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 ――自宅、自室。  酷く久し振りに帰ってきた自室は、最後に見たときとなんら変わりなかった。  異常があるとすれば、間違いなくこの男の存在だろう。  花戸成宗は俺の部屋に当たり前のように居座っていたのだ。リビングで母親に用意させたらしい水の入ったグラス、それが乗ったトレーを部屋のテーブルに置き、花戸はベッドに横になっていた俺を覗き込んでくる。 「ようやく、目の焦点が合ってきたみたいだね」 「……っ、……」 「無理して動かない方がいいよ。さっきは少し強めにしちゃったから、体の筋の方に負担がかかってるだろう?」 「……なにが、したいんだ」  お前は、と声を絞り出す。  すると、花戸は薄く微笑んだまま汗で張り付いていた俺の前髪を撫で、指で弄ぶ。 「なにって、言ったじゃないか。ずっと君の元気がなかったから、気分転換だって」 「……」 「ずっと帰りたかったんだろう? ここに」  優しい声とは裏腹に、花戸の本心が霧がかったように見えなかった。  けど、間違いなくわかることがある。  牽制のつもりなのだろう。先程の花戸の態度からして、花戸は俺に知らしめようとしたのだ。  ――お前の母親のことなどいつでもどうにでもできると、そう言うかのように笑うのだ。  いつ、どこで母親の名前を知ったのか。そのことを聞くことすら気分が悪かった。俺と同じように郁の友人を名乗って、俺がいない間にこの家に訪れていたのか。  この男は何でもすると分かっていたからこそ、考えたくなかった。  ずっと休んでるつもりはなかった、体を起こせば「もう動ける?」と花戸が声をかけてくる。そして、そっと背中を撫でようとしてくるその手を振り払った。 「……っ、触るな」 「はは、……そんな元気が出たんだったらよかったよ。けど、そういう態度は二人きりのときだけにしようね」  その言葉に、ずきんと首筋が焼けるように疼いた。声も柔らかく、表情も笑っているが、その言葉の中身は脅しだ。  余計な真似をするなと暗にこの男が言っているのだと理解すれば、何も答えることができなかった。  これからどうすればいいのか、ようやくあの部屋から出て家まで帰ってこれたというのにまるで逃げ道が見つからない。  せめて、この首輪を操作するリモコンさえ奪うことができれば……。 「ああそうだ、これ、陽子さんに用意してもらったから飲んでおきなよ」 「……っ、いらない」 「水分補給は大事だよ。……感電したとき体内の水分も奪われてしまうからね」  言われて、口の中が乾いていることに気付く。  けれど、いくら母親が用意したとはいえどこの部屋まで運んできたのは花戸だ。また何かが入ってるかもしれない、そう考えると飲む気にもなれなかった。  無言で首を横に振れば、花戸は困ったように眉を下げた。 「飲めないなら俺が口移ししてあげようか」 「……っ、やめろ。……飲む、から」 「遠慮しなくてもいいのに」  くす、と小さく笑う花戸に背筋が震える。この男なら本気でやりかねない。この男に口移しされるくらいなら、毒が混ざってようと自分で飲んだ方が遥かにマシだ。  そうグラスに手を伸ばし、グラスを落としてしまわないように恐る恐るその中の水を喉に流し込んだ。  軽い炎症のように火照った体に、冷水は染み渡った。  それから俺がゆっくりと水を飲み干すのを見ていた花戸は、そのグラスが空になったのを確認して「それじゃ、下へ降りようか」と口を開いた。 「間人君もお兄さんには会いたいだろう?」 「……ッ、なに、を……」 「それに、俺も改めてあいつに報告することがあるからね」 「ようやく君と一緒になれたって報告」そう幸せそうに、蕩けたような目でこちらを見つめてくる花戸に背筋が凍った。  兄の仏壇は一階の和室にある。一緒に父方の祖父母の仏壇があった。  嫌だ。あそこにこの男が行くのは嫌だった。死んだあとでまで兄の、我が家の仏間をこの男に踏み荒らされるなんて。  俺がいないときに既にきていたとしてもだ、それでも訳が違う。  いやだ、と伸びてくる手を払いのけようとするが、花戸は「いいから」と俺の腕を掴んでくるのだ。強い力で引っ張りあげられる体。すぐ顔を上げれば、鼻先に花戸の顔があった。 「これは大事なことなんだよ、間人君。俺が君と改めてちゃんと家族になるんだって、君のおじいちゃんやおばあちゃんにもお知らせしなくちゃいけないんだ」 「ぉ、お前は……っ、おかしい、誰が……ッ」 「言ったじゃないか、昨夜あれほど。俺のことをこの口で、可愛い声で、お兄ちゃんって」 「……っ、ぅ、や、め……ッ」 「もう忘れたの?」と花戸の指が唇に触れ、くにくにと唇を揉むのだ。やめろ、と続けるよりも先に、小さなリップ音を立てて唇を吸われた。そして、腰を抱いたまま花戸は微笑むのだ。 「言うこと聞かない子はどうなるんだっけ?」  そして、首輪の遠隔リモコンを手にした花戸に全身が凍り付く。背筋がぴんと伸び、そのまま動けなくなる俺に花戸は「それじゃあ、行こうか」と再び微笑みかけてきたのだ。  ずっと、心臓が痛かった。電流が流れたときの血管に掛かるあの圧、それが押し寄せてくる瞬間全身の血管が耐えられずにハチ切れるのではという恐怖が既に俺の体、そして細胞に植え付けられていた。
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