第十話 幸運の女王

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第十話 幸運の女王

「てっきり片付いたと思っていたのだけど、まだ生きていたというの?」  黒いローブを目深に被った魔女の顔は見えない。ローブの長い袖から、染めた長く赤い爪に、大きなエメラルドがはまった指輪がちらりとのぞく。  薄暗い部屋。椅子に座る彼女の足下にひざまずく、こちらも灰色のローブをまとった間諜の男の報告に、彼女は傍らの小卓をこつこつと長い爪で鳴らした。 「十六の歳まで飢えることも凍えることもなく“教育”までほどこしてやって、事も成さずにおめおめ生きているなど、目の前にいるなら本当に“役立たず”とののしるところだけど」  フードの陰からのぞく赤い紅が引かれた唇がにいっとつり上がる。その肌の青白さと対比して、ひどく不気味だ。 「しかし、ただ逃げたのではなく殺すはずだった相手のそばにいるだなんて、まったく面白いことになっているわね。  しかも、皇太子妃ですって!?あの真っ黒の雄狐の赤ん坊が?」  ほほほ……と魔女は笑う。そして「いいことを思いつきました」とつぶやく。 「ならば婚約の幸せがさめやらぬ絶頂で、己の花嫁に殺されるならば、あの王子様も幸せでしょう?まあ、なんて残酷なおとぎばなし」  そこに「お母様」と若い娘の声が響く。 「まだなにかされるおつもりなのですか?二度も失敗しているのです。これ以上はもう……」 「なにを弱気になっているのです?使い捨ての駒などいくらでもあります。まして、いらない子だったあれが、かの王子のそばにいるのですよ。  わたくしの暗示はいまだ有効なはず。今度こそ、確実にあの黒いカラスは王子の心臓をえぐりとるでしょう」 「母様……もう、おやめください。白き家で可哀想な孤児達を育てるのも、この忌まわしき因習も」 「黙りなさい!孤児達が可哀想?温かな食事に寝床が与えられる暮らしのどこが可哀想と?そして、あの子達は幸せなまま死んでいくのですよ」 「それは母様達が与えた幻想です。子供達も間諜達も、そう思いこんで死んでいく」 「屍の山を築かずに繁栄した王国などありません。あなたもわたくしも、そのうえに立っている。  良いことを教えてあげましょうか?あのとき生まれたのは双子でした。白い子と黒い子、黒い狐の男子は白き家におくられ、白い子供は私の目の前にいるわ」 「そ、そんな……まさか……」 「喜びなさい。あなたの双子の兄だったか弟だったか、そんなことはどうでもいいわ。  それが、あの王子を殺し、あなたの王国を盤石にしてくれるのですから」  ほほほ……と狂ったような魔女の哄笑が暗い部屋に響きわたった。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇ 「海?」  「見た事があるか?」とランベールに訊ねられて、シエナは首をふった。  いつもの食堂での昼。今日の献立は干しぶどうにチーズ入りのニンジンのサラダに、アスパラガスのキッシュ、キャベツの酢漬けと大きなソーセージ、豚肉の塩漬けの煮込みに、潰したジャガイモを添えたもの。  その大半はランベールの胃袋におさまった。そして食後のお茶と今日はランベールがもってきた、砂糖菓子(ボンボン)をいただく。レティシアからのものだという。  そこで、海の話が出たのだ。 「白い施設を出たときに船に乗ったと思うけど、目隠しされていたから、見た事はない」  シエナはランベールにぽつぽつと施設のことや、仮の祖父母との暮らしを話すようになっていた。ランベールはそれを黙って聞いてくれる。それ以上聞き出すようなこともしない。 「なら、今度の旅で初めて見るのか。船にも乗るぞ」  タイテーニア女王国との和平条約の調印。両国の国境線上である、海上で行われるそれは双方の皇太子を出すこととなり、シエナもそれに招かれているという。 「どうして、わたし?」 「あちらとしては、婚約者もご一緒にどうぞと、俺のご機嫌取りだろうな」  実際、ランベールはちょっと機嫌がよさげだった。「シエナの初の外交の仕事だな」なんてだ。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇  甘みと塩味が遠くに効いているシエナの手製のバターたっぷりの焼き菓子を一口かじり、レティシアは「あいかわらず美味しいですね」とその表情は変わらないが、しかし、機嫌が良いのは息子のランベールにはわかる。  大公の執務室。大きな執務机を挟んで、座るレティシアと立つランベールが対峙していた。 「タイテーニア女王国としては今回の和平は大変不本意でしょうね」 「たしかに軽い小競り合いだったとはいえ、海戦で我が国に負けたという衝撃は内外で大きかったでしょう」  一年前、ランベールは初陣で、女王国を退けている。同盟国である海の民イーストスラントの力が大きいにせよだ。 