鬼の居る家

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ある日の暮れ、私は公園の溜池で釣りをしていた。 朝の八時に家を出て、そのまま学校にも行かず釣り竿を担いでいつもの溜池を覗き込んだ。 濁っていて何も見えない。暗い底には何もない。 魚がかかるはずもなく私はぼんやりと空を眺めた。 何かが引っ掛かり、反応があった。 急いで引っ張ったが力が強すぎて引き込まれそうだ。 額から汗が滴り落ち、腕の筋肉が伸びて、踏ん張りもそろそろ限界が近づいた。 その時、黒い影が現れた。背後に誰かが立っている。 『また、君ですか。懲りませんねぇ。 少し我慢して下さい。』 私は両腕を掴まれた。白くて細い腕が私の腕を後ろに引っ張った。耳元に息がかかる。 私は水面から竿が出たのと同時に反動で後ろに倒れ込んだ。 背後にいた人は私の下敷きになっていた。 私が起き上がると、その人は自分の頭をさすり立ち上がった。服の砂や汚れを落としている。 前髪は跳ね、服は袴だった。 下級身分の服装をしている。 『大丈夫ですか。徳永家の御子息が怪我でもしたら大変です。手当ては一通り出来ます。』 黙ったまま頷いた。 たまにいるのだ、父の信者が。 すぐさま、陸に上がった私の竿の先に興味を示した。 『これは、スッポンですね。 まぁ、ここの溜池はその程度しかでないでしょう。まぁ飽きずに毎日居るものですね。』  スッポンを見ていた目は私に向き直った。 私の目の奥さらに思慮の深層まで入ってくる、そんな綺麗な瞳をしていた。 『ところで、私は君が毎日学校を休んで釣りをしてることを知っています。 徳永家の御子息ともあろう方が非行に走るとは、親御さんが聞けばどうするやら。 小さき頃から英才教育を受けていながら。』 目を細めて笑った。 『何故僕の名を知ってるんだ。』 『それは、変な質問ですね。 貴方のご両親と貴方が有名だからではありませんか。』 私は睨みつけた。 『お前は何者なんだ』 『えぇと、何でしょう。発明家、忍者ですかね。 あはは』 『ふざけるな。僕は真面目に聞いているんだ。 この無礼者が』 前髪を押さえながら、私に手を伸ばした。 『いつまでそこに座っているのです。』 同情のようなものを感じ屈辱的な気分になった。 私は伸ばしている手を払い立ち上がった。 『普通の教諭を主にやっています。 お金のない子供達にお金は取らずに教育を受けさせてあげています。』 この時代の教諭には珍しい背広ではなく袴を履いていた 『君はそのままで楽しいですか。』 『御前に何が分かる』 見透かされたような気持ち悪さが背中に伝う。 『僕の勝手だろう。学力の低い同世代の輩と勉強もしたくない。堅苦しい家のしきたりや学校の制服も大嫌いだ。』 その人は私にずいっと近づいた。 『そうですか。 貴方はやっと自分に素直になれましたね。 口に出して人に自分の気持ちを伝える事は大切です。それは、難しい事なんですよ。 大人になれば忘れてしまう。 大人になれば周りに合わせて、批判のされない意見を言って取り繕う。 貴方にはそのままでいて欲しい。』 初めて会った人であるのに、自然に意識を取り込まれる話し方に私はいつしか集中して話を聞いていた。 『私には貴方の事は何も知りません。 しかし、貴方はとてもつまらなそうにしている。 そういうことだけは鼻が利きます。 私の寺子屋に来ませんか。 此処では学べない事が学べますよ。 来る気になればここへおいで』 新聞の裏に地図を書くと私の手に握らせた。?
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