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 自分の意見を言うことが苦手だった。  何を言ったところで聞き入れてもらえないと分かっていたし、わざわざ否定されてまで言い返す労力自体無駄だと思えて仕方なかった。  だから、周りに身を任せるのが一番だと悟った。  意見を聞かれる度に「それが良いと思う」「僕もそう思う」「任せるよ」なんて口癖のように繰り返してると誰とも衝突することもなくなった。  人と喧嘩するのは、苦手だ。好きな人なんて早々いないと思うけど、それは誰が相手でもそう思えた。  誰かの言いなりになる。産まれて十七年目にしてそれが僕が身に着けた処世術だった。 「亜太郎、あーたろー。帰んぞ」 「アキちゃん、待って。まだ授業が……」 「いいんだよ、どうせ残りの宮嶋だろ?あいつ優しいから見逃してくれるって」 「何基準なんだよそれ……」 「帰りにカラオケ寄ってこうぜ、お前の下手くそな歌聞きてえんだよ久し振りに」 「いいけど……悪かったