第八話 強行突破と雪煙とソリと狼たち

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 執務室まで追いすがってきた、宰相ミハイルの言葉はそれ以上続かなかった。アルダリオンの剣が、その胸の中央を貫いていたからだ。なぜ?と言葉にならず、表情が語っている宰相にアルダリオンは酷薄に笑う。 「エリザベートの死よりずいぶん長くかかったが、ようやく尻尾を現したな」  ミシェルを狙った刺客もアルダリオンの手で討たれたが、彼の死体こそがなによりの証拠だった。宰相が数年前より密かに雇っていた暗殺者という。 「数年かけて準備したあれの毒殺計画は完璧だったが、さすがに急ぎの仕事はボロが出たな」  皇帝家の外戚であるこの宰相は己の縁故の娘を皇妃にとずっと望んでいた。それを退けて唯一のわがままを通して迎えた最愛の女性がエリザベートだった。 「残念だったな。今度のスミレの花はお前に容易く刈り取られるようなものではない。この私でも敵わぬ」  どこまでも真っ直ぐにあの若き銀狼を愛していた。ただ守られるだけでなく、さいごには自分に短剣を向けてともに戦おうとした。  どさりと宰相の身体が床に倒れ、部屋に入ってきた近衛兵に命じる。 「宰相は突然の病で死んだ。遺体を運べ」  彼一人の死で一族の罪は問わないということだ。兵士達が宰相の死体を運んでいくのを一瞥もせずに、アルダリオンは執務室の窓辺に近寄った。帝都を出ていく小さなソリなど見えるわけない。  彼はなにかを振りきるように、窓に背を向けてつぶやいた。 「所詮ここは氷の帝宮だ。春の花には相応しくあるまいよ」    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇  狼たちの引くソリで帝都から脱出してしばらくいくと、今度はトナカイのソリが待っていた。二人と従者達がそれに乗り換えれば、狼たちが周りを囲んで走り出す。  「追っ手はないようだな」と言うクリストフにミシェルは「帝国の皇帝はくせ者だけど頭はいいからね」と答えると、彼は眉を寄せる。 「ずいぶん親しくなったのだな」 「毎日、リンドホルムに帰してくれるように交渉してたんだもん。顔をつきあわせていれば、お互い知るようにはなるよ」  ミシエルの言葉にクリストフはとたん笑みを浮かべる。 「迎えが遅くなってすまない」 「ううん、必ず来てくれるって信じていたから……」  見つめ合い、口付けを交わしあう二人に、御者台にいる従者達は見てみないふりをし、併走する狼たちも心なしか目を反らしているようだった。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇  懐かしい王城はすっかり雪景色で、その綺麗さに歓声をあげて、ほんの数ヶ月離れていただけだけど、思わず涙ぐんでクリストフにぽんぽんと頭を撫でられた。  ミシェルの不在は事情を知る上の者達はともかく、王城の使用人達には、サランジェに里帰りしていたということになっていた。みんなは温かく迎えてくれて、改めてここが自分の家なのだとミシエルはうれしくなった。  心配だった子供達の感冒だけど、こちらでは手洗いとうがいの習慣が徹底していたのと、発病者が出たとしても村々の末端まで配られた薬のおかげで、患者も増えず症状も軽くすんでいると聞いて安心した。  サウナで温まり身体を清めたあとは、温かな夕餉が並んでいた。肉団子のスープに、秋にたくさんとれる鮭をスモークしたもの、それを野菜とともに酢漬けに。  芋と小麦をまぜて作った皮に、タマネギとひき肉をいれて包んで蒸したもの。焼いた肉には潰した芋をかけるのがこちら流だ。ソースはコケモモのあまずっぱいもの。今日の肉は、鴨だった。  全部、ミシェルが好物なものばかりだった。懐かしい味に本当に帰ってきたんだと実感する。それはまだ凍る前の湖に浮かぶ城を見たときからだけど。  食後のデザートはこれもミシェルが大好きな、森でとれた色とりどりのベリーの砂糖煮を詰めたパイだった。あまずっぱくて美味しい。  そして、夜。 「本当に帰ってきたんだ」 「そればかりだな」  夫婦の寝室、いや、もとはクリストフの寝室なんだけど、一緒にずっと寝ているからミシェルの寝室にもなってしまった。  そこの寝台に懐くように寝っ転がって、ミシェルは今日何度目になるかわからない言葉を言っていた。 「だって、嬉しくてさ。やっぱりこの王城が僕達の家だよ」 「そうか、俺達の家か?」 「うん、ただいま、クリス」 「おかえり、ミシェ」  「クリスもお帰りなさいだね」と言えば「ああ、ただいま」と二人、自然に唇が重なっていた。  そして、何度も唇を重ね合わせるうちに、それは舌を絡める深いものとなる。