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番外編 獅子心~ライオンハート~
「破滅の時は必ずやってくる」
「悪手を打っても生き残れ」
「おのれが誇りに準じて死ね」
「それが、お前が大叔父に教えられたことか?」
「そうですね。叔父は私の将来を予想し、来るべきときに母とともに生き残れるようにと、必要な知識と魔法騎士としての心構えを授けてくれました」
後宮は王の私室であるサロンにて、ロシュフォールとレティシアの二人は豪奢なチェステーブルを挟んで座っていた。
「これはいけませんね」とレティシアが盤面を見て言う。「交替です」と告げられて、ロシュフォールは立ち上がり、二人はぐるりとチェステーブルを回って、互いの席を交替した。
レティシアが有利となると席を変えることを幾度もくり返している。優勢となった駒の配置を手にしたロシュフォールがいくら攻めても、いつのまにやら形勢逆転となってしまう。
こんなチェスをもう何回か楽しんでいるが、ロシュフォールは一度もレティシアに勝てた試しはない。
このチェスを考えたのはレティシアの大叔父だったという。それから、彼の教えの話題となった。
「それでギイ叔父に立ち向かったのか?「悪手を打っても生き残れ」と言われていたのに?」
「あのときは、「おのれが誇りに準じて死ね」ですよ、陛下」
自分が打った白いナイトにたいして、レティシアが黒のポーンを打ってくる。これはいささかまずい手だったか?とロシュフォールにも、最近分かるようになってきた。彼は男らしい眉間に軽く皺を寄せる。
「十歳の子供のままのなにもできない王を守るためにか?」
命を助けられたが、それでもロシュフォールが多少責めるような口調になったのはしかたない。彼の金色の瞳は、盤に目落とすレティシアの白い顔をじっと見る。その左半分は自分が作らせた、白いレースの眼帯におおわれている。
どんなレティシアでも美しいし愛していると思うけれど、それだからこそ大切な者に傷ついて欲しくないと思う気持ちも本当だ。
「あなたが王だからだと、私は言ったでしょう?」
「どんな王でも守られる資格があるとは思わないぞ。無能な王は見捨てられ、悪政を行えば断罪されて当然だ」
無能……と口にしてロシュフォールは皮肉に口許をゆがませた。十歳の子供のまま時を止めていた自分は、まさしくそうだった。レティシア以外、逃げまどう貴族達は誰も彼を守ろうとなどしなかった。
「そうですね、もう一つ言うならばギイ将軍には、信義がありませんでした」
レティシアが盤から顔をあげて、ロシュフォールを真っ直ぐに見る。氷の蒼の瞳はどこまで冷たく清んでいるが、そこになにをものにも消せない炎が宿っていることを、ロシュフォールは知っている。顔半分を血に染めて、ギイ将軍の力によって床にたたきつけられてなお、頭を真っ直ぐあげた、あのときの銀狐の瞳には諦めない意思があった。
「信義?あのとき叔父は語っていたぞ。いつまでも子供の姿の無能な王など玉座にはいらない。有能な自分こそが政務をとるとな」
「それは野望。たんなる己の欲です。権力が欲しいという心だけで、自分の甥を殺すという方は王に相応しくはない」
「血によって手にいれた権力は、また必ず血に染まります」とレティシアは続ける。
「だから、死ぬと分かっていてお前は叔父に立ち向かったのか?」
「そうですね。あの状況を考えれば私は確実に死んでいたでしょう。
それでも王を守るのが貴族の家に生まれた者の役目です。王と国と民を守らずして、なんのための爵位であり地位でしょう」
これは自分を見捨てて逃げた貴族達に訊かせたい言葉だなと、ロシュフォールは思った。そして。
「いや、お前は死ななかったさ」
「結果的にはそうですね」
「偶然じゃ無い。レティシアが戦ったから、俺はお前を守る力が欲しいと思ったし、大人になることが出来たんだ。
……叔父を倒せた」
ロシュフォールにとっては叔父であるギイを、自らの手で討ったことは複雑だ。レティシアを守ったことには後悔はないが。
自分以外の兄弟である王子が殺され、母も殺されたあの十年前の事件の黒幕は、叔父ギイとそして今も国政を執る大臣達の幾人かだ。その一人は、本当に十歳の子供だったロシュフォールが、王宮の庭にて訊いた会話で、はっきりと顔まで覚えている。
ますます身体が丸くなり頭髪も薄くなったその男は、いまだこの国の財務大臣だ。
その話はすでにレティシアにしてある。王妃の寝室にて共に横になる前に、寝物語にはとても相応しくないがと断りを入れて、十年前に起きた自分がおおよそ知る出来事を話した。
それにレティシアは「復讐を望みますか?」と訊ねた。ロシュフォールは首を横に振った。
