第六話 オレンジの木とイチジクのタルト

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第六話 オレンジの木とイチジクのタルト

     部屋に閉じこもって本ばかり読んでいては、身体も鈍る。  後宮を自由に歩いていいと言われていたから、シエナが部屋の外へと出れば、すぐに侍従が後ろからついてくる。  監視役とはもう思わなかった。シエナがなにか要望があるときに、すぐに対応するためだ。  後宮にはあの噴水の大きな中庭の他に、小さなものが所々あった。空き部屋が無数にある宮殿の奥で、幾人も愛妾が暮らしていて、彼女たちは外に出られない無聊(ぶりょう)を、ささやかな庭でなぐさめていたのだろう。  その中庭の一つに通り掛かった。噴水のある中央の庭や王族の居室がある区画と違って、普段は人が目にすることがないだろうそこは、手入れされているが緑の樹木だけで彩りがまったくない。  シエナは自分が住んでいた小さな家と小さな畑を思い出す。数本の林檎の木に畑に、畑の脇には花々を植えて通りかかる人の目を楽しませていた。 「あの……」  後ろで控えている侍従を振り返り、シエナは口を開いた。  翌日。  濃紺のリボンにお花で飾られたつば広の麦わら帽子を被ったシエナは、昨夜通りかかった中庭に立っていた。昼の衣装である白のブラウスに、深緑のくるぶしまでのスカートのうえから透けるチュールのひらひらフリルの縁取りがついたエプロン。両手が白手袋なのは「直接土いじりをされて、お手が荒れてはいけませんから」とメイドのコリーヌにつけられた。  そのコリーヌも飾り気のない麦わら帽子を被って、シエナの横に立っている。 「シエナ様、なんでもお言いつけください。お手伝いしますから」  勢いこんでいう彼女にうなずく。中庭には少し離れた場所で見守る侍従の他にもう一人、中年の庭師の男がいささか緊張した面持ちで立っていた。 「姫様にお言いつけされたとおり、適当に花を選んでまいりましたが、これでよろしいでしょうか?」  抱えていた木箱には苗がたくさん入っていて、シエナはのぞきこんで「これは?」とたずねた。良く知っている花もあったけれど、知らない葉っぱの形も多い。  聞いたことのない花の名前より、何色の花が咲いて大きさや形は、と訊ねると庭師は丁寧に答えてくれた。  うなずいて手渡されたスコップで穴を掘り植えることにする。「植えるまでお仕度します」と焦って口を開いたが「自分で出来ます」と返事をした。掘ってもらった穴にただ苗を植えるなんて、楽しくもなんともない。  「わたくしもやります」とコリーヌもスコップを手にする。庭師も交えて等間隔に穴を掘って、先に教えてもらった花の色や形を想像して、植えていく。わからないところは、庭師にこれは「どこに植えたらいいですか?」と聞きながら配置していく。  最後に手渡された金色ぴかぴかのじょうろでお水をかけて終わった。「明日、また見にきます」とシエナは庭師に言う。 「お水も草取りもしないといけないし」 「姫様、そのような世話はわたしどもがやっておきますので」 「いいえ、てづから育ててこそ、花が咲いたときに楽しみがあるでしょう?」  そう言って、シエナはぱちぱちと瞬きをした。  楽しみ?  あの小さな畑で林檎をとり、イモや他の作物をとり、花が咲いたとかりそめの祖母と笑いあった。 『明日にもカボチャがとれそうね。これであなたの好きなクロケットを作りましょうか?それにプディングも』  明日の収穫と料理を楽しみに。  それは確かにささやかであるが喜びでもあった。  たとえそれが暗示の延長線上にあったしても、それが平凡であたたかな暮らしといえるものだった。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇ 「花を植えたそうだな」  夕餉の席、いつものように丸い卓で向かいあって食事をしていると、ランベールに訊ねられてうなずいた。 「よく手入れはされていたけど、緑の木々ばかりで花がなかったから」 「花が好きなのか?」 「好きなのかな?」  正直、わからない。ただ、土をいじり手入れをするのは落ち着くし、明日も世話をしようと思う。 「咲くのが楽しみだな」 「うん」  それはうなずいた。手をかけた分だけ、綺麗に咲いてくれたらとは思う。  そして、夜。  皇太子の寝室と皇太子妃の寝室は扉一枚でつながっている。  スカートの生活に戻ってから、寝間着もまた、衿元や袖口にもレースをたっぷり使ったものに変わった。  コリーヌが「おやすみなさいませ」と寝室を出て行けば、しばらくして、隣の部屋との扉がカチャと開いてランベールが入ってきた。  すでに寝台に入っているシエナの横、部屋着のガウンをするりと脱いで入って来る。「おやすみ」とひたいに口づけて、彼は横たわった。  寝室を別にしたのに、どうして自分の寝台で眠らず、こちらに来るのか?  