第九話 文句があるならパイを焼いていらっしゃい

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第九話 文句があるならパイを焼いていらっしゃい

「ん……」  天蓋のカーテンの隙間から白い光が差し込んでいる。朝と思い、自分が裸なのに驚き、横を見てまた驚いた。  裸のランベールの腕に抱かれている。瞬間混乱しかけたけれど、昨日のことを思いだしてシエナは、ぽっとほおを染めた。  「愛してる」という声が耳によみがえる。言われたときは混乱していて、その言葉や目の前の身体にすがりつくみたいに抱かれた。  ただそのときのための使い捨てなのだと知った。暗殺と口にしながら、人を殺すことの意味さえわかっていなかった自分は、ただそのために育てられたことに絶望しかけた。  だけど、愛していると目の前の男が包み込んでくれた。だから、生きてそばにいて欲しいのだと。 「変わった人」  そう思う。誰が自分を殺そうとした相手を愛するだろうか?だから生きて欲しいと自分を憎めなんて言って、そのクセ行動は正反対だった。  自由にしていいといって、花を贈ってくれて、本やオペラにバレエとシエナの知らないことをたくさん見せてくれた。  だから。 「好きなのかな?」  抱かれておいて、かな?もないとは思う。手を伸ばして、夜に寝乱れた金の巻き毛、その前髪をかるく指ですくようにする。 「わっ!」  とたんぎゅっと力強く抱きしめられた。「おはよう」という声に反射的に「おはよう」と返す。ランベールがシエナのひたいに唇を押しつけてぼそりという。 「“かな?”はないだろう。“かな?”は」  なんのことか一瞬わからずに、ぱちぱちと瞬きをすれば「『好き』と断言すればいいんだ」と言われて、いまさっきの独り言を聞かれていたと、かああっと赤くなる。 「ひどい!寝たふりしてたのか?」 「お前の“告白”で目が覚めたんだ」 「好きなのかな?って言っただけだ」 「だから、素直に好きと言え」  なんだ?その自信は?と目をすわらせると、シエナを抱いたまま、ランベールが身を起こして「どうする?」と訊いてくる。 「要求して言わせるものじゃないと思うけど」 「そっちじゃない。休戦協定だ。今日で開けた」 「あ……」  シエナは気がつく。たしかに今日が一月後のあけの日だと。 「まだ俺を殺したいか?」 「それもあえて訊くのか?」  それもシエナに横抱きに座らせるようにして、黒髪に指をからませてだ。こんな体勢で、自分を殺すか?もない。 「もう、あなたを殺す理由もない。あちらだって、わたしがとっくに死んだと思っているだろうし」  昨日の少女の死が脳裏によみがえる。暗殺に成功しても失敗しても、その末路は廃棄されるような死なんて悲しい。  さらに悲しいのは、あの少女も、あのときの自分もそれをなんの疑問に思うことなく、すり込まれた暗示によって、人の命も自分の命も、ただ作業のように狩ろうとした。生きていながら、それはまるでゼンマイ仕掛けの人形みたいじゃないか? 「お前は死なせない」  自分を抱きしめる腕に力がまた入るのに「苦しいから」とぺちぺち太い腕をたたくが、この腕から出さないとばかり、ぎゅうぎゅうとされて苦笑する。  たしかに死ねないと思う。こんなに甘くがんじがらめにされてしまっては、魔女の呪いさえ発動しなさそうだ。  「では無期の休戦だな」との言葉にこくりとうなずいた。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇ 「足りんな」  後宮にあるシエナの小さな台所と、その横のサロンのようなかわいらしい食堂には、四人が囲める卓がある。  そんな食卓の椅子でもこの金獅子の王が腕組みしてふんぞりかえっていると、黄金の玉座めいて見える。  そのロシュフォールの言葉を受けたシエナは、たくさん作った料理だが、まだ少なかったと立ち上がりかけて「そうではない、満ち足りているし、うまいからかけなさい」と言われて椅子にふたたび腰を下ろす。  