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美しい人
路地を曲がったところだった。
男共に囲まれている人がいた。
『姉ちゃん、ちょいとそこらで遊んでくれよ。
お金ならドンと弾んでやる』
『お金なら十分あります。 贅沢は望みません。
質素に生きれていればそれでいいのです。』
番傘をさした女性は妙に落ち着いており、一つも怖がる素振りが見られない。
すると時代劇でいう将軍の様な佇まいの男が出てきた。男でも怯む容貌をしている。
『待て、先に目を付けたのは俺だ。
邪魔するもんじゃない、今に痛い目に見るぞ。
なぁ、嬢ちゃん。』
『はっ、お久しぶりでございます大原の旦那様。』
大原の旦那といえば先程の村で注意しろと言われた。どうやら、ここの実力支配者であり恨みは買うもんじゃねぇぜと団子屋のご主人は言った。
肩に手を回し引き寄せた。
『嬢ちゃんくらいの美人なら、いくらでも男が寄ってきて吉原で丸儲けだぜ。どうだい、こっちにこねぇかい。』
その人はするりと肩に乗せられている腕を下ろした。
『結構です。
私は旅の者ですのでそのうち気の向くまま旅に出ます。貴方方のお役には到底立てません。
お引き取り願えませんか。』
そして立ち去ろうとした。
立ち塞がるようにして男は見下ろして言った。
『それは無理なお願いだ。
俺に抱かれるか客に抱かれるかどちらかだ』
ずっと傘で隠れていた顔の上半分が見えた。
目の端が広がり穏やかな笑顔だった。
『それは、困りましたねぇ。
色々と私の面目がつかないというか。』
この状況で笑っているのに男は少し驚いていた。
『減るもんじゃねぇだろ。』
手を掴むと無理矢理連れ込もうと大通りに止めてある車に向かい引っ張っている。助けなければ。
『手を離して下さいませんか。
私は平和主義ですからなるべく手荒な真似はしたくないのですが。』
『丁寧な言葉の割には強気だ。悪くない。
すぐに、その口を利けなくなるぞ』
その人から一瞬にして隠れた殺気がでたのに気がついた。
男の手を掴むと自分よりも一回りは大きいと思われる屈強な男を軽く投げた。
唖然とする私や取り巻き達は男の癖に縮み上がってしまい端に立っているだけだった。
『はぁ、どうしましょうか。骨が折れるなぁ。
何処からでもかかってきなさい。』
立場が完全に逆転してしまっている。
『そこの輩、見回りの者だ。何をしている。
たった今近くから男に絡まれている女性がいるとの連絡があった。』
大原は立ち上がると唾を吐いた。
『ちっ、誰だ人を呼んだのは。
いや、何もない。この女性が困っている様子だったのでな。道案内をしていたんですよ。
あとは頼みますよ、お巡りさん』
肩に手を置き、笑い去っていった。
『ふぅ、何のことやら。まぁ、いい。
上手いこと丸めこまれるのは不服であるが、人の骨を折ることにならなくてよかった。』
その人は呟いた。
見廻り組には聞こえていない。
『大丈夫ですか?人通りの少ない路地裏で若いご婦人が独りで歩くのは非常に危険です。
近頃辻切りがこの辺りで出没しているそうですから、お気をつけてお帰り下さい。
宜しければ家までお送りしましょうか』
再び穏やかな表情に戻ったあの人は深々とお辞儀をした。
『私は大丈夫です。ご苦労様です。
わざわざ屯所からお出でになりまして 、お手間を掛けさせました。
あそこに私の連れが迎えに来ましたのでご安心下さい。 』
『左様ですか。では、ここで。お気をつけて。』
妙な人だな。多分、武道を習っていたのだろう。
私は自分の腹時計がなっているので、きびすを返した。
連れとは何処にいるのだろう。人一人いない路地裏であったから、見当たらない。
足音が近づいてくる。
『もしもし、そこの主人。
貴方でしょう人を呼んだのは。』
近くで見ると確かに端正な顔立ちをしている。
寧ろ、中性的とも言える。
『ええ、ご無事ですか』
『ええ、このような事には慣れていますので。
心遣いに甘えて感謝します。貴方の名前は?』
『徳永京平といいます。』
『御礼に少しお茶でも。
ここのお団子はとても美味しいのですよ。』
私は何とも言えない不思議な気持ちになった。
『御礼なんてそんなもの結構ですよ。
お気持ちだけ受け取っておきます』
『御礼がしたいのです、いやさせて下さい。是非』
私はお言葉に甘えて茶店に入ることにした。
私の住んでいた田舎の下町とは大違いで、ここの町は値段は張るが良い物が多い。
こんな地価の高いところには住めないからと、ばあやはもう少し田舎じみた町において来た。
ばあやへのお土産も考えないといけないな。
『何を頼みますか』
『では、お勧めのお団子を頂きます。』
『では、私は餡蜜にします。』
美しく皿に盛られた餡蜜と見た目の質素な三色団子が出てきた。
『頂きます。』
『どうぞ召し上がって下さい。』
正面私が口に運ぶのを見ている。
『本当に美味しいですね。』
『喜んでもらえて良かった。』
私が一口食べたのを見ると、この人も餡蜜をすくった。この時、私はある人のことを思い出していた。
その人は、餡蜜が好きだった。
私達は皆慕ってこう呼んでいた。
ー先生
私の家は大地主で何の不自由も無かった。
両親と暮らしていて、身の回りの事は泊まり込みの使用人である、ばあやが全てしてくれたのだ。
ばあやの本名は斎藤邦江といった。
父は此処では珍しい官僚であった。
周りの家庭より裕福な持ち物も持っていた。
よく父が中心街に連れて行ってくれたものだが、行くと必ず病気をもらってくる。
いつしか父は私を連れて行かないようになった。
屋敷は十分なくらい広く、何でもある。
学校へ行く歳になるまで屋敷から出なくなった。
正確にいえば、ばあやが私のお守りをしてくれており、外へ出ないやうに命を受けていたからである。
お菓子も料理人の作った牛乳の氷菓子や、おはぎ、あんころ餅、といった物しか口に出来ない。
客人が来た時は、洋菓子を土産に持ってきてくれるのが嬉しかった。
ある日、父の取引先のお爺さんが来た事があった。
その人は珍しく苺の大福を持って来ていた。
こんにちは、と頭を下げると
廊下ですれ違った時に『よく出来た坊やだ』と父に言った。
私はもう既に自我が芽生えていた。
坊や、という言葉が馬鹿にされているように感じて気にくわなかった。
それに、和菓子なんて何処でも買える。
私は父と使用人の目を盗んで三つしかないのに、一つ食べてしまった。
暫くして、使用人が台所へかえってくると、すぐさま父の元へいった。
『栄治様、ほんの少し台所をあけたところ苺大福が一つ無くなっておりました。申し訳ありません。
一名様のみ饅頭をお出しすることになりますが宜しいでしょうか。』
父と客人二人は驚いていた。
『構わない。大方、京平の仕業だろう』
すると、客人は忽ち笑い出した。
『実に愉快だ。余程大福が食べたかったのだろう。次来た時も大福にしよう』
こういう経緯で土産が和菓子しかなくなるという苦い思い出になったのであった。
石造りの塀は当時の私にとっては大きく、越えられる様になるのは大分と後の事になる。子供のはしゃぐ声を縁側に座り聞いていた。
「京平様、お冷えになります。
どうぞ中へお入り下さい。」
「ばあや、分かったよ。」
この地域では、数件しかないテレビのある家で日中は父と母は仕事で殆ど家を空けていたからテレビを独占していた。
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