人形お迎え狂想曲

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人形お迎え狂想曲

 秋の肌寒い早朝、薄緑色の電車は私を乗せて人形博覧会に向かっていた。私は二両目の座席で人形の写真が散りばめられた展覧会のカタログを読んでいた。  この日の人形博覧会のためにロリータ服を新調し、全身甘いコーディネートで決めている。今日の私は完璧だ。  「なにあれ、キモい」  「お人形ですかー?」  向かいの座席に座る女子高生くらいの女の子たちが私の服を見て聞こえるように言うが、気にしない。そちらを見もせず、私は手の人形のカタログにますます顔を傾けて熱中していく。  アナウンスが展覧会の会場まであと一駅と告げる。  思わず厚底ブーツの爪先が立ってしまう。何と言っても今日は、人形を作っている会社が全国から集まる人形展覧会だ。    私が興味を持っているのは、合成樹脂でできた六十センチの球体関節人形だ。特に私が集めているポークス社のものは従来のものより人間に近い。その質の高さは界隈でも評価が高く、ポークス社の人形を持っていることはステータスだ。  ただし高いのは質だけでなく値段もだった。  私も自宅の数十体の人形たちを、少ない生活費から資金を工面して購入してきた。  そんなふうにお金をかけて作られた人形を注文し、手に入れることを私たちは敬意を込めて「お迎えする」といった。  アナウンスが目的地の名前を繰り返した。私は背筋を伸ばして車両を降りた。  さあ、今日はどんな人形に出会うことができるだろう。  海に近い大型の展示場は、朝日に屋根を輝かせていた。  私はコンビニで飲み物を買い会場に入った。空調が効いて涼しい場内はまばらに人がいる。  しばらくブラブラと会場内を見て回った。  その時だ。  不意に目に入ったのは、白銀の髪。目をあげるとそこに藍色の瞳が私を見ていた。  幾重にもフリルを重ねたドレスに、透き通るような肌、長い睫毛。  ガラスのケースに収められたその人形は、今まで見たどの人形とも違っていた。  その人形を優に十分は見つめていただろうか。  私はやっと、自分がポークス社のブースにいることに気がついた。  「あの、この子」  ください、と何かに導かれるように社員に言おうとした私は口をつぐんだ。不意に後ろで声がしたからだ。  「この子をください」  男性の声だった。振り返ると、同じ歳くらいの背が高い男が立っている。   ボサボサの黒髪を目から払いのけて彼は私に言った。  「こっちが先約だ」  鋭い目に見下ろされながらも、私は言い返した。ここで引き下がっては、この子を取られてしまう。  「すみませんけど、私が先にお迎えしようとしてました。諦めてください」  そうですよね、と社員に同意を求める。  「買いたいと先に行ったのはこっちだろう」  男が詰め寄ると、社員の女性は困ったように笑顔を作った。  「どうなんですか」  この男が引き下がらないと、この子をお迎えできない。あんなに美しい子なのに。  半分泣きそうな私に詰め寄られた社員は困り顔で言った。  「今、責任者に聞いてきます。少々お待ちくださいませ」  社員が席を外すと、私は男をにらんだ。  「私、諦めませんから」  「なんだって?」  「絶対、この子をお迎えします」   男は馬鹿にしたように私を見て、胸ポケットから名刺入れを取り出した。  「私はこういうものだ」  「佐々木倫一……人形コレクター」  名刺にはそれだけ書かれていた。  「気に入った人形を集めるのが私の生き甲斐だ。そのためには手段を選ばない。だから、私も絶対に諦めない」  むっとして私が佐々木と言う男に言い返そうとした時だ。  「お待たせしました」  ブースの奥から責任者らしい中年の男性がやってきた。  「お話はお伺いしました。ご両者とも、大変申し訳ないのですが、このようにさせていただきます。先に着手金をお支払いいただけたほうがこの子をお迎えする権利を得る、と」  佐々木が片手を上げて財布からクレジットカードを出した。  中年男性の社員が私の方を見る。  あの子の足元についている値札を横目で見る。今の私には到底届かない金額だ。  「私は……その」  口籠っていると中年男性は頭を振って、残念ですが、と手元のカードリーダーに佐々木のカードを差し込んだ。横で佐々木がにや、と笑う。  息を詰めて見ていると、カードリーダーは低い音をたてた。  「おや、失礼ですが今月の限度額を超えられているようですね」  「しまった!連日人形展覧会をはしごしたせいだ。