「財務大臣が関わっているのは確実だが、それを追及すれば、他の大臣達に貴族の家もいくつか取り潰さなければならないだろう。
あんな奴らでも、いままでこの国を動かしていたんだ。それがいきなり抜けられるのはマズイだろう?」
それに粛正などすれば、自分を殺して王になろうとした、ギイ将軍と結局同じではないか?という苦々しい思いがロシュフォールにはあった。
母を殺した彼らは当然許せないが、それでも、それを追及して一体どうなる?とも思うのだ。
それにレティシアは「賢明です」とうなずいた。彼にしては最高の褒め言葉だ。「使える者はこき使うべきです」との言葉には、多少の腹黒さがのぞいていたが。
そして。
「ですが、財務大臣に関してはなんとかしたほうがいいでしょう。そのような人物ならば、確実に国庫を私物化しているでしょうから。国の根幹に巣くう害虫はなんとかしなければ」
財務大臣が“穏便”に辞職し、財務官の重職にある幹部の首が総入れ替えとなったのは、それから程なくのことだ。大臣は辞職にあたって、これまで遇してくれた王と王国への“感謝”の印として、私財のほとんどを寄贈し、己の小さな領地に引きこもった。事実上の失脚と隠居に宮廷の人々は色々と噂しあったが、その真実は闇の中だ。
まさか、財務大臣にむかいレティシアが、今までの国庫に関しての不正とその金額を書いた書類と証拠を突きつけて「今のあなたの全財産ではとても償いきれない金額ですが、小さな領地で隠棲して暮らせるだけの蓄えは残してあげます。それともこのまま地下牢で一生をお過ごしになりたいですか?」と冷ややかに、告げたことなど彼らは知らないだろう。知っていたら、明日は我が身と青ざめるもの多数だ。
「では、俺も『おのれが誇りに準じて死す』か?」
「それはダメです」
ほぼ冗談で口にしたが、レティシアにきっぱり言われて、ロシュフォールは目を丸くする。彼の蒼の瞳が射貫くようにこちらを見る。
「王は生きるものです」
「そう、あのときも言っていたな」
顔の左を血に染めながら、諦めてはならない。生きろ……と。
「では、「破滅の時は必ずやつてくる」か?」
「それも王ならば避けねばなりませんね。あなたが破滅すれば王国も破滅です」
「「悪手を打っても生き残れ」は?」
「王が悪手を打ってどうしますか?起死回生のばくち打ちのような、そんな方策をとらねばならなくなるまえに、手を打つべきです」
「お前の尊敬する大叔父の言葉だろう?」
「これは、私に対しての言葉です。実際、破滅の時は来ましたし、悪手は打たねばなりませんでしたし、誇りを捨てるぐらいなら、死ぬだろう未来も選びました」
「…………」
まったく、どこまでも潔いのだ。ロシュフォールの美しい参謀は。
だが、同時に不安にもなる。
このどこまでも美しい花が、己の中にある正しさのために散ってしまうのではないか?と。
そして、それを守るのは。
「ただ生きてるだけならば、王ではないだろう?それならば玉座に人形でも座らせておけばいい」
「人形に王は務まりません」
「そうだな。王にだって心も感情もある。愛する者も」
そこでロシュフォールがなにを口にするかわかったのだろう。レティシアが言う前に、ロシュフォールは続けた。
「たった一人を守るために命をかけるのに血迷いもする。それをダメだと言われても、レティシア。それがお前なら、俺はするぞ」
「あなた馬鹿ですか?」
まったく王に面と向かって「馬鹿」と言えるのは、この参謀ぐらいだ。困った人だとばかりに、美しい眉をひそめてあきれたような顔をしている。
その癖、その銀色の見事な毛並みのしっぽが、背後でゆらゆら嬉しそうに揺れていることに、本人気付いているのか?いや、気付いていないのだろうなあ……とロシュフォールはぼんやり眺める。
「心ない王など、誰もついてこないと思うぞ」
「たしかにあなたは慈悲深き王であればいい。他のことは周りがやります」
まわりとはつまりはレティシアのことだ。先の財務大臣を更迭したときのように。「いや」とロシュフォールは、レティシアの駒をつまもうとする手を取り、その指先に口づけた。
「臣下のやったことの責も王にあるだろう?」
「そういうときは、あいつが勝手にやったことだと、自分は全然知らなかったと善良そうな顔をしていればいいのです」
そんなことをいいながら、ロシュフォールが白い指先に口付けの雨を降らせることを許してくれる。
「ところで、また盤面がよろしくありませんので席を交替です」
「またか、少しもお前に勝てないな」
「王がこざかしい勝負の戦局などに気を配る必要はありません。策を練るのは私の役目です」
「ああ、我が参謀殿を頼りにしてるさ」
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