宝物二つ

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宝物二つ

   それは、夏となってミシェルのお腹がいよいよふくらんできた頃。 「クリス、お願いがあるんだけど」 「なんだ?」  王城にある王族の居室。そこは宮殿の格式張った冷たさはなく、色とりどりの布を継ぎ合わせたタペストリーに長椅子にかけられた布。森の植物や動物が幾何学的に刺繍されたクッションと、人々の手仕事の温かさに満ちていた。  長椅子に腰掛けたクリストフはミシェルを膝にのせて、その小さな手が自分の腹を撫でるのに、上から手を重ねていた。  己の愛しい妻を見る目は慈愛に満ちている。 「この子を産む時、一緒にいて欲しいんだけど」 「ああ、もちろんだ。俺はサウナの外にいるから」  リンドホルムの習慣として出産はサウナで行われる。そこが一番神聖で清潔な場所であるからだ。王家でもこの伝統は変わらず、クリストフもまた王族専用のあのサウナで生まれていた。 「そうじゃない。クリスにもサウナに一緒にいて欲しい」  ミシェルの言葉にクリストフは一瞬固まった。彼の考えとしては出産とは女の戦場である。ミシェルは男子であるが、子供を産む場に男は立ち入ってはならないという考えは古いのだろうか? 「母様が兄様と僕を産んだときも、父様がそばにいてくれたって。父様がさすがの母様もすごく痛かったらしくて、自分の腕に爪や歯を立てたって、すごいうれしそうに何回も話してくれた」  ニコニコしながら話すミシェルだが、クリストフはあとで、義父王にならって妻の出産に立ち合ったと、レティシアに話したときに、かすかにその美しい眉間にしわを寄せて言われることになる。 「私は出ていってくださいとお願いしたかったのですが、陣痛が始まってそれを言うどころではなくなったのです」  なるほど、たしかに初めて聞いたときに、この氷の大公殿らしくない話だなとは、思ったクリストフだった。  とはいえ、ミシェルは夫婦とはそういうのだと大真面目に信じており、クリストフもまた、それがサランジェ王室の“伝統”ならばとうなずいたのだった。  そして、御子の誕生前から王城には、さまざまな祝いの品が届いた。  金脈が発見される前は主力の物産だった、木工の細工。積み木のオモチャに、森の動物たちのかわいらしい人形。  そして、今の主産業から派生した金細工。御子の身をあらゆる災いから守るようにと、まじないの文様がほどこされたアンクレット。  どれもミシェルは喜んだが、とくに歓声をあげたのは辺境の村々から届けられた、御子のための産着だ。産着の背中には各部族ごとに少しずつ違う、守りの文様が刺繍されていた。 「みんなからお祝いされて、この子は幸せだね」 「そうだな」  だが、なによりこの癒やしの王子が民に愛されているからだと、クリストフは微笑した。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇ 「お腹痛いかな?陣痛が始まったみたい」  ミシェルの言葉は冷静だったが、クリストフがあわてて女達を呼んだのは言うまでもない。  助産の経験のある女官達が、ミシェルの準備をすすめるなか、クリストフはただ立っているしかなかった。「陛下!」と呼びかけられて、我に返ったぐらいだ。 「陛下も産屋に入られると殿下に聞いております。この白衣に着替えてください!」 「あ、ああ」  癒し手であるミシェルはまず手洗いとうがいを民に徹底させたが、同時に出産時に母胎と赤子を守るために清潔をいかに保つことが大事かも説いていた。  その点ではサウナでの出産はとてもよいことだと言っていた。あとは出産を手伝う者達の手洗いを徹底し、出来うるならば衣服も洗ったばかり清潔なものがよいと。  クリストフもあわてて手渡された白衣に着替えようとして気がついた。  自分がなぜかクッションを両手で握りしめたままだったことを。  思わず頬をそめて、そのクッションをおろして白衣に袖を通すクリストフに、女達が顔を見合わせてクスリと笑った。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇  産屋として使うサウナは、ミシェルが臨月となってからは毎日のように火をいれて清潔をたもって、準備万端となってた。  そこに数名の女達とともに入る。クリストフ以外はすべて出産も助産の経験もある先達ばかりだ。もっとも男のクリストフに経験もなにも無いのだが。  それをいうならミシェルも男子だ。一八歳となっているが、狐族の特徴なのか、その身体は華奢で細く、実のところふくらんでいくお腹に、これで出産に耐えられるのか?と内心では不安になっていた。  だが、それをミシェルの前で現せば不安になるだろうと、顔に出してないつもりだったのだ。  しかしそこは夫婦。どこか伝わっていたのだろう。ある日ミシェルは言ったのだ。 「クリス、母様は兄様と僕の二人も産んだんだよ。お腹も張り裂けそうにふくらんでいて、父様が不安で母様の周りをクッションまみれにしたことがあったって。  でも、母様も僕達も元気でしょ?だから、大丈夫」  「僕が丈夫なのは知ってるでしょ?それに施術師なんだし」と、にっこり微笑む愛しい妻をクリストフがそっと包み込むように抱きしめたことはいうまでもない。  そして。 「痛い、痛い、痛い、痛いのはどうしようもないけど、痛い!」  ミシェルはクリストフの腕にしがみついて、さけんでいた。そのすみれ色の瞳から、ぽろぽろ涙が流れている。それでも「息んで!」という女達の声に、顔を真っ赤にして「うぅう」と力を込める姿は、健気だ。  クリストフとしては、ただそばにいるしかない。「大丈夫か?」と言おうにも大丈夫ではないし、「痛いか?」というのも、見ていれば相当苦痛なのはわかる。  出来るなら痛みだけでも肩代わりしてやりたい。ミシェルはクリストフの腕にしがみついて、無意識に爪を立てているが、そんな痛みなど、ひたいに脂汗を浮かべているミシェルの感じているものに比べたら……と思う。  もはやミシェルは痛いも言えないで、歯を食いしばっている。あとで本人が「患者さんには、痛いの我慢しないで叫んでねって言ってるんだけど、本当に痛いとなんかもう、痛いも言えないよね」と言っていた。  「ううう……」とうなっていたミシェルは最後の最後で、クリストフの腕に思いきり噛みついた。  それも甘んじて受けた。  直後に元気な赤ん坊の泣き声が響いた。  産まれたのは玉のような銀狼の王子で、すぐに城中に知らせが回って、祝いの声が響いた。  が、そんな騒ぎは普段は良く聞こえるクリストフの耳には入っておらず、ぐったりとしているが美しい妻と、そして産まれたばかりの白い産着に包まれた吾子を腕に抱いて幸福に包まれていた。 「赤ちゃん、かわいい」 「ああ、元気な吾子をありがとう、ミシェ」 「僕こそありがとう、クリス」  さて、吾子が生まれた秋と吾子と初めて迎えた冬。  しっかりミシェルは身籠もって、翌年の秋には今度はかわいらしい銀狐の王女を産んだ。  数年後の里帰り、ロシュフォール王が愛らしい孫娘と別れたくないと、この国においていけとかなんとか、大騒ぎになったとか。
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