ。みんな優しくて親切で」  殿下……と慕ってくれる人々の顔を思い出す。でも、一番に思い浮かべるのは。 「クリスとまた会えてよかった。これからもずっと一緒にいられるなんて嬉しい」  そのためならば父に母に兄、優しい家族と別れることも、国を出ることも迷いはなかった。  大好きな人のそばにずっといられる。  ぽろりとこぼれた涙に、我ながら慌てる。「えっと、これは星が綺麗で、なんか感激して……」と言い訳すれば、同時にたくましい腕に抱きしめられた。  温かい大きな身体にすっぽりと包まれる。 「俺も君に会えてよかった」  濡れた頬をぬぐう唇の感触も優しい。  「愛してる」と互いに告げた言葉は、互いの唇の中へと消えた。
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