第二話 二年目の冬

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「熱だけは癒しで下げることは出来るけど、それだって地方となれば優秀な施術師もいないよね?」  王城に戻りクリストフと広い寝台に横たわりながらミシェルは話す。 「たしかに子供の死亡率は王都より、地方の……とくに辺境の村々のほうがはるかに多いな」  まして、雪に閉ざされる冬となれば、施術師がいる近くの町といっても、トナカイのソリで一日以上かかる距離だ。急患にはとても間に合わない。 「手洗いとうがいの習慣の徹底はなされているからな。去年は病が流行ることなく、今年もひどい状態とはなっていない。君のおかげだ」 「ううん、僕はただクリスに流行病の予防方法を話しただけで、民に徹底させたのはクリスだよ」  一年目の冬近くなり、施術院で流行病の話を耳にしたミシェルが、クリストフの執務室に飛び込んで提案した。それをふれに出すことを決めてくれたのは彼だ。  ちゃんとミシェルの名前で。  この王妃様の優しいおふれの習慣は、リンドホルム王国に根付き、他の流行病の感染もおおいに防ぐことになる。 「施術師がいない辺境でも、罹患した子供達が助かる方法を考えないとね」  ミシェルは腕を組んで考えこむ。そもそも、施術師とて無限に癒しが出来るわけではない。魔力を使えば体力も使う。大量の患者が出れば手がつけられなくなる。 「そういう意味でも命に関わる高熱は癒しで抑えることにして、あとは投薬に頼れるといいんだけど」  これまでこの子供特有の冬の流行病に、施術師達が手こずってきたのは、有効な薬草が見つからなかったからだ。  それもクリストフも知っているのだろう。「薬はあるのか?」と訊かれて、こくりとうなずく。 「サランジェからの薬草があるからね」  この国でこの病にうつ手がなかったのは、純粋にここで採れる薬草ではなかったからだと、ミシェルは目星をつけていた。  実際の症例に出会ってみなけばわからなかったが、がかかった子供達を診て、それも確信に変わる。 「冬に備えて十分に送ってきてもらってあるから、必要な分はそれで足りると思う」 「やはり君と君の国に俺は感謝しなければならないな」  建国して三代と歴史が浅いリンドホルムの友好国は、いまのところサランジェだけだ。  他の周辺国との仲は微妙で、とくに北の大国であるスタニスラワ帝国とは、クリストフが一度は国を叔父に奪われた、その叔父の背後に帝国があった経緯もあって断交状態だ。  とはいえ、サランジェからも物資の“援助”は受けていない。金脈で得た潤沢な資金があるリンドホルムは“輸入”による対価をきちんと払っていた。  最初、ミシェルが使う薬草なのだから代価はいいとロシュフォールは言っているという話を受けて、ミシェル本人もいいかと思ってしまったのだ。ちょっと大量なのは気がひけたが。  だが、それに待ったをかけたのはクリストフだった。きちんと金は支払うと使いの者に答えた彼にミシェルは首をかしげたけれど。 「俺は君の国と対等でいたい。もちろん本当に困ったときは援助に甘えるが、しっかりとした対価は払うのが一人前の国だろう?」  そう言われて納得してこくんとうなずいた。あとでレティシアからの手紙でも、クリストフは国を背負う自覚のある立派な王だとほめてあって、自分の甘さに赤面したものだ。  ミシェルもまたリンドホルムの王妃なのだから、もちろん生まれ育った国であるサランジェの縁を使ってもいいけど、すべてに頼るのは駄目なのだと。  今、やるべきことは。 「薬、がんばって作るね」 「あんまり根を詰めすぎないようにな」  その夜は二人寄り添って寝た。  いつものごとく本当に寝るだけだけど、いつものようにクリストフの腕は温かかった。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇  翌日からミシェルは猛然と薬を作りはじめた。自分の書斎に籠もって、薬草辞典をにらみつけ鉢でごりごりと様々なものをすりつぶし。  あまりに頑張りすぎて、書斎でそのまま寝てしまうことも多々あって、気がつくとクリストフと一緒の寝台に運ばれていた。  運んでくれたのは当然クリストフで、寝間着も着替えさせてくれたのか?と一番最初の翌朝は、ちょっと赤面してしまったけれど。  とはいえ、そんなクリストフの気遣いもあってミシェルは半月ほどで薬を完成させることが出来た。  まずは王城の施術院で試し、確かな手応え得てから、それは辺境の村々まですぐに届けられた。厳冬のこのなか、馬やトナカイのソリを走らせてくれた人々にミシェルは感謝した。  そして、やってきた春。 