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第十一話 呪いと祝福
サランジェの王都エーヴより、港街カルフルールまで馬車で五日の行程だが、今回はシエナに色々と見せたいとのランベールの希望で、六日の行程となった。
早めに目的地の街や城館に着いてあちこち見て歩いた。先日の事件があったばかりなので、民の接近は厳しく制限されていたが、それでもランベールがにこやかに手をあげる横で、シエナも小さく手を振る。
石造りの聖堂の尖塔が目立つ歴史ある古い街並み。
緑の草原の丘がどこまでも続く風景に草を食む羊たち。
木組みに色とりどりの壁の家々が並ぶ、小さな町はまるでおとぎの国のようだった。
川に橋を架けるように建てられた城館では、小舟を浮かべて水遊びもした。
なにもかも初めて見る世界に、シエナはその黒い大きな瞳を輝かせる。「すごい」「すてき」と子供のように無邪気に喜ぶシエナに、ランベールもうれしそうに微笑んだ。
金獅子の皇太子はもちろんだが、その横の可憐な黒髪の黒狐の皇太子妃……まだ婚約者だが……も人々の人気だった。新聞や噂で彼女のことは人々の耳にはいっている。
平民同様のつつましい暮らしをしていた騎士の孫娘が、お忍びの皇太子と出会い。お城でのお妃選びでの舞踏会に、それから国王と大公にも気に入られて伯爵位に侯爵位まで得たこと。
まるで本当のおとぎ話の姫様のようだと、訪れる土地土地で人々は歓声をあげた。
金獅子の皇太子の隣に立つ姿は可憐そのもの。お出かけ用のつば広の帽子から、こぼれる黒く真っ直ぐで艶やかな髪。黒く濡れたように大きな瞳、紅い唇。淡い薔薇色や水色のドレス姿は、本日のファヴラ侯爵令嬢のお姿として、この旅に同行した記者達が伝書鳩で王都へと飛ばして、翌日には絵姿入りで紙面を飾った。
実は旅行前に衣装係のメイドに説明されたドレスや帽子の数々に、シエナはいままでランベールが揃えてくれたドレスで十分ではないか?と言ったのだ。
そこに突如やってきたレティシアに「いけませんよ」とぴしりと言われたのだ。
「あなたはすでに皇太子妃同然なのです。わが王族の唯一の“華”として贅沢過ぎてはいけませんが、民に夢を与えることは大事ですよ。これは必要な“装備”です」
“華”というなら、目の前の年齢不詳の大公様のことだろうと、シエナは思ったが、その考えさえ読んだように「わたくしには可愛げがありませんが、あなたには誰もが微笑むような愛くるしさがあります」とこれまた訳がわからないことを言われて、衣装係のメイドと帽子につける小花はこれだ、ドレスの色は、黒髪に飾るリボンはと相談し始めてしまった。
この氷の大公様に対抗できるものなど、この王宮のどこにいるのだろう?ということで、シエナは大人しく着せ替え人形になるしかなかった。じっさい、衣装あわせにもレティシアは立ち合って、ぐるぐる周りを回って「この帽子のリボンはあいませんね。そちらのしまのものを」とあれこれ細かく指示をした。
シエナが「執務がお忙しいのではないですか?」と気遣えば。
「娘のドレス選びは母親の仕事です。私がするのが当然でしょう」
そんな風に当たり前みたいに言われて、なんだか目の奥と鼻のあたりが熱くなってしまった。瞳がうるんで泣きたくなってしまったのは、なぜだろう。
「さあ背筋を伸ばして、常に真っ直ぐ前を見て民には笑顔を、それが未来の王妃の役目ですよ」
「はい、大公殿下」
「違うでしょう」
「はい?」
「あなたは私の娘だと言ったはずです。ならば別の呼び名があるはずです」
「はい、お母様」
そう言えば、レティシアはふわりと微笑んだ。
だから、あがる民の歓声に、シエナは笑顔で手を振ることが出来た。そんな未来の皇太子妃の可憐で美しい姿に人々がますます熱狂したことはいうまでもない。
出会う人々は誰もが自分達を歓迎してくれて、初めて見る世界は広く美しく、驚くことばかりだった。
シエナは暗示ではなく子供に返ったようにはしゃいで、そんなシエナの姿にランベールもまた楽しそうだった。
だけど。
「っ!」
「どうした?また怖い夢を見たのか?」
「ごめんなさい、起こしてしまって」
今日の宿である領主の館。共寝した広い寝台から飛び起きたシエナに、ランベールが声をかける。
「謝ることはない。俺がシエナの夢の中に入れたら、悪夢など追い払ってやるのに」
「また、お芝居みたいな恥ずかしいこといってる」
その広い胸に抱きよせられるまま、ほおを寄せて目を閉じる。
とても温かい。
悪夢の内容は相変わらす目覚めると覚えていない。
この腕の中にいれば安心なのに、不安がぬぐいきれないのはなぜだろう?と思った。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
港街カルフルールはオランジュの色で統一された屋根の建物が美しい港街だった。港に並ぶ大きな帆船もまた、景色の一つとなっている。
明日の和平の調印式のために、ランベールは同行した大臣と打ち合わせがあるということだった。せっかくサランジェ一の港街に来たというのに、見て回らないのはもったいないと、ランベールにすすめられてシエナだけ、護衛の騎士を連れて歩くことになった。
初めてみる海は旅の途中で見た湖とはまた違った景色だった。どこまでも広がっていくような水平線の向こうに大きな島影が見える。あれがタイテーニア女王国だろう。
