04※

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04※

 殴られた痛みは対して無かったが、反動で頭を壁に打ってしまった俺は小さく呻いた。 「……なんで、なんで……そんなこというんですか……俺が先輩だって言ってるんだから間違ってるわけないじゃないですか……そこまでして、先輩、俺と付き合いたくないんですか?俺のことが嫌いなんですか?」  泣きそうに顔を歪める男子生徒は俺の胸ぐらを掴み、そのまま壁に押し付けた。  顔を近付け威圧してくる男子生徒は、確かに内心迷っているように見える。  あと少しだ。あと少しで男子生徒を納得させることができる。  男子生徒も男子生徒でさっきからの俺の反応から人違いだと薄々感じているのかもしれない。  そして、それを認めたくないのだろう。 「好き嫌い以前に、俺は君のことを知らない」 「知らないはずないじゃないです。俺、毎日先輩に挨拶してるじゃないですか」 「それは俺じゃない。弟だ」 「違います、先輩です。だって先輩、俺が名前聞いたとき自分で名乗ってたじゃないですか。まさか、それも、真紀先輩だって言うんですか? 冗談はやめてください、本当に怒りますよ」  そう必死になって言う男子生徒の言葉に、俺は確信した。  間違えない、男子生徒は俺と真紀を間違えている。  俺はこの男子生徒を知らないし、恐らく男子生徒が言っていることも本当なのだろう。  そう考えると、ひとつだけわからないことが出てきた。  真紀……弟だ。  あいつがなにを考えてこの男子生徒に俺の名前を名乗って接していたのかがまるで理解できなかった。 「……なんで、そこで黙るんですか……やめてくださいよ……」  黙り込む俺から概ね察しついたのだろう。  不安で声を上擦らせた男子生徒の声は、酷く弱々しいものになっていた。 「……もうわかっただろ。退いてくれ、今なら全部なかったことにするから」  ここまでくれば後はすぐに折れてくれるだろう。  そう思った俺は、男子生徒から目を逸らしそう言いにくそうに言葉を紡いだ。  しかし、男子生徒は簡単には折れようとはしなかった。 「嫌です、嫌です嫌です嫌です嫌です……っ」  俺の上半身に抱き着いた男子生徒はそうヒステリックに叫ぶ。  なんでここまで好条件を出されておいて頑なにって認めようとしないのかが理解できなかったが、男子生徒は意固地になっているようにしか見えなかった。 「おい……」  胸に顔を埋めてくる男子生徒に焦った俺は、恐る恐る怪我をしていない方の腕を動かし男子生徒の肩を掴もうとした瞬間、怪我をした腕に男子生徒の手が伸びる。 「はあ……っ、っふ、うぐ……っ!」  骨にヒビが入ったのか、熱を持ち腫れたそこを遠慮なく強く掴んだ。  瞬間、頭から爪先まで激痛が走り、開いた俺の口から絶叫に近い声が漏れる。  触れられただけで全身に電気が走ったように体が跳ね上がり、脂汗がドッと滲んだ。 「……じゃあ、なんですか。俺が好きになった人は、亜紀先輩を名乗った真紀先輩ってことですか?……そんなわけないじゃないですか。俺、真紀先輩のこと知ってますけどあんな人じゃなかったです、俺の亜紀先輩は。先輩は先輩だけです。冗談はやめてください。そんなの、なんで真紀先輩がそんなことしなきゃいけないんですか!おかしいじゃないですか!」  男子生徒は相当混乱しているようだ。  ヒビが入っているであろう腕を掴む男子生徒は、皮膚をえぐるように爪を立てる。  そんなの、俺が聞きたい。 「おち、つ……っ」落ち着けと言おうとして声を絞り出すが、メキメキと軋む腕の痛みに耐えきれず俺の声は途切れる。  その後はもう声にならなかった。  あまりの痛みに全身が打ち震え、もはや自分が泣いているのかどうかさえわからない。 「……そうだ、二人でグルになって俺のことを弄ぼうとしてるんでしょう。そうなんでしょう? ねえ、亜紀先輩。亜紀先輩ったら、……なんか言ってくださいよ。先輩、ねえったら」  いまだ自分の意識があることが苦痛で仕方なかった。  耳に入ってくる男子生徒の声を言葉として認識することもままならず、あまりの痛みに感覚が麻痺してきた俺はぼんやりと目の前の男を眺める。  なにを怒ってるんだ、こいつは。  うつらうつらとした意識の中、大きく口を開き罵倒してくる男子生徒を眺めながら俺は辺りに視線を巡らせる。  薄暗いそこは、見覚えのある小路だった。  ……とにかく、警察に通報しないと。俺が死ぬ。  痺れた手先を動かし、俺は制服のポケットの中に入っているであろう携帯電話に軽く触れた。  大丈夫、男子生徒に抜き取られてはいないようだ。  手持ちの中に存在しているそれに内心安堵しながら、俺はすぐにポケットから手を離す。  男子生徒が俺の動きに気付いたのだ。 「……先輩、いまなんかしませんでしたか?」  先程までやかましく喚き散らしていた男子生徒は急に静かになり、いいながらじっと俺の手元に目を向ける。  全身の筋肉が緊張し、俺は胸の鼓動が早くなるのを感じた。 