いつも昼にやってくるランベールに、そして今日はロシュフォールにレティシアも交えての昼餉。  本日のメニューは、なすやトマトなどの野菜をくたくたに煮込んだもの。鮮やかな緑の豆のポタージュ、酢漬けにした鱒の切り身をからりと揚げたものに、牛の頬肉の赤葡萄酒煮込み。  二人ならここで終わりだが、今回は健啖家が二人いるので、ウズラの骨を抜いて、なかに豆やソーセージの煮込みを詰めて焼いたものも用意した。  デザートはまだ出していないが、梨と栗のパイだ。  ちなみに皇太子が必ず昼時には後宮に戻り、さらには大王と大公まで参加する、この“昼食会”。シエナが凄腕の料理人で、極上の美食で皇太子どころか、国王夫妻まで落としたのだ、なんて言われているとは、本人は知らない。  知ったら、田舎料理を出しているだけなのに……と目を回しただろう。  そして、足りないのは料理ではなく。 「婚約者ならば伯爵令嬢でいいが、結婚したならば侯爵にしたほうがいいだろう」  いや、結婚したら皇太子妃になるんだから、別に爵位はいらないのでは?とシエナは思ったが『え?結婚!?』と固まった。あとでよく考えたら、いつのまに婚約していたんだ!?だったけれど。  これもあとでランベールに聞いたら、彼は皇太子であるが、同時にヴァンドーム公爵であり、グラス・ティリー侯爵であり、シャトーダン伯爵でもあるという。ようするに複数の爵位とそれにともなう領地を持っているということだ。  では、そのうちの一つのヴァンドーム公爵をシエナが名乗ればいいかというと、それも違うという。もちろん結婚と同時に、シエナにもヴァンドーム公爵夫人の称号がつくが、それとは別に皇太子の婚約者としての称号が伯爵令嬢だけでは心許ないと、そういうことらしい。  そう、セヴィニエ伯爵令嬢とは別の侯爵家の名をくっつけてくれるらしい。これも王家の領地からの名ばかりのものだからと言われて、安心して受け取ったら「俺の領地から城館一つと周りの荘園をお前の名義に書き換えておいた」と言われて、やっぱり目を回すことになる。  かくして、ファヴラ侯爵令嬢の名が翌日の宮廷で発表されることとなった。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇  かつては毎夜のように贅を尽くした夜会が開かれた王宮であるが、今は季節ごとの行事にしたがって節度ある間隔で開かれている。  本日は始祖王ギョームの生誕祭を祝う宴だった。  もう一つはシエナのお披露目をかねている。  シエナ・ウォートリー改め、シエナ・ドゥ・シェヴァルメという、貴族風の名前にも慣れないといけないだろう。ファヴラ侯爵令嬢。セヴィニエ伯爵令嬢という称号にも。  ずいぶんと自分の名は増えてしまったものだと思う。  そんなことをつらつらと考えながら、目の前でさえずる三人の侯爵に伯爵、子爵と見事に位を並べた、令嬢達のさえずりを右から左に流していた。 「まあ、本当に真っ黒なお耳に尻尾でらっしゃいますこと。わたくしたち生粋のサランジェ貴族には、出ない珍しい毛色ですこと」  と暗に身分のない平民がどこからやってきたのか?と、扇でもったいぶって口許を隠して侯爵令嬢が当てこすり。 「本当にその真っ黒な御髪には、地味な緑のドレスがよくお似合いですこと」  伯爵令嬢がほほほ……とわざとらしく笑う。  シエナの本日のドレスは青みがかったエメラルド色のドレスに薄紅のリボンに小さな薔薇の飾りをあわせたもの。だからよくお似合いなのは間違っていないが、地味などとんでもなく、この夜会で誰よりも輝いてみえたことはいうまでもない。  その艶やかな黒髪に大きくきらめく星のような瞳も、雪のように白い肌も、たっぷりとドレープを描くレースの飾り袖からのぞく、ほっそりとした腕さえ美しい。  皇太子と並び広間に入ってきた、シエナの姿に男達どころか女達も思わず見とれ、しかし、次の瞬間に彼女達は我に返って、きつい妬心の瞳でこの新参者の令嬢を見た。  