狭い海峡を隔てたサランジェと女王国はとても近い。実際、こうして見ると泳いで行けそうな距離だ。過去、海の民であるタイテーニアから度々、この港に攻めこんできたという話もよくわかる。
しかし、海の民族であるタイテーニアに対して、獅子王をいただくサランジェは陸戦に強い。海では敗れても、かならずこの港街で撃退してきたという歴史がある。
そして、一年前、そのサランジェが海上においてもタイテーニアを破ったという意味は大きい。だからこその、今回の和平条約なのだとランベールから説明された。
政のことはまだよくわからないけれど、「お前も将来の王妃として知っておくべきだろう」と彼はシエナでもわかるように語ってくれる。「シエナは元々聡いから、話をしやすい」とも言ってくれたけど。
今回の和平はタイテーニアから申し入れたことでありながら、本当はかの国にとって、とても不本意なのだとも。
「不服なのに和平申し入れ?」
「それだけサランジェに海戦で敗れたのは衝撃だったということさ」
それが極北の海の民イーストスラントとの同盟による援軍があったにせよ。というより、女王国はこの同盟によってイーストスラントと、サランジェに海を隔てているとはいえ、挟まれる形となった。
「さらにいうなら、ゲレオルク国の存在もある。あそこの艦隊は無敵艦隊を名乗るほどに強いからなあ」
ゲレオルク国はサランジェの南西にある国で、たしかに南の海域はこの国が仕切っているといってよい。しかし北の女王国が弱体化すれば、北方の海域にまで手を伸ばしてくるのは確実といえた。
「サランジェとしてもゲレオルク国が、目の前の海に進出してくるのは避けたい。女王国には北の海の抑えとしていてもらわねば困るということさ」
「でも女王国は自分から和平といいながら、不満なんだ」
「女王国というより、かの国の女王陛下が気に入らないという話だ。噂だが恐ろしく気位が高いうえに、お歳を召してさらにそれが悪化しているらしくてな。
今回も和平を勧める外務大臣にむかって、玉座から履いていた靴をぶんなげたという話だ」
「すさまじいね……」
シエナは噂の白獅子の女王がたてがみみたいな白い縦巻きロールを振り乱して、大臣の顔面にピカピカの靴(ミュール)を投げつける様を想像した。風刺画にしたら、すごい滑稽だ。
「それでもあちらは皇太子を特使として出さざるをえなかったいうことだ」
さらにいうなら、サランジェは先の海戦の戦勝国であるから、女王国の使節をこちらの国に呼びつけて、平和条約の調印をすることも出来たという。
それをせずに対等の立場として両国に横たわる海峡の真ん中でするのは、あちらへの“気遣い”なのだとも。
「まあ母上いわく。あまりに白獅子の女王を追いつめて、怒りのあまり逝かれても困るということらしい」
「それお母様らしい言い方だね」
銀狐の美しい大公殿下ならいいそうだと、シエナはクスリと笑った。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
泳いで行けそうに見える女王国だが、船で一晩はかかると説明されて、それでも遠いのだなとシエナは海の上に浮かんでいる島影を港から見つめた。
そこから王都エーヴまで続いているという、運河沿いの道を歩く。運河の両わきに立つ背高のっぽのレンガ造りの建物。その壁に伝う緑も趣があって綺麗だ。
前後に護衛の騎士達の壁に囲まれて、それでも市民たちは遠くで声をあげてくれるのに、手を軽く振った。今日は隣にランベールは居なくて、自分だけなのにと思いながら。
そのランベールは「民達は俺も目当てだが、新しく妃となるお前のほうに興味があるのだぞ。むしろ今はお前のほうが人気だ」と信じられないことを言っていたけれど。
先の暗殺事件はランベールを狙ったものだが、シエナも気を付けるようにと常に警備は厳しい。
もう一ついうならば、警備だけでなく、ランベールはシエナに、ひそかに短剣と暗器を隠し持つようにとも。だから、今のシエナはレースに隠れた袖に暗器をスカートの下には短剣を潜ませていた。
使うようには思えないけど、たしかに念のため。むしろ自分の命を守るのではなく、ランベールのために使いそうだと言ったら「そのときはよろしく頼む」なんて言われてしまった。
運河沿いの道、のっぽなレンガ造りの建物の間の細い小径、階段を昇ったてっぺんにその姿はあった。
黒いローブを着た魔女だ。遠い距離なのに、そこからのぞく紅い瞳が見えた。まがまがしく輝くそれに貫かれるようにして、シエナは硬直する。
役立たずのいらない子。
お前はそうではないよね?
良い子だろう?
ならばあの男を殺すのだ。
頭の中に響く声。
「どうかしましたか?」そう呼びかけられて、シエナは我に返る。見ていた細い路地、階段を昇りきったうえにはなんの姿もなかった。いや、なにを見ていたのかもわからず、シエナはぱちぱちと長いまつげをしばたかせた。
「なんでも、なんでもありません」
そうなにもなかった。
なかったはずだ……と。
シエナは護衛の近衛達に囲まれてその場をあとにした。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
ほほほ……と魔女は笑う。
まだ呪いは生きていると。
お前に“祝福”をあげよう。
おのれの手で一番愛するものを殺す。
これほど幸せなことはないだろう?
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