「もう一ついうならば、タイテーニア女王国のグウェンドリン女王はかなりの高齢だとも聞いています。後継の皇太子であるマージェリー王女は十六歳だとも」 「かの国の女王は白獅子だそうですね。後継の王女も白獅子だとも。二代続けての白獅子の女王とは珍しい」  通常、王族、貴族の女子は狐族でしめられている。それは狐族の特性として男子は夫たる種族の子を産み、女子は狐族となるというのがある。もっとも、まれに夫側の種族の女子が生まれないわけでもないが。 「マージェリー王女はグウェンドリン女王の御子ではないですよね?」 「表向きは嫡子ということになってますが、王女を生んだときはすでに五十過ぎの女王が命がけでお腹を痛めたとは誰も思ってないでしょう」  女性に年齢を聞くのは失礼ではあるが、かの女王国の女王の治政はたしかに五十年を越えているのだ。そもそも彼女の代で、あの国は女王国とあえて国名を変更している。 「それにあの女王は一度も結婚したことがありません。独身のままあちこちの王に自分との婚姻をちらつかせて、巧みな外交戦略の綱渡りをしてきたのが、かの国ですから」  そしてあの女王の代で北の辺境の海賊国家よ、と言われていた国は急速に拡大したのだ。  もっとも、もう一つの要因もあるのだが。 「あなたも幸運の女王の呪いにかからないように気を付けなさい」 「かの女王の有名な話ですね。彼女の障害となったものがいつのまにか消えている」  真っ先に暗殺を疑われそうであるが、いずれも病死や不審死で片付けられていた。それも国王や皇太子などではなく、常勝の将軍にやり手の大臣など主要な家臣を失ってその国の国力が弱まり、間接的に女王が利を得たような形ばかりだった。 「それからすると皇太子である、俺は呪いの範囲外に見えますが」 「わかりませんよ。かの国の女王の実年齢はわかりませんが、己が高齢であり、後継者が若年ゆえの焦りはあるかもしれない。  自分一代で大きくした帝国ならばなおさらです」 「シエナに聞いた話を思いだしたのですが」  白い施設で主に習ったのは毒の扱いだったことをだ。その毒を暗器に塗っての不審死を装う方法など。 「なるほど、病死にみせかけられる遅効性の毒もありますし、針一本を身体に突き刺すだけで心臓を止められる。そんな話も聞いたことがあります」 「ただ、今回は俺が獅子族だったからこそ、毒は効かない。それで直接的な方法をとるしかなかったということです」  獅子族ではないならば、毒は十分に効くということだ。それこそ、トゲにでも刺された程度のひとさしで、十分に死に至らしめるほどの。 「しかし、憶測にすぎません。なんの証拠もありませんね」 「それにたとえシエナがいた白い施設と、女王国に関わりがあるとしても、今、あれは俺の腕の中にいます」  「もう、二度と関わることはありませんよ」とランベールは言った。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇  逃げたい。  だけど逃げられない。  紅い瞳にひたりと見据えられる。  黒いローブ。フードを目深にかぶって、そこからこぼれている白い髪。黒い袖からのぞくのは紅く塗られた爪先、指には大きなエメラルドの指輪。  尖った爪がひたいにふれる。そして、魔女の紅い唇が開いた。 「お前は良い子だね?」  「はい」と自分の意思ではなく唇が動いた。  そして、魔女は告げる。 「ならば、その男を殺せ」  横たわっている金色の獅子の青年。瞳は閉じているからわからないが、その色は金色だと知っている。  そして、手に持っていた短剣をふりあげて、その胸に振り下ろした。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇  シエナは飛び起きて、そして「夢か……」とホッと息をつく。ここがランベールの寝台であることも。  そして、次の瞬間にはパチパチと瞬きをした。  夢を見たことはわかるのに、夢の内容はわからない。  どんな夢だったのか?  思い出したいような、思い出すのが恐ろしいような……。 「シエナ……?」 「ごめん、起こした?」  ランベールが手を伸ばしてきて、ひきよせられるままに、彼の胸へとおさまる。少し汗に濡れた前髪を大きな手でかきあげられて、その心地よさにシエナは目を細めた。 「怖い夢でも見たのか?」 「わからない」  正直に答えた。大きな手がそのまま、頭をなでてくれるのに安心する。「このまま抱きしめていてやろう」との言葉に「いつものことじゃない」とクスリと笑う。  そうこの腕の中にいれば安心なのに……。  覚えていない夢の余韻なのか、なぜか得体の知れない不安を感じる。  シエナをそれを消すように、かたわらのぬくもりにすりっとほおをすりつけるようにして、目を閉じた。
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