第1章 プロローグ

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第1章 プロローグ

 僕はいつも太陽が昇る時間よりも早く目が覚める。というより、その時間に起きられるようにセットしておく。  夜が明けて空が白み始める光景の美しさが、なんといっても堪らない。太陽が昇りカーテンの隙間から黄金色の朝日が射し込んでくる様は、神々しくて神秘的だ。  いやいや、柄にもなく気取った物言いは似合わない。そう本当の理由は他にある。  可愛い君の寝顔を見ていたいから・・・。  うっかり寝過ごして君が先に目覚めた日は、少しだけ損をしたような気分になる。君より先に目を覚まし寝顔を見ながら、隣りにいてくれる幸せをじっくりと感じるのだ。朝のこの僅かなひとときは、僕一人だけの贅沢な時間なのだ。  子供も2人生まれて一緒になってもう直ぐ10年になるけれど、僕はこの贅沢な朝が大好きだ。  君も同じ気持ちでいてくれたら嬉しいけれど、取り立てて突出したところなどない僕ではそれはないだろう。いつも心の中ので首を振る。  すぐ隣に寝ていた君のポジションも、今では子供たちに取られてしまった。娘は君の隣で息子が僕の隣という川の字ならぬ四本川だ。  君の寝顔を見つめながら、一日をどう過ごすか考えることが楽しい。 “ 今日は、どこに行って何をしようか。”  僕等は文明開化当時の建物が立ち並ぶ港町横浜に住んでいる。地元の人たちは、昔の横浜を懐かしみ近代化した街並みを嘆いていた。  しかし僕等は、そのバランスがいいと憧れて転入してきたのだ。横浜の街は、行き場所には困らない。ショッピングやレジャー、低コストの美味しい食堂など何でも揃っている街である。 “ 天気がいいから臨港パークにでも行ってみようかなぁ。”  海からの風が心地よく吹く臨港パークは、休みの日ともなれば沢山の人たちで賑わう憩いの場所である。  残暑が厳しい初秋ではあるが、肌に感じる陽射しは焼き付けるような痛みはない。柔らかく暖かい陽射しは、海や山そして街へと人を誘い出してくれる。  いつまででも君の可愛い寝顔を見ていたいけど、眩しい笑顔が見たいから僕は君を眠りから目覚めさせる。 「おはよう。」 ※                ※                  臨港パークは、案の定沢山の人で賑わっていた。  広々とした芝生の広場が眼前に広がる。小学校の低学年の息子は、恥ずかしさを隠しながら君と手をつないでいる。僕に抱きかかえられた4歳の娘は、広々とした広場を見渡しはしゃいでいた。  僕は娘を抱きかかえながら、息子と手をつないで歩く君の後姿に見とれていた。 “ 君に出会えて良かった。”  こんな絵に描いたような理想を手にしていることが夢のように思う。目を閉じて海からの潮風を肌で感じ、幸せをしみじみと噛みしめていた。 「パパ!」  君の声でふと我に返ると、息子と手をつなぐ君が立ち尽くしていた。  君は僕の気持ちを見透かしているかのように微笑んでいる。娘も眼下に広がる広大な広場に、ジッとしていられず僕の腕の中でもがき始める。 「降りる~。」  娘は抱っこされていた僕から離れ、君のところへ駆け寄って行く。その歩く様はサザエさんのタラちゃんが、歩くときに使用される効果音を思い出す。 君はリュックからネイティブ柄のレジャーシートを取り出して敷き始める。 「この辺にしよう・・・。」  娘は敷かれたレジャーシートの上で、転がったり飛び跳ねたりと元気一杯だ。息子もキャッチボールをやろうと僕を誘って立ち上がる。 「周りの人に気をつけてやるのよ。」  周囲に気をつけるように君は息子に声をかけた。 「は~い。」  声に気を取られ、僕の投げたボールが頭に当たる。  娘が兄の様子を見て笑い出す。野球はまだ覚えたてだ。僕が投げるボールをなかなか捕る事が出来ない。 「ニィニィ、下手だね~。」 「パパも投げるのが御上手じゃないみたいね。」  君の声が風に乗って、僕の耳に聞こえてくる。 “ そりゃ、そうだよ。” 僕はスポーツだってそれほど得意じゃない。  芝生の上に敷いたレジャーシートの上で、大笑いしてこちらを見ている。くどいようだがこの笑顔のためなら、僕は道化にだってなんだってなれる。  顔をくしゃくしゃにして笑い返してくる夫を、私は胸いっぱいの幸せを感じながら見つめていた。