クリストフの銀の髪をミシェルの細い指が切なくかき回して、銀の糸を引いて唇が離れれば。 「すまない、今夜はミシェを休ませてやろうと思ったが」 「僕だってクリスが欲しいよ」 「ああ、俺も欲しくてたまらない」 「ふぅ…あんぅ……」  また唇が重なる。そうして、ひたいに頬、鼻先に口付けの雨が降って、首筋へと吸われてチクリとした痛みに「あ……」と声をあげた。  そこから先はなんだか嵐みたいで、いつも丁寧なクリストフだけど、今日はそれを通り越して執拗だった。まるでミシェルの全身を確かめるみたいに、手首に痛くない程度にかしりと歯を立てられて、さらには足の指先にまで口づけられたのに息を呑んだ。 「今日の……クリス……へん……?」  ちょっと恐さを感じて訊ねればクリストフは、ミシェルの手を捕らえて、その手の平に唇を押し当てながら。 「君を疑っている訳じゃない。ただ、あの男にどうしようもなく腹を立てているんだ」  「それを君にぶつけるなんて……すまない」なんて苦しそう言う彼の頬を、ミシェルは力の入らない手でするりとなでた。 「いいよ、全部触れて……」 「ミシェは俺を甘やかすのが上手だな」  足を抱え上げられてすっかり立ち上がり蜜をこぼす、花芯を口に含まれるのに、ミシェルは抑えられない嬌声をあげた。  最初されたときはとてもびっくりしたけど、それがクリストフだと思うとなにをされてもいいと思った。だけど、そんなところに口を……という背徳感もあって、それが彼だと思うと……やっぱりぞくぞくする。 「あ……きゃ……でち……ゃ…うから……っ!」  そう告げたのに離してくれなくて、結局、クリストフの舌に先をくすぐられて、耐えきれずにはじけてしまった。  はぁ……と荒い息をついていると、こくりと彼の男らしい喉が動くのが見えて、涙目でにらみつけて「馬鹿ぁ」と言う。  抱き起こされるまま、逞しい胸板をぽかりとたたけば「すまない」なんていいながら微笑んでいる。 「ミシェ」とささやかれて、後ろの蕾を指がなぞるのに「あ……」と声をあげた。そこがひくついているのがわかって、かあっと頬が染まった。  だってもう自分はクリストフのたくましさを知っている。香油をまとった指が一本差し入れられるのに「ん……」と声をあげた。  それが二本、三本と増えて、知らず腰が揺れた。クリストフの長い指先が、感じる一点をかすめたのに嬌声をあげてのけぞった。確認するようにそこに触れられるのに、もどかしい……と思う。  指じゃ足りない。指ではないものを自分はもう分かってる。そこを満たされて、もっと奥まで。 「……クリス……欲しい…ちょうだい…ああっ!」  ミシエルの懇願に、クリストフは苦しげに眉間にしわを寄せる。そして指が抜き取られて、彼にしてはいささか性急になかへと入りこんでくる。 「あ……クリス、クリス……たくさん…して……」 「そんこと言われたら、止まらなくなる」  向かいあって、抱きしめあいながら一度。今度はうつぶせにされて二度目。そこから先は。  何度かわからないぐらい溶け合った。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇  早春を告げるスミレの花の咲く頃。 「施術師でも、自分のことはわからないんだよね」  ベッドに横たわったミシェルはどこか不満げで、それでいて嬉しそうだ。お腹に手を当てて、ニコニコしている。  胃の調子が数日悪く、これぞ施術師の不養生かな?と施術師長に診てもらったら、彼は顔色を変えて「おめでとうございます!」とさけんだのはつい先刻のこと。知らせを受けたクリストフがたちまちとんできて「別に病気じゃないよ」というミシェルの言葉を無視して、抱きあげられて寝台に運ばれてしまった。  ミシェルがクリストフの子を懐妊したという知らせは、王城にたちまち広がって、なんだか遠くから「万歳!」なんて狼騎士達の声が聞こえる。  次の日には王城どころか、城下の街の人々まで知るところとなり、王様と癒やしの殿下の御子様と、たちまち数日のお祭り状態になるのだけど。  その話は辺境の村々まで伝わって、翌春には王子のための小さな衣装がどっさり届き、ミシェルは喜ぶことになる。 「君はともかく、俺は城の者達に春に懐妊がわかって秋に生まれるなど、いかにもリンドホルムらしいとからかわれそうだな」 「そうなの?」 「まあ、長い冬に家に押し込められて、仲の良い夫婦ならば、巣ごもりするリスのように寄り添って当たり前だろう?」  要は長い冬にすることは一つということだ。「馬鹿」とミシェルは赤くなった。  秋には銀狼の王子の誕生に、国中がさらなる喜びに包まれたことはいうまでもない。    END
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