しかも最初の日以来、指一本手を出してこないのだ。 ────いや、別に手を出されるのを待ってるわけじゃないけど……。  胸の内でそうつぶやいて、シエナもまた目を閉じた。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇  翌日。  朝の執務にランベールが出かける。「いってくる」と言われて「いってらしゃい」と返すのも、休戦協定を結んでからの習慣だ。  それから花を植えた中庭へと向かって、お水をやって、花を植えたのは一部で、まだ大分空いているし、まさか畑をつくるわけにはいかないしな……なんて考えながら、居室に戻った。お昼を食べて午後の時間は本を読んで過ごした。  ランベールがやってきて「おかえりなさい」と出迎える。彼は金色のリボンがかけられた小さな鉢を片手に抱えていた。 「これをもらって欲しい」 「わたしに?」  それは小さな白い薔薇が咲いている鉢植えだった。「ありがとう」と受けとる。コリーヌに渡せば、それを窓辺においてくれた。  翌日、またランベールは鉢を持ってきた。綺麗な蘭の花で、その翌日はまた薔薇に戻ったけれど、今度は大輪の花だった。その次にはランベールは片手で軽々と持っていたけれど、シエナでは両手で抱えて持たないとちょっと大変なもので、オランジュの木が植えられていた。  室内でいいのか?と翌日、庭師に聞けば温かい季節は野外で、冬は室内か温室に入れればよいと言う。  では他の鉢もと思えば、薔薇もオランジュと同じようなもので、蘭は温室がいいだろうと言われた。 「よろしければ、この中庭に棚と小さな温室もお作りしましょうか?」  そう言われてうなずいたが、自分は冬までここにいるのか?とも考えた。結局、庭師のジャンが大工と相談しなければと張り切っていたので、なにも言わなかったけれど。  それに贈り物を受け取ってばかりで返さないというのもよくないと気付いた。以前の暮らしでは、近所から“お裾分け”があれば、次の機会には返していた。だいたい、料理やパイなどの焼き菓子だったけれど。  というより、自分にはそれぐらいしか思いつかない。  なので、少し離れた場所に立っている侍従にそれを伝えた。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇  後宮には料理上手で王の心を射止めた寵姫がいたという。彼女が使っていた台所とこぢんまりとした食堂は使われないまま後宮に残されていた。 「『毒は入っていません』とは、なんとも色気のない恋文だな」  小さな台所でくるくる動くシエナがよく見える、食堂と台所の出入り口に椅子を置いて腰掛けて、ランベールが口を開く。 「わたしはタルトにはなにもいれてないと伝えたかっただけだけど」  恋文ってなんだ?と思う。  休戦中なのだ。そもそも獅子族には毒がこれっぽっちも効かないことはわかっている。  鉢植えの礼として、この台所を借りて焼き上げた干しイチジクのタルトを、表の執務室に届けてもらったのだ。「毒は入ってません」のカードを添えて。  夕餉の席で「タルトは美味しかった。今度は手料理も食べてみたいな」というので「宮廷料理人にはかなわない、庶民の料理だよ」とかえせば、それでいいと昼を作ることになった。  ランベールは表からわざわざ早めに戻ってきて、自分が料理を仕上げるのを見ている。本当に変わっていると思う。  酢漬けのキャベツとソーセージの煮込みは前もって作っておいた。じゃがいものガレットを焼いて、最後にスフレのオムレットをオーブンをちらちらと見ながら仕上げた。  コリーヌが野菜の皮むきなど手伝ってくれて助かった。「これ、運んで」と入り口にいるランベールに煮込みのはいった鍋を渡したら、『殿下に料理を運ばせるんですか?』と目を回しそうな顔をしていたけど知らない。  大きな皿にふわふわのオムレツをのせて、これは自分で隣の食堂に運んだ。  卓一杯にならぶ料理に市井の普段の料理というより、祝祭のごちそうだなと思ったけれど、宮殿なんだからいいかと思う。  量も作りすぎたかな?と思ったけど、目の前の王子様がぺろりとあらかた平らげてくれた。皿が空になるままに、取り分けてやる。  「おいしかった、ごちそうさま」と言われて「また作ってくれるか?」と訊ねられ、こくりとうなずいた。  その三日後に、昼を食べたいと言われ、他に二人〝客〟を連れてくると言われて、二人作るも四人分作るのも一緒だからと承知した。  このとき、よく考えるべきだったのだ。  現在の後宮に入れるのが王族以外にいるか?ということを。 「お招き感謝する」  ランベール王子にそっくりな、しかし、一回り身体も大きく威厳のある、金獅子の大王の姿にシエナがぴしりと固まったのはいうまでもない。
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