第六話 早すぎる冬の使者

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 三人でかしましく「顔だけはいい」だの「身体は小枝のように細くて丸みもなにもない」だの「そういうのが趣味な殿方もいますわ。珍種好きの蛮族の狼とか」とクリストを再度侮辱する言葉にも、ミシェルは表情一つ動かさなかった。もちろん内心では怒りがごおごおと燃えさかっていたが。  黙っていることに調子にのって、金赤の毛並みの一人が口を開いたところで、ミシェルは彼女をまったく見ずに、背後に立つ護衛の騎士に話しかけた。 「この者達はなんなのですか?」  王族であるミシェルが先から声をかけることも、名を直接訊ねることはない。向こうから名乗るのが礼儀である。  だからミシェルは従者でもある近衛騎士に話したのだ。目の前に立ちふさがるこの無礼者達はなんだ?と。  暗に彼女達の名前を尋ねるわけでもない。まったくの不審者扱いだ。  それに「なっ!」と三人ともかああっと顔に血を昇らせた。そして自らぺらぺらと口々に自分はターニャだのソーニャだの、カーシャだの名乗り、いずれも皇室の血を引く公爵の父を持つのだとわめいた。もっと長ったらしい名前だったが、ミシェルの耳にはそれは素通りした。  こんな失礼な態度をとるのは皇族である可能性も、ミシェルは考えたが、現在の皇帝には年頃の娘はおらず、他の皇族もみな年かさの女性ばかりだと、ミシェルは把握していた。  王族として他の王族の知識はある。さすがに国外の貴族までは把握してないが。  そう、ただの貴族の娘だ。 「私が通り過ぎるまで、頭を下げ顔を伏せているように彼女達に言ってください」  目の前に娘達がいるのに、あくまで直接話しかけることなく、後ろにいる近衛兵にミシェルは命じた。  その言葉に三人が三人とも顔色を変えて、ひときわ、気の強そうな赤金の髪の娘が「いつまでお高くとまっているつもり、人質の王子が!」と癇癪をおこしたてさけぶ。 「私はミシェル・エル・ベンシェトリ。サランジェ王ロシュフォール・ラ・ジルの息子にして、リンドンホルム王クリストフ・フォン・ベルツの王妃です。  この帝宮にはアルダリオン・ヴァレンチノヴィチ・ポルドニコフ陛下の“客”として招かれました」  そこでようやくひたりと、前を見たミシェルに三人とも気圧されたようにたじろいだ。  ミシェルの今の言葉でようやく彼女達は、誰を相手にしているのか、王族と貴族との身分差に気付いたようで幾分青ざめていた。皇帝の“客”と名乗ったことも効いているのだろう。  とはいえミシェルが彼女達の勢いに怯えて押し黙るような気弱さならば、人質の王子と馬鹿にし続けたのだろうが、手痛い反撃にあった形だ。  三人は大人しく端に退いて、膝を折って頭を垂れた。ミシェルはその前を通り過ぎた。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇  午後のお茶の時間より早く、アルダリオンはミシェルの居室のサロンへとやってきて「すまなかった」と謝った。  どうやら先ほどの三人の貴族の娘とのやりとりの報告を受けたらしい。近衛騎士から報告があがって当然であるが。 「地政学的なこともあり、帝国の貴族は他国の貴族との婚姻を結んで来なかった。それで皇室の血を引く家は、一つ上に見られる傾向がある」  なるほどとミシェルは納得した。それであの娘達は自分達が準皇族であり、人質の王子とミシェルをさげすもうとしたわけだ。  「言い訳にもならんが」というアルダリオンに「当然ですね」とミシェルはぴしゃりと返す。 「そもそも、あんな直接的な機知のカケラもないような物言い。彼女達には礼儀作法の先生の他に、話術の先生も付けた方がよろしいと、ご両親方に言ってください」 「やれやれ、彼女達をサランジェの王宮の夜会などに出したら、とんだ国の恥というところか?」 「そうですね。宮廷の主みたいな老貴婦人が、薄ら笑いを浮かべながら、『お茶会では、美味しいガレットをごちそういたしますわ』とでも、言うでしょうね」  「茶会の招きか?」と怪訝な顔をするアルダリオンにミシェルは口を開く。 「ガレットは南の田舎料理で王都の屋台でも人気だよ。