刺激のないあなたへ

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 私は、ついに手を出してしまったのだ。 悲しい独り身学生の悲しい遊びに手を出してしまったのだ。 つい先日、私はインターネットである広告を見つけた。 “刺激のないあなたへ。非日常があなたをお迎えに参ります。例えば学校帰りに執事がリムジンでお迎えしてお嬢様気分に。秘密の組織がお迎えして主人公気分に。あなたの望むお迎えシチュエーションをご用意します。値段は時間と内容で変わりますが、一回5000円から!試しに非日常を味わっては…?”  私は“非日常”その言葉につられてしまった。独り身大学生の生活に、何か清涼剤となるものが欲しい。 周りは桃色遊戯をして楽しんでいやがるが、思慮浅薄大学生ではない私はそんな遊びはしないのだ。至極全う、学生の本分たる学問に身をやつして生活しているのだ。しかしそんな生活では、刺激が、非日常が足りないのだ… 私は少し恥ずかしながらも、広告にアクセスした。  怪しいサイトには違いないが、詐欺の類ではなさそうだ。会社概要もあるし、会社登録もされている。本部の住所も書いてあり、調べてみると所在地に会社らしきものもあった。  私は安心し、そのサイトを調べることにした。 “選べるシチュエーション例”のところを見ると先ほど謳っていた執事のコースがあった。どれどれ、値段を調べたが、まあ手の届かない値段だった。おそらく背伸びをしても無理な値段だ。独り身大学生は、彼女もいなければ金もないのである。悲しい人間なのだ。 しかしよくよく見ると、お試しコースという物がある。お試しコース5000円から! と書いてあるではないか。5000円とは独り身大学生には偉い出費であるが、彼女に使う金がない分、それくらいの金はなくはない。どうせパチスロで消えるくらいの金額だ。それで非日常が買えるなら安い。 その中にこんなコースがあった。“美少女の妹がお迎え!お兄ちゃんラブラブコース”  私は妹萌えである。仕方がないのだ。私の(さが)なのだから… この悲しきコースを頼んで早二日。お兄ちゃんラブラブコースの日である。私は朝から入念に準備した。妹に嫌われないように一番良い恰好をした。私の一番良い恰好は近所の服屋で買ったTシャツ(プリントはUSAと大きく書かれたものである。)とジーンズパンツである。ひげをそり、歯をよく磨いた。入念に、入念に…そして、慣れない整髪料をつけ七三分けをした。完璧である。素晴らしいお兄ちゃんである。ちなみに私には妹はいない。  その日、大学の講義を終えた後、私は妹を待った。どんな妹であろうか。私はその妹が来るまでえらく待ったような気がする。秋が千回終わるような気がしたものだ。まだか、私は残り冬を何回待てば良いのだ…そんな考えが脳を駆け回っていた時、隣から声がした。 「迎えに来たよ!お兄ちゃん!」わたしは突然の声に驚いた。「ななな、なんですか?」  私は声の方向を見ると、そこには美少女がいた。セーラー服を着た少女だった。「ごめんね。遅くなって」と少女は言う。可愛い。あといいにおいがする。何というのだろうか。とにかくかわいいのだ。黒い髪のショートボブというのか。目は大きくて真ん丸で。猫のような可愛さというのか。こんな人間が、本当にいたのかというような。あと、いいにおいがする。 「ま、まってないよ。大丈夫だ」私は、そう反応した。自慢ではないが私の女性経験の少なさゆえのボキャブラリーの貧弱さからではこのような回答しかできないのだ!「じゃあ、かえろっか!」と妹は言う。そして帰り道を一緒に歩きだした。  さて、ここで困るのは、私はこの妹の名前を知らないのである。この妹は、私の事をお兄ちゃんといえばよい。しかしだ。私はこの妹の名前を知らないのだ。では何といえばよいのか。妹よ。というのか。いくら女性経験が少ないとはいえ、それがおかしいことぐらいは承知である。お前というのはなんかいやである。如何しようか。如何しようか。と私が悩んでいた。しかし、この妹の髪は歩くたびにふわふわとしている。そのたびにいいにおいがするのだ。しかし、私は妹の名前を言えない。くそ、これがお試しコースの弊害なのか…すると、妹は突然、たたた、と走りそして私の方に振り返った。その振り返るときのしぐさ、セーラー服のひらりとする様子。そして髪がふわっとまって私の方に向かって笑顔で話しかけてきた。後ろに手を組んで、まるでアニメのワンシーンのように… 「お兄ちゃん。」と妹は言った。 私は、一言。この時やっと一言、言えたのだ。「なんだい?」と 「あのね…」妹は私に向かって笑顔で甘い声で私にささやいた。 「これでお試しコースはおしまいです。いかがでしたでしょうか。またのご利用お待ちしております。」 「え、これで終わりなの?」私は思わずそう言った。妹に対しての言葉ではなくなっている。「ええ、これでおしまいです。申し訳ありませんが、これでおしまいなのです。」と妹は言う。もはや妹ではない。大学の事務のおばさんと同じ口調だ。  そんな馬鹿な。妹とラブラブコースだぞ。お兄ちゃんにキスの一つくらいでもしてくれるのではないのか…「キス…ですか?それはちょっと…」とこの女は言う。  どうやら思考が漏れてしまっていたようだ。何という事だ。「ええ、でも5000円も払ったのですよ?駅前の風俗でもキスくらいは…」と言ってしまった。私の長所でもある隠し事が出来ないことがここで発揮された。「出来ません。」とこの元妹は言うのだ。何という事だ。これだったら駅前の格安風俗に行った方がましだ。私は腹が立ってきた、このただかわいいだけの、いいにおいがするだけの女の子とたった500m歩いただけで5000円だと!そんな馬鹿な話があるのか…いや、違うな。違う。これは、ツンデレなのだ。おそらくこの女の子はツンデレ妹のふりをしているんだ。そうに違いない。そうなんだ。私の恋愛の教科書のPCゲームの主人公はこんなときどうしていたっけ…?たしか…。そうだ、そうだ。  私はその少女の肩を持ち無理やり、キスをした。そうだ。たしかあの主人公は… 「~~~~~っつ、やああ!!」ツンデレ妹は叫んだ。そして、私の目の前は真っ白になり、意識は暗闇に落ちていった。「主人公が、されたことと同じだ…正しい、選択だったんだ…」  ふと目が覚めると周りに人だかりができている。どうしたんだ…?と私は周りを見渡した。妹がいない…先に帰ってしまったのだろうか…?かすかに妹の残り香がするような気がした。すると、となりから声が聞こえる。どうやら私の名前を読んでいるらしい。 声の方を振り返ると、青い制服の、男が私に話しかけてきた。「お迎えに来ましたよ。女性の方から通報がありましてね。」と言ってきた。私は何の話か分からなかった。しかし、私の桃色遊戯をしないで鍛えてきた灰色の頭脳はすぐに答えをたたき出したのだ。  なるほど。こういう事か。私はその男に話しかけた。 「この警察官モノはお試しコースですか?」  男は不思議そうな顔をしながら私に言った。 「何の話ですか?続きは、あちらのパトカーで…」
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