散財しすぎたか」  「これでは……」  私は思わず笑顔になる。  「私、絶対に彼より先にこの子をお迎えするお金を用意してきます。だから」  「だから、競争、というわけだ」  佐々木が割って入り、私と彼は再び睨み合いになる。  そうして、私があの子をお迎えするための闘いが始まったのだった。    まずは資金集めのためにバイトをした。  ロリータ服も売り飛ばした。  止める親も説得した。  全てはお迎えのためだ。  口座から引き落とした資金を持って  お店に行く。  佐々木と同時に入店したが、私の方が早かった。  お迎えの儀式があるという。  佐々木も同席させてほしいという。  仕方ないな、と気分が良くなっていた私は許可する。    ついにお迎えの儀式。  スモークがたかれ、荘厳な音楽がなる中、司会役が口上を述べる。  天井に吊るされた籠からあの子が降りてくる。  私の胸は高鳴る。  やっと、私のもとにお迎えできる。  これであの子は私のものだ。    その時だ、地面が揺れた。  「地震だ」  佐々木が呟くのが聞こえた。  私はあの子の方を見た。籠の中で激しく揺れている。  揺れは激しくなるばかりだ。静まり返った会場の中で、物がたてる音だけが聞こえていた。  私はあの子が籠から落ちるのではないかとばかり心配していた。  そして、大きな揺れが来て、その心配は当たった。  あっという間もなくあの子が座っていた籠から宙に放り出される。  考えるより前に体が動いていた。  あの子の下へ走る。  滑らかな髪を両手に受け止める。  そして私は右足から地面に倒れた。  何かが壊れたような、鈍い音が響いた。  激痛が倒れた体に走る。  地震は止まっていた。  「大丈夫か」  佐々木が覗き込んで聞くが返事ができない。  首をふる私に、彼は私の足を見、従業員に言った。  「救急車を呼んでください。足が折れてる」    「具合どうだ」  コンビニの袋を下げて黒い頭が病室のカーテンから覗いた。  「佐々木」  「仕事でなかなか来れなかった、悪い」  読んでいた雑誌を脇のテーブルに置き、私は天井から吊ったギプスの右足を動かさないように起き上がった。  「良いよ、ありがと」  ベッドの脇に座った佐々木は、袋から果物が入ったゼリーを出して寄越す。  「何がいいかわからなかった」  「うれしい、フルーツ大好き」  「で、具合は?」  「さっきの検診では、順調だって。このまま完全に骨がくっつけば来月には退院できる」  良かった、と佐々木は口の端にしわを作り笑む。  「もうあんな無茶するなよ」  私を見て彼は言う。私は片方の膝にゼリーの容器を置いて彼を見返した。  「所詮、相手は人形なんだから」  その顔からは、出会った時から彼がまとっていた意固地さが消えていた。まるで何か悟ったように。きっと私が足の骨を折ったことで彼にとって、人形は命をかけるに足らないものになったのだろう。それでも、私にとって人形は人形以上だ。  「そんなことないよ」  スプーンを握りしめ、佐々木にはっきりと言う。  「あの子は私にとって特別なの。どんなに苦労しても、たとえ足を折っても、お迎えしたことに後悔なんかない」  佐々木は眉を下げて笑いながら、そっか、と頭を振った。  「あの子は幸せだな。君にお迎えされて。きっと、君の元に来る運命だったんだ」  そうかも、と私は照れて少し笑う。佐々木も気恥ずかしいのか、あちこち目をやった後、テーブルにあった雑誌を取りあげて、適当なところを開いた。雑誌の表紙には、天使の園、と書かれている。パラパラとページをめくって佐々木は少し黙る。  「これ、カタログだよな。またフルオーダーするのか」  脇のテーブルから付箋を取って私は佐々木が開いていたページに貼り付ける。  「そうよ。これにしようかなって思って」  「あの子で最後のお迎えと言ったじゃないか」  佐々木の顔から笑みが消える。  その時看護師が、検温のお時間です、と部屋に入ってきて会話は中断された。  「あの子は今どこに」  看護師が出て行った後、佐々木は訊ねた。  「部屋でガラスの箱に入っているわ。他の子と同じようにね」  「君は人形を手に入れることそのものが目的なんだ。本当に人形が好きなんじゃない」  佐々木の断罪するような口調も私は気にならなかった。私はこれからも、これまでもそうなのだ。  私は彼にはっきり、そうよ、と言う。  「なんだって、お迎えするまでが楽しいんじゃない」
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