「……ちが……っ」  やばい。バレた。  慌てて首を横に振る俺を他所に、俺から手を離した男子生徒はそのまま俺の制服に手を伸ばす。  ゆっくりと伸びてくる男子生徒の手は、そのまま俺の制服の中をまさぐった。 「……っ」  もぞもぞとポケットをまさぐる男子生徒の手付きに俺は僅かに反応する。  男子生徒が俺の携帯電話を見つけるまで、然程時間はかからなかった。 「……ああ、なるほど。これで誰か呼ぶつもりだったんですか?……俺から逃げるために」  携帯電話を手にした男子生徒は、わざとらしく俺に見せ付けるように目の前に差し出してくる。  あながち間違っていないだけに否定できなかった。  口を紡ぎ、黙り込む俺に苛立ったのだろう。  いきなり男子生徒は、「ふざけんな!」と怒鳴った。  そのまま男子生徒は持っていた俺の携帯電話を壁に投げ付ける。  音を立て、携帯電話は地面の上に落ちた。  携帯電話本体に目立った損傷はなかったが、中の方が無事かどうかは怪しい。  投げるか、普通。  いきなりキレ出す男子生徒に内心ビビりながら、俺は地面の上の携帯電話に目を向ける。  そのときだった。 「……どいつもこいつも俺のことをバカにして、なんなんですか?俺のこと、そんなに嫌いなんですか?いいですよ、もう。別に」 「……そんなに俺から離れたいのでしたら、真紀先輩と同じ場所に連れていってあげますよ」開き直ったように男子生徒は、いきなり俺の太股を持ち上げるようにして人の下半身をまさぐりだす。  男子生徒の行動に気を取られた俺が、その言葉の意味に気づくのに時間がかかった。 「おい、やめろっ」  乱暴にズボンのファスナーを下ろしウエストをゆるめた男子生徒は、そのまま下着越しに人の性器を鷲掴んだ。 「は……っ」あまりにも雑な手付きで全体を揉まれ、ビクリと全身が跳ねる。 「勃ちませんね。……ちょっとアドレナリン出しすぎちゃったんじゃないんですか?」 「なら、俺が挿れる方でいいですね」本当は先輩に種付けされたかったんですが、と素面でそんなことを口走る男子生徒に、俺は全身に冷や汗を滲ませた。  挿れるだとか種付けとか男相手にいうような言葉とは思えないことを口にする男子生徒に、俺はただ純粋な恐怖を覚える。 「っやめろ、触んな……っ」  下着のウエストから手を滑り込ませる男子生徒に、俺は咄嗟に足を動かし男子生徒の上半身に蹴りを入れた。  薄い男子生徒の体は予想通り軽く、その場に尻餅をついた男子生徒は目玉だけを動かし上目で俺を睨み付ける。 「なんですか……触んなって。真紀先輩も、亜紀先輩も、俺のことを汚物みたいに扱って……。いくら自分たちが好かれてるからって酷いじゃないですか」  歯を食い縛り、よろりと地面から腰を浮かした男子生徒の手には見覚えのあるものが握られていた。  大通りから差し込む光を受け怪しく光る包丁を手に、男子生徒はゆっくりと俺に近付く。 「……っ、悪い、癪に触ったんなら悪かった。だから、それをなおしてくれ」  目が男子生徒の持つ包丁の刃に釘付けになり、俺はそれから目が離せなくなった。  一瞬でも目を離したらすぐに刺されてしまいそうで、緊張しきった俺の体は僅かに震える。  立ち上がりたいのに、腰が抜けてしまい片腕だけじゃうまく立ちそうにない。  呼吸が乱れ、顔面から血の気が引いていった。  背後の壁に背中を擦りつけた俺は、そうすがるような声で目の前の男子生徒に許しを請う。 「……やめてください。俺は、そんな言葉が聞きたいんじゃないんです」  そう言う男子生徒の顔は歪み、地面に放り出していた俺の足首を掴みあげた。  悲しそうに言う男子生徒は、言いながら俺の靴を脱がし、それを地面の上へ転がす。  携帯電話の側へと転がっていく、靴を目で追う余裕はなかった。  慌てて足を動かそうとするが、体勢からして男子生徒の方が有利だった。  くるぶしの靴下の中に人差し指を滑り込ませた男子生徒は、そのまま俺の靴下を脱がせる。  丸まった靴下が俺の体の側に落ち、俺の足首をギリギリの高さまで持ち上げた男子生徒は俺の足首に包丁の刃を当てた。  ゆっくりと筋に近付いていく包丁に、動悸が激しくなる。  恐らく、この男は俺のアキレス腱を切るつもりだ。  それがわかっていたからこそ、俺は男子生徒が次にこの足首に当てた包丁をどうするかが安易に想像がついてしまい、尚更恐ろしくてたまらない。 「亜紀先輩って意外と涙脆いんですね。真紀先輩はそんなに泣きませんでしたよ」  全身を冷や汗でびっしょりと濡らす俺を見下ろす男子生徒は、そう言って俺の足首に包丁を乱暴に捩じ込んだ。  ぶちぶちと肉を裂く冷たい感触が酷く不愉快で。  どっかから声にならない悲鳴が聞こえたのを最後に、痛みよりも自分の足首に入り込んでくるその感覚に耐えられなくなった俺はいとも容易く意識を手放す。  聞こえてくる絶叫が自分の口から出ていることに気付いたときにはもう、すでに俺の目の前は真っ暗になっていた。
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