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何を、なんで、どうして。疑問を覚えるよりも先に、慌てて携帯を取り出そうと伸ばした腕ごと掴まれる。あまりにも強い力だった。
何が起きてるのか、花戸がなにをしてるのか理解できず、頭の中が真っ白になる。
「あれだけ処分しろって言ったのに、本当馬鹿だな。あいつは」
頭の中、警笛が鳴り響く。
言葉よりも早く、それよりも携帯を早く取り出さなければと花戸の腕を振払おうとするが敵わない。それどころか。
「おいで」
「花戸さん、携帯……っ」
「そんなもの必要ないよ」
どうして。何故。
口の中から水分が乾いていくようだった。トレイから引きずり出される。
タンクの底に沈んだ携帯が気がかりだったがそれでもどうすることもできない。
花戸に引っ張られてやってきたのは先程の兄の部屋だ。乱暴に部屋の扉を開いた花戸はそのまま俺から突き飛ばした。バランスを崩し、ベッドの上に転ぶ俺の目の前。ベッドへと乗り上がった花戸に頭を撫でられた。
「……っ、は、などさん……?」
「頭、打たなかった? 大丈夫?」
言いたいことは色々あるはずなのに、まだ混乱してる。
花戸の意図が分からない。
濃くなる煙草の甘い匂い。優しく頭を撫でられ、そのまま頬へと伸びてきた指先に思わず全身が震えた。花戸の指から逃げようと身を引いたとき、僅かに花戸の瞳が揺れた――そんな気がした。
それも束の間、花戸は優しく微笑むのだ。
「君は本当に危なっかしいな。侑が君を大事にしてたのもわかるよ。過保護なくらい、大事にしてた」
兄の名前に思わず顔を上げたとき、唇をなでられる。ぞっとするほど優しく、だからこそ困惑した。
なんだか嫌な予感がして花戸さん、と呼びかけようとしたとき。
ちゅ、と当たり前のように唇を重ねられる。
最初は触れるだけの口づけだった。けれど、それを繰り返す内に次第に花戸の触れる手に力が入るのだ。
俺は、逃げることも忘れていた。唇になにかぬるりとしたもの触れ、そこでハッとする。それは花戸の舌だった。
「……っ、ふ……ぅ……」
咄嗟に花戸を付き飛ばそうとするが、伸ばした手首ごと掴まれ、更に後頭部に回された手に頭を抑え込まれるのだ。長い舌が唇を割って侵入してくる。
何故、花戸にキスされてるのか。
息苦しさの中、ただじっとこちらを見据える花戸の目から視線を逸らすことができなかった。呼吸をするタイミングすらわからず、舌を絡められ、深く優しく執拗に愛撫されるのだ。
溜まった唾液を飲み込むことすらできず、唇の端からとろりと溢れそうになる。それを花戸は舐めとるのだ。そこでようやく俺は空気を吸うことができた。
「っ、なにを、するんですか……っ」
「言っただろ、侑のこと教えてあげるって」
だからってこんな真似、と言い掛けて全てを理解した。
瞬間、全身から熱が抜け落ちていく。
「侑は好きだったよ、俺とのキス。それ以外は相性最悪だったけどね」
とん、と伸びてきた指に胸を叩かれる。
心臓が跳ね上げ、考えるよりも先に花戸を殴ろうとして――気付いた。殴ろうと握りしめた拳は振り上げることも許されなかった。
「っ、離せ! あんた、あんたが……っ!!」
「まあ、落ち着きなって。君は恋人を探してるって言ってたけど、俺と侑は付き合ってないよ。……だから、君に嘘を吐いたわけじゃないんだ」
「そんなの」
詭弁だ、と言いかけたとき。「確かここに」とベッドに取り付けられた引き出しから何かを取り出した。それを見て、血の気が引いた。
それは黒いゴムロープだ。その束を手にした花戸は俺が抵抗するよりも早く、ベッドの頭に取り付けられた縁へと両手首ごと縛り付けるのだ。
必死にロープから抜け出そうとしてもびくともしない。それどころか、血流が阻害されるほどの強い縛りに指先の感覚がびりびりと痺れていくのが分かる。
「……っ、離せ」
「声、震えてるね。……うん、やっぱり君たち兄弟は似てないよ。君の方があいつよりも可愛い」
何を言ってるのか理解できない。このようなタイミングで褒められ、よりによって兄と比べる目の前の男が同じ人間だと思えなかった。
腕で身を守ることもできない。無防備になった上半身、滑るように伸びてきた手のひらに脇腹から脇までを服の上から撫でられる。
やめろ、と声が震えた。その胸元、抱き締められるように顔を埋める花戸に全身から血の気が引いていく。
「線香の匂いがする。……あのときもそうだったね。線香と、畳の匂い」
あのとき、と言われ兄の葬式で出会ったときのことを思い出した。涼しい顔して俺の申し出を受けたと思うとあまりにも図々しく、慄く。
それ以上に、だとしたらこの男が兄の携帯を沈めた理由も自ずと浮かび上がるのだ。
「っ、あの携帯に見られたら都合が悪い……だから沈めたんですか?」
「君、もしかして俺が君のお兄さんを自殺に追い込んだって思ってる?」
「それは……」
「違うよ、殺したのは俺。……君とまた会いたかったから」
「――、――」
は。と、開いた口が塞がらなかった。
花戸は変わらない笑顔のまま続けるのだ。俺をじっと見詰めて。口は笑ってるのにその目の奥は一切笑ってはいない、薄暗い瞳には酷い顔をした自分の顔が反射していた。
「あいつの葬式なら、流石に君も来てくれるだろって思ってね」
「本気で、言ってるんですか」
「そうだよ。俺は君には誠実でありたいと思ってるからね」
目の前がぐにゃぐにゃに歪む。理解できない。意味が分からない。目の前の男が兄を殺した?ならなぜこんな平然としてるのだ、何故俺に言うのか。
――俺も、この男に殺されるのか。
頭の奥がカッと熱くなり、咄嗟に花戸を蹴ろうと藻掻くが体重の乗った足はびくともしない。
それどころか、「元気だね」と腿を撫で上げられひくりと喉が震えた。
「……う、そだ」
「信じるも信じないも好きにしたらいいよ。俺は強制しない」
「っ、あんた、最悪だ」
「君のせいだよ」
その一言に胸の奥がずん、と重くなる。一瞬、抵抗を忘れたときだった。
顎を掴まれ、再び唇を塞がれた。伸びてきた手に服を脱がされる。抵抗などできなかった。ベッドが軋むのをお構いなしに縁ごとぶち壊してやろうかと思ったのに、動かそうとすればするほど手首が余計きつく締め上げられるだけだ。
花戸の唇に噛み付けば、花戸は僅かに目を細めた。口の中に広がる鉄の味。そして、花戸はそれに怯むわけでもなく更に口付けを深くする。
着ていた薄手のシャツを託し上げられ、剥き出しになった胸に花戸の薄い手のひらが乗せられた。
「全部、君が悪いんだ。君が俺に侑を殺させた」
それはなにかの呪詛のように繰り返される。浅くなる呼吸。そんなはずがない、そう思うのにこの男の顔を見ると何も言い返せなくなるのだ。慈愛に満ちた、優しい目。人を殺すようには見えない笑顔。
「侑は俺から君を守ろうとして、死んだんだよ」
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