第四話 夏の行幸

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第四話 夏の行幸

 夏から秋にかけて、クリストフとミシェルは地方をまわった。王城の城下町に次ぐ大きな街に、小さな町、辺境の村々まで足を伸ばした。  冬の子供達の感冒は親達の不安の種だった。それが手洗いうがいで流行が防がれ、さらには薬も開発されてほとんどの子供が冬を越すことが出来た。  それもこれも、元から民に慕われていた若き王クリストフ。彼が大国サランジェから連れてきた癒やしの殿下のおかげだと、二人は訪れた各地で歓待された。  それでも、人々の心に不安がなかったわけではない。陛下が“伴侶”として連れてこられたのは“男の殿下”なのだ。  銀狐の男子の事情などこの北の国の素朴な庶民は知るよしもない。  しかし、その不安も白馬に乗って現れたミシェルの姿に一目で霧散した。  青みがかった銀のふわふわと波打つ髪に、この国で春の訪れを真っ先に告げてくれる、スミレの花の色の大きな瞳。少女と見まごうばかりのかわいらしいの銀狐の殿下。  その笑顔はまさしく花咲くようであり、自分達が贈った装束をまとったお姿に、まさか本当に着ていただけるなんて!と感激した。布も糸も厳選して丹精込めて作った、精一杯の品ではある。  それでも彼らとて、自分達の領主の姿を知っている。年に一度、領地に戻ってくるかどうかの王都の邸宅住まいで、土着の衣装など田舎臭いと見向きもせず絹の衣装をまとった貴族達をだ。  だからこそ、あの大国サランジェからやってきた王子様が、おらたちの服を着てくれた!という感激は大きかった。  今年も冬もはりきって王様と王子様のために刺繍にはげもうと、女達が言い合ったのはいうまでもない。  衣のことだけではない。行進中に白馬を止めておりたったミシェルは、沿道の片端に立つ小さな少女の前にやってきて身を屈めた。おずおずと彼女が差し出す野の花の花束をうけとって「綺麗だね、ありがとう」と微笑むその笑顔のかがやけることといったら。  そして彼らはただ街や村を見て回るだけではなかった。その村で夏になると流行る中毒を浅く掘った井戸にあるとミシェルは見抜き、クリストフはすぐに新しい井戸を掘るための兵士達を村に派遣すると約束し、それは彼らが去ってほどなく実行された。  技師もやってきて深く掘られた井戸からは、こんこんと清らかな水が湧き続けて、そこは殿下の井戸と名付けられることとなった。  また診療所のない村々を回るときは、引き連れていた施術師達とともに、ミシェルは病の村人達を診た。評判の殿下の癒し手に人々がさらに感謝したことはいうまでもない。  それもただひとときやってきて、ほどこしたのではない。施術師がいなくても対処できるようにと各村々の村長の家に薬の入った大きなチェストが置かれたのだ。  そして、ミシェルが最後に人目を避けるようにして必ずおとずれるのは。 「自己満足かもしれないけど」  村人達に見せるものではないから、ミシェルは村を出たあとに寄るようにしていた。村の郊外の森にある共同墓地をだ。  いくら手洗いやうがいを徹底させて、特効薬となる薬草を作り出しても、それでも失われる命はある。 「神様じゃないんだから、すべてを助けられるなんて傲慢なことは思ってないけどね」  今日訪れた村は最も北に位置していて、感冒が流行る季節ならば幾つもの子供達の命が失われることがあったという。  今年は一人ですんだことに感謝しておりますと村長は語った、その子の家族には気の毒でしたが……と。  ミシェルは真新しい墓標を前に、そっと手を合わせる。横にならんだクリストフも同じように。 「それでも全員助けたかったな」 「ミシェの気持ちは俺がわかっている」 「うん、ありがとう」  村人が知ればきっと、なんて慈悲深いなんてミシェルのことを讃えるのだろう。だけど失った子を思いだして悲しむ人達はいる。その子の母や父だけでない、成長を見守っていた周りの人達も。  ミシェルだって施術師となったときに覚悟していた。いや、なりたての頃は未熟だったのだ。幾つもの命を見送って泣いて、それでも施術師をやめようとは思わなかった。自分が出来うることで精一杯、これからも努力し続けますと小さな墓標に誓う。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇  地方を回る途中でウルリッカが嫁いだ領地にも寄った。  絹のドレスではなく、色鮮やかな刺繍の衣で出迎えた彼女にも目を丸くしたミシェルだが、彼女のお腹はふっくらとふくらんでいた。  結婚相手の子爵の領地へと戻ったところで、妊娠がわかり領地で夫ともども一冬超すことにしたのだと彼女は言った。  子爵は華やかな金茶の狐族の彼女とは対照的に朴訥(ぼくとつ)な狼族の男だったが、夫婦仲は思ったよりも悪くはないように、ミシェルには見えた。  領地のことでクリストフと子爵が話すなか、ミシェルはウルリッカに誘われて庭でお茶となった。