そんなところで貴婦人がお茶会を開くと思う?」  絶句した相手にミシェルは「有名なのはお芋のガレットで美味しいけど『いも娘』なんて言葉に、お茶会に招かれたと喜んだら、恥の上塗りだよ」と続ける。  ミシェルはお忍びで王都に出たことが多々あるから屋台のガレットの味は知っている。あれは美味しいが、しかし、宮廷でガレットといえば、そういう意地の悪い暗喩になる。 「さすが大陸一、古い国の王宮なだけある。すさまじいな」 「そんなサランジェ生まれの僕にあの子達はケンカを売ったんです」 「近衛騎士たちが半ば怯えていたからな。自分達には無邪気な笑顔を見せる王子が、かの有名な大公殿を思わせる氷の様な威厳だったと」 「母様だったらもっと完膚なきまでに叩きのめされているよ。しばらく立ち直れないぐらい」  ミシェルはそんな鼻っ柱をたたき折られた、数々の敗北者達を知っている。  「恐ろしい」と苦笑するアルダリオンにミシェルは「そうそう」と告げる。 「“あの子達”だけど罰なんて与えなくていいからね。あちらから名乗って、脇に退いて頭を垂れてくれた訳だから」 「ミシェル殿下の寛大なるお心をもって、今回は“子供の起こしたこと”と大目に見てくださっているとでも、親共に言うか?」 「それは陛下ではなく、侍従の一人が伝言でもすればいいことでしょ?」  アルダリオンは片眉をひょいとあげて「わかった」とうなずいた。  ミシェルの言葉は寛大なようで、実のところ意地が悪い。  あの娘達はミシェルとそう歳も変わらない。婚約も結婚もしていてもおかしくない者達だ。“あの子達”と道理をわきまえぬ未熟な子供扱いしたうえに叱責もなし。  さらには親達まで皇帝からの叱責を受けることもなく、使用人たる侍従からの伝言など、逆にお前達にも娘にもあきれたと言われているようなものだ。  体面を気にする貴族社会でこれがどれほどの恥となるか。とはいえ、彼女達は自分の言動の責任はとらねばならない。わがまま放題の娘を野放しにした親達もだ。 「……それで皇帝陛下におかれては、僕をリンドホルムに」 「熟考中だ」 「…………」  完全に言いきる前に席を立ってしまったアルダリオンにミシェルは今日もダメだったか……と顔をしかめた。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇  午後のお茶に来なかった皇帝が夕餉のあとに部屋にやってきたのに、ミシェルは目を見開いた。 「なに?」 「来てくれ、見せたいものがある」  「外は冷える、これを」と毛皮のマントを肩に掛けられて、つれて来られたのは回廊を抜けた先にある物見のテラスだ。空中の庭のようになっている、そこに出たとたんミシェルは「わあっ!」と声をあげた。  空には一面の輝く光のカーテンが見えた。 「初めて見た、オーロラ?」  リンドホルムの冬は厳しいが、一度目も二度目の冬も見た事はなかった。クリストフ曰く、王城で見られるのは十年に一度ぐらいだと聞いていた。  「ああ、今年はずいぶんと早い」というクリストフの言葉とともに、ちらりと空から白い雪が舞うのにミシェルは目を見開く。 「雪が降ってきたな。すぐにあの光も見えなくなる」  空に雪雲が出ればオーロラは見えなくなる。それは当然だ。しかし、それよりもミシェルの心を曇らせたのは、早すぎる冬がやってきたことだ。  この雪はすぐに止むのか?そのまま降りつもるのか?そうなれば、深い雪はそれだけで自然の要害となる。  だから本格的な冬が来る前にこの国から脱出したかったのだが、あまりにも早い冬の到来といえた。 「雪が深くなったならば、そなたの帰国は春を待った方がいいだろう」  まるでミシェルの考えを読んだようにアルダリオンが告げた。それにどう返答したら良いか、ミシェルは押し黙る。  そこに「陛下!」と慌てたように侍従長がやってくる。「どうした?」と訊ねる皇帝と、そしてミシェルの姿に侍従長は一礼をし。 「皇子(みこ)様方が同時にお熱を、侍医達の見立てでは例の流行病かと」  そうアルダリオンに告げた。  
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