すっかり変わっちゃったね、私たち

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 高三の夏はとにかく多忙だ。  受験もあるし、部活もあるし、学園祭もある。  よその学校なら受験に振りきるのが普通だろうけど、うちの学校はどこかずれてた。だから正確には、高三だから忙しいんじゃなく、うちの高三だから忙しいことになる。  そんな高三のわたしは六時に起き、七時に支度を終え、七時半に学校へ着く。  まばゆい朝日が差し込んでくる廊下を、うきうきしながらわたしは歩く。校内に人気はない。せいぜい外からラグビー部や野球部の掛け声が聞こえてきたりするぐらいで、わたしみたいにこんな朝早く登校してくるような殊勝な生徒はいないわけだ。  ……いや、これは色んな意味で正しくないかな。  なぜならまず一つめに、わたしは別に殊勝じゃないから。実はちょっぴり不純な動機を隠してたりする。  そして二つめに、朝早いのはわたしだけじゃないから。わたしの他にもう一人、こんな時間に学校へ来てる熱心な子がいるんだ。  わたしが朝弱いのにがんばって早起きしてるのは、その子に会うため。  こうして学校に早く来れば、短い時間だけだけど、その子と二人きりになれる。だからわたしは、こんなに胸を弾ませながら、教室に入るんだ。  ね、不純でしょ? 「おはよう」 「あっ、おはよう、ミリア!」  教室では、ちょうどその子が自分の荷物を下ろしてるところだった。後ろの入り口から現れたわたしの方を振り返って、にぱーっと明るい笑顔を見せてくれる。  小さな身体に大きなリュック。ぱっちりしたお目々とサイドポニーにまとめた髪が、まるでお人形さんみたい。作業用に着てきた私服のセンスはちょっと子どもっぽい気がするけど、その子自身ちっちゃくてかわいいから、逆に加点になっちゃう……なんてのは、わたしの贔屓目(ひいきめ)かな?  そんな彼女は、このクラスの級長だ。昨年度までは生徒会長だったけど、その役はもう後続に譲った。今はこうして、クラスのリーダーとして学祭の準備に取り掛かってる。  机を前半分に寄せて確保した作業スペースには、ブルーシートが敷かれていたり、跳ねたペンキがちょっとこびりついてたり、手作りの剣や盾が干してあったりする。  わたしは窓際に立てかけられていた黒い片手剣を取って、つつーっと、おっかなびっくり刃をなぞってみた。うん、ペンキは乾いてる。 「すごいねこれ! 本物みたい……!」 「でしょ? 真心こめてがんばったのよ!」 「こっちの緑のも?」 「うん」 「すごい……!」  この二振りの剣はファンタジーな小説に出てくる武器だ。うちのクラスはそれを元にした劇をやるんだけど、その主人公の持つ剣が、これ。  なんでも級長は原作の大ファンらしくて、好きが昂じるあまり武器の作成を一手に引き受けてた。大変だって分かってたけど、どうしてもこだわりたかったんだって。  わたしが緑の剣を窓際にそっと戻すと、級長はクリアファイルからA4サイズの図面を取り出して、しげしげと眺めた。 「それは?」 「ヒロインが使うレイピア」 「今日はそれを?」 「うんっ」 「じゃあわたし、段ボール取ってくるね」  そう言ってわたしは教室を出る。ロッカーのある廊下にも色々雑多に物が置いてあって、足の踏み場が狭い。  よいしょ、とわたしは死ぬほど積み重ねてある大量の段ボールやなんかを全部持ち上げて、カニさんみたいに横歩きで教室へ戻る。レイピアを作るだけならこんなには要らないけど、わたしも作業をするから。ちなみにわたしの担当は、武器類以外の小物だった。  みんなの家からかき集めてきた段ボールは大きさが不揃いで、両腕をいっぱいに広げてやっと持てるやつから、全然小さなやつまである。前がよく見えていないから、転んだりしないようにゆっくりと歩く。 「あの、私も持つよ」  と言って、級長が近寄ってくるのが分かった。  ううん、大丈夫……とわたしは返した。ありがたかったけど、もう教室に入っちゃってたし。  それで、よいしょ、と適当な場所に資材を下ろそうとした──その時! 「「あぶなっ!?」」  どんがらがっしゃーん! と。  足がもつれて、わたしの天地がひっくり返った……!  段ボールがあちこちに飛んでった! バランスを崩したわたしは、柔らかくて温かくて小さい何かと一緒に倒れ込む……! 「「ひゃあっ!?」」  と、二人分の悲鳴がこだました! 「……っ、いてて……」 「…………」 「ごめん、大丈夫?」  わたしは級長に声をかける。  何がどうなったのか、わたしは彼女を押し倒して覆いかぶさる形になっていた。  級長、頭を打ったりとかしてないといいけど……。  級長はわたしの目を見た。 「うん。ミリアの方こそ大丈夫?」 「…………!」  ──その、級長の眼差しが。  わたしの欲望に火をつけた。 (顔が近い)  そのことに気がついたら、もうそのことしか考えられなくなった。  級長の顔が近い。とても近い。十センチもないくらいだ。  長いまつ毛の本数まで数えられそうなくらい。息がかかっちゃいそうなくらい。  本当にふとした拍子に、白くてすべすべのほっぺに口づけできちゃいそうなくらい……。 (ダメだ)  こんなの最低だ。  頭では分かってる。  でもそこにある級長の息遣いが、眼差しが、わたしの理性を火炙りにしていく。 「あの、どうしたの?」  級長がわたしの顔を、目を、真っ直ぐ見つめてきた。心配そうに眉を下げて。 「大丈夫?」 「大丈夫──」  あるいは、ぐつぐつ煮込まれるように。  こんなこと考えちゃダメだって制止するわたしが、もう一人のわたしに溶かされていく。 「──じゃ、ないかな」  教室にはまだ二人っきり。廊下にも誰もいない。  聞こえてくるのはただ、灼けるようなセミの声だけ。野球部の声もラグビー部も、かき消されて聞こえない。  わたしは級長の瞳を覗き込んだ。琥珀みたいに透き通った綺麗な虹彩が、わたしの奥に眠る重油みたいな感情に、気づいてか気づかずか……。  この瞳を、もっと近くで見たい……。 「……あ、分かった」  その時級長が、わたしの顔をまっすぐ見て言った。  その目は少し細められてて、真っ白なほっぺはほんのりと紅潮していて。  分かった、っていうのが、何のことなのか。  わたしにもすぐに察せられて。  ……ああ、もう。  だめだこれ……。  級長がわたしの顔にそっ……と両手を添えてきて。  あのかわいい級長と同じ人とは思えないほど、妖艶な──溺れそうなほど妖艶な表情(カオ)で、こう言った。 「ミリアとなら……私、いいよ……?」
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