「地方の町や辺境の村々では、君のおかげで子供達が無事に春を迎えられたと感謝しているそうだ」 「それはクリスだけでなく、みんなのおかげでもあるよ」  街道を整えるのは国の役目だと、クリストフが辺境の村々まで目を向けていたのをミシェルは知っている。今回、厳冬期でもすみやかに薬が届けられたのは、早馬とトナカイのソリを使った緊急時の連絡網がしっかり作られていたおかげだ。 「しかし、やはり薬を作ったのはミシェだ。皆からの感謝の品が届いている」 「わぁ、綺麗!」  王城の居間にて、その品々にミシェルは思わず歓声あげた。  色とりどりの刺繍。袖無しのジレやチュニックにびっしりと、どれほどの手間がかかったのか?と思う。  雪に閉ざされる厳冬期。女達の手慰みの手仕事であると教えられた。動物や花を模したその模様には、家族や子供達の健康と幸福を願う、様々な意味があるとも。 「これ着ていい?」 「ああ、良く似合うだろうな」  その日より、この国の民族衣装をまとった愛らしいミシェルの姿に、クリストフだけでなく、王城の者達が目を細めたのはいうまでもない。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇ 「あら、殿下、ごきげんうるわしゅうございます」  城の施術院へと向かおうとしたミシェルだが、突然かけられた声に振り返った。  みれば金赤の耳と尻尾を持つ赤毛の狐族の娘が、こちらに近寄ってくる。  ミシェルは大きな瞳で彼女をじっと見つめて、次の言葉を待った。  この王城でミシェルより上なのは、王であるクリストフただ一人だ。だから彼女から名乗りをあげて挨拶すべきなのだ。  ミシェルがそれをゆったりと待っていると、娘は焦れたように口を開いた。 「ウルリッカ・ウルスラ・ハットネンですわ。どうぞお見知りおきを、殿下」  長いスカートの両わきをつまんで、彼女は膝を折る。それにミシェルは「そう」と答える。  とたん彼女の眉間にしわが寄ったが、別にミシェルは尊大な態度をとったつもりもない。後ろの彼女付きだろう侍女がハラハラしてる風だが、首をかしげるばかりだ。  ミシェルは生まれながらの王子なのだ。挨拶する相手が自分の顔と名を知っていて当たり前で、自分から名乗る必要などない。  だから相手がこのわたくしの名前も顔も知らないとは!と腹を立てているなんて、みじんもこれっぽっちもわかっていなかった。  正直知らない人だし。いや、この娘の家の名前ぐらいは把握はしている。ハットネン侯爵が彼女の父で王家に次ぐ一族であることも。 「まあ、本日の殿下の装いは素敵ですこと。ずいぶんと特徴的なお衣装ですのね。まったく古くさい、いえ、それがサランジェ王国は王都での流行なのですか?  わたくしなど流行遅れのドレスで恥ずかしいですわ」  娘は高々と髪を結い上げて、サランジェの宮廷にいてもおかしくないような豪奢なドレスを身にまとっていた。  ここまで言われるとミシェルにも娘が自分に嫌みを言っているのがわかる。しかし、自国の綺麗な衣装を絹のドレスより下とみる、その考えが分からず首をこてりとかしげた。 「このジレ似合ってない?」 「とってもお似合いですわ。その田舎くさい、いえいえ、民族的なお衣装が」  ますます馬鹿にしたように娘は口許に勝ち誇ったように笑みさえ浮かべようとしたが、ミシェルが先ににっこりと微笑んだ。それに彼女の表情が気圧されたようにこわばる。 「そう、クリスもね、僕にとっても似合ってるっていってくれたよ。このリンドホルムの衣をまとった僕を見られてうれしいって」  ミシェルには娘に対して悪意など微塵もない。素直に微笑み、率直に思ったことを口にしただけだ。  しかし、それで娘はなにも言えなくなり、ミシエルも施術院に行かなければならないために、その場をあとにした。  後ろについている護衛の騎士の若いほうが、呆然としている娘から離れてから吹き出した。ミシェルがなに?と振り返れば。 「いえ、お見事にございました殿下。あの気位だけは高いウルリッカをやり込めるなど見物でしたな」  別にミシェルとしてはそんなつもりはなかったのだが、騎士は我が事のように得意げに。 「あれで父親の侯爵が娘を王の側女(そばめ)になどと言いだしていますが、娘は殿下に鼻っ柱をへし折られたうえに、陛下もけしてお受けになどならないでしょうから、安心してください」  ミシェルが「え?」と思わず声をだせば、年長のほうの騎士が「この馬鹿者!」と叱責し、とたん年若のほうが真っ青になった。 ────クリスに側女?側女って、愛妾のことだよね?  ミシェルはぼんやりとそう思った。
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