彼女が以前、クリストフの愛妾となろうとしていた事象を知る護衛の若い騎士が当然のように付いてきたが、ミシェルは会話が聞こえない距離に離れてくれるように頼んだ。遠くからこちらをじっと見ている。 「そんなに心配することはありませんのに……と言いたいところですけど、以前のわたくしの態度知るユッシには心配でしょう」  ユッシとは青年騎士の名だ。「王城の騎士達はみんな殿下の騎士(ナイト)ですもの」ところころ笑う彼女にミシェルは長いまつげをしばたかせた。  初めてあったときのとげとげしさは消えて、ずいぶんと穏やかなな雰囲気を彼女はたたえていた。 「もちろん、殿下の一番の騎士は陛下ですわね」  その言葉にも嫉妬心などというものは見られなかった。彼女は己の腹をなでて。 「結婚を急いだ父をずいぶんとうらみましたわ。あげく、こんな田舎に足止めなんて」  ミシェルは無言で先をうながした。言葉とは裏腹、彼女は微笑を浮かべていた。 「陛下に比べたら、ずいぶんとうちの夫は見劣りするでしょう?最初はこんな冴えない人と思ったけれど、明らかに態度に出ているわたくしにいつも優しくて、私の父に遠慮しているのか?と思ったら、わたくしのことをずっと好きで、思いきって求婚したんだと言いだしてきて」  「馬鹿正直で恋の優雅な雰囲気もなにもない告白」と彼女は苦笑する。だけど、その真っ直ぐさが彼女の心にとどいたのだと、ミシェルにはわかった。幸せそうに大きなお腹を撫でる仕草で。 「派手なことは嫌いで、わたくしの姿を見るためだけに夏の王城に通っていたって、本来は領地で領民達とトナカイの世話をしていたほうが落ち着くなんて、本当に地味」  なんていいながら「あの人、狼族なのにクマのようにむさ苦しいでしょう?実際、力もあって私も軽々と運んで」とけなしているのか自慢しているのかわからない。 「こんな辺境と思いましたけど、空気と水と作物が美味しいことだけが取り柄ですわね」 「それがお腹の子には一番だと思うけど」 「ですね、領民達もとても善良で素朴で、ここでは中央で流行っているドレス姿なんて、滑稽もいいところですわ」  以前は高々結い上げていた金の髪は、花の刺繍がされたスカーフに包まれている。「お腹の子にもコルセットはよくないですからね」と彼女は朗らかに笑った。  それは王城で見たより、何倍も素敵な笑顔だった。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇ 「赤ちゃんかぁ」  領主の館の客間にて、ミシェルがつぶやけば「ウルリッカか?」と言われてミシェルはうなずく。 「とても幸せそうだった」 「君も欲しくなった?」  そう言われてミシェルはきょとんとして、次に頬をかあああっと赤く染めた。  たしかに自分にも赤ちゃんが出来るのだった。クリストフとは二年も前から夫婦で、春には本当の夫婦になったのだし。 「う、うん、クリスの子なら可愛いと思うな。銀色の子狼でしょ?」 「それを言うならミシェルの子ならもっと愛らしいな。銀狐の姫にしろ王子にしろ、城の狼どもは溺愛しそうだ」 「僕達の子なら、狼でも狐でもどっちでもいいよ。どっちもかわいいんだもの」  ミシェルは自分の尻尾がせわしくなく、ぱたぱたと動くのを感じた。自分だって王子なのだから、耳やしっぽに感情を出さない訓練は受けている。  だけど、大好きな人の前では、まして二人きりでは出ちゃうのは仕方ない。母様だってそうなんだからと思う。  冷静沈着なレティシアだが、夫であるロシュフォールと痴話ゲンカ?しているときは別だった。どんなに「あなた馬鹿ですか」なんて言っていたって、父の逞しい腕に抱きあげられた、ほっそりと華奢な母。その毛づやのよい銀色の尻尾はふわんふわんとご機嫌そうに揺れていたのだから。  それを見るのがミシェルは大好きだった。 「え?」  そんなこと考えていると、長椅子に隣同士座っていた、クリストフの膝に軽々抱きあげられていた。彼の腕は父同様にたくましくて、母同様に細い自分は軽々抱かれてしまうのは同じだ。 「では、俺達も作るか?」  以前は一緒のベッドに寝ていてもただミシェルを抱きしめるだけで、とても忍耐強かったクリストフだが、一度ミシェルとそうなってからは、若い欲望を隠そうとしなくなった。  優しさは変わらずに、ちょっと強引で男らしい、その誘いがミシェルは嫌いではない。あらたな彼の一面を知った感じだ。 「うん……あ……しっぽ、もまない…で……」 「かわいらしい、しっぽだな」 「や、や……今度は耳…かむな…ぁ……」  椅子の上なんて、はしたなくない?なんて、ことが終わって裸でだきしめられた寝台の中で、ミシェルは赤面した。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
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