彼はいつも必死だ。私のために、どんなことにも一生懸命だ。  付き合い始めの頃、彼の思いが理解出来なかった。自分の事は二の次で、何でも私のことが一番だった。本気で私の事を想ってくれているから、時に凄まじい剣幕で怒られたこともあった。不器用で人付き合いも上手に出来ない彼だけど、一緒に居て安心出来る人は彼以外にはいなかった。  自分で言うのも気が引けるが、昔から男性には良くモテた。しかし、私の事を“ ずっと必要なんだ ”っていう優しい目で見てくれる人は彼一人だけだった。  私や子供たちのことばかりで必死だから、気付かないと思うけどね。 “ あなたと一緒になって本当に幸せだと思っているのよ。”  この心の声は、いつになったら彼に届くのだろう。 「つまんない。」  じっと座っていることに飽きたのか、娘が彼と兄を見ながら呟いた。 「ニィニィと一緒にキャッチボールして来る?」 「や~だ。」 「じゃあ気持ちがいいから、ママと一緒にネンネしようか。」  娘はじっと私の胸元を見つめていた。 「ん?どうしたの?」  「ママ、ここに付けてるお花のやつ・・・。なに?」  私は娘が気にしていたことが、付けていたネックレスだと知り嬉しい気持ちになった。小学校低学年の息子は、こういうところに目が行かない。幼くても流石は女の子だと感心してしまう。 「これね、パパから貰ったプレゼントなのよ。」 「プレゼント?」 「そう。ママの誕生日にパパがくれたの。」 「いいなぁ・・・。」 「いいでしょ。」  娘は目を輝かせながら私の胸元を飾るネックレスを見つめる。 「そのお花は、なんていうお花なの?」 「これ?これはね鈴蘭っていうのよ。」 「スズラン?」 「そう、可愛いお花でしょ。」 「うん。」 「このお花にはね、ちゃんと意味があるのよ。」  幼児に理解できる訳がないが、私は嬉しさのあまり口走ってしまった。 「アーッ、わかった。前にママが言ってた。」 「覚えているの?」 「うん!」  目を大きく見開いて自信満々に娘は答えた。 「愛ちゃんも欲しい。」  大好きなパパがママにあげたと聞いて、幼心にも嫉妬心が芽生えている。 「大きくなったら、愛ちゃんも好きな人からプレゼントしてもらいなさい。」 「やだ~。パパから貰う。」  駄々をこね始めると、なかなか収まらない娘である。 「じゃあ・・・。」  ネックレスを外して私は娘の首にかけた。 「パパから貰った大切なママの宝物なの。」  娘は私の胸元を飾っていたネックレスをかけてもらい上機嫌になっている。 「くれるの?」 「ダメ。でも、少しだけ貸してあげる。それでいい?」  親指をくわえて考え込んでいる娘の横を、一組のカップルが幸せそうな笑い声と共に通り過ぎていく。 「愛ちゃん、ごめんね。ママのネックレスはね、パパの気持ちも沢山入っているの。だから、ママのものだけどママだけのものでもないんだ。」  私の言っていることが理解できない娘は、通り過ぎて行ったカップルを見つめていた。そのカップルは溢れ出る幸せのオーラを振りまいていた。 「ねぇ、愛ちゃん。もう赤ちゃんじゃないんだから分かるよね?」  幼児に理解出来るわけないが、駄々を捏ねる娘につい無理なことを言ってしまう。  娘は私の話に耳を貸さず、カップルをジッと眺めていた。 「ママ、お姉ちゃんたち何してるの?」  娘に促されて目をやると、カップルは芝生の上を子供のように転がっていた。 「アッ!あのお姉ちゃん。大人なのに抱っこされてるーっ」  娘の視線の先にいるカップルに目をやると、彼氏が彼女を抱えてはしゃいでいた。  その光景に思わず頬を緩めて笑ってしまう。ベタベタしているわけでもなく、なんとも微笑ましい。彼氏から愛されているということが、傍から見ていてもよく分かった。 “ 幸せなのね・・・。”  その光景に気を取られていると、娘が突然カップルのところへ走り出して行った。 「ちょ、ちょっと愛ちゃん!」  娘は気になることがあると、臆することなく突っ走ってしまう。 「ちょっと愛ちゃん!どこ、行くの!」  あのカップルのどこに興味を持ったのか・・・。  小さな体は、たどたどしい足取りでカップルの許へと走って行った。
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