彼女達からすれば、どこの馬の骨ともしれない平民の田舎娘が、まさか侯爵令嬢の位まで賜って、皇太子の婚約者となるなど、許しがたいことだったのだ。 「ファヴラ侯爵令嬢。セヴィニエ伯爵令嬢でしたっけ?さて、どこのお家なのかしら?そのような由緒正しいお家、わたくしお名前も聞いたことがなくて、どこのどちら様なのか、詳しくお聞かせ願いたいですわ」  子爵令嬢がずばりと切り込んでくる。さっきから黙ったままのシエナを囲んで自分達に怯えていると思ったのだろう。  逆でシエナはなんとも思ってないから、好きに言わせておこうと放置していたのだが。  一緒にいたランベールは、他国の外交官を交えた貴族の男性達に囲まれていた。自国の貴族だけなら、適当に話を切り上げてすぐにシエナのところに来たのだろうが、外交官もとなるとそう失礼な態度もとれず身動きが出来ない。  シエナとしては令嬢達がなにを言おうが、暗器を持って襲いかかってくるでもなし、カラスがぎゃあぎゃあ騒いでいる程度だと思って、よく口が動くなあと眺めていたのだが。 「こんなところにいたのですか?」  突然かけられた声にシエナよりも、三人娘のほうがギョッとしてその人を見る。青のジェストコート姿もまぶしい、さらりと揺れる銀髪に凍えるような氷の瞳、顔の半分を白のレースの眼帯で隠しているのさえその魅力である、美貌の大公殿下が立っていたのだ。 「少し前から離れた場所で見ていましたが」  そのレティシアの言葉に娘達三人がさらにビクリとする。シエナを悪し様におとしめていた、その言葉を聞かれたということだ。 「なぜ、あなたは反論もせず黙ってきいていたのです?」  シエナにそう聞く。この氷の大公殿下がロシュフォール王のそばにあがった最初の頃は、夜会のたびに様々な雑言にさらされてきたものだ。それをその本人を凍らせるようなひと言で撃破してきた歴史がある。 「別に言葉に殺されるわけでもないので、好きに言わせておけばいいと思ったのですが」  今度はシエナの言葉に娘達は固まった。殺すとはわざとらしい言葉で相手を傷つけようとすれど、暴力なんてカケラも無縁な彼女達には、背筋が一瞬寒くなるほどの衝撃だった。  それも、黒い大きな瞳が三人を撫でるようにさっと見ただけで、得体の知れない恐怖に彼女達はとらわれた。 「いけませんでしたか?」 「そうですね。ここは直接ナイフは飛んできませんが、言葉のナイフが飛び交う場所です。それをあなたがそよ風ほども思ってないことは、よくわかりました」  つまりさっきから自分達が、シエナを囲んで投げつけた様々な言葉など、まったく意味が無かったのだと、三人の貴族の娘は屈辱にワナワナと震える。 「しかし、なにも言わないのも礼儀に反します。ひと言でもかけておあげなさい」  完全に上から目線でさえずる雀たちに、パンくずでもまいてあげなさいといった感じのレティシアに、シエナはうなずく。 「そうですね。殿下にとっては私がまっくろでも、どこの生まれだろうと気にしないようです。  陛下と大公様は、そんなわたしにファヴラ侯爵令嬢。セヴィニエ伯爵令嬢の名をあたえてくれました。どこの家のものだという説明にこれでなりますか?」  シエナの言葉は率直だ。  しかし、その言葉でランベールのシエナへの深い愛と、さらには国王夫妻が自分の後ろ盾であることを、彼女達に示して黙らせることに成功した。  そこでようやくランベールがやってきて、三人並んだ令嬢達など一瞥もせずに、シエナの手をうやうやしくとって連れて行った。  残された彼女達にレティシアが告げる。 「文句の一つも言うまえに、パイの一つでも焼いてみることですね。あの子のパイは絶品で、私も陛下も気に入りです」  その後、貴族の娘達のあいだで、なぜか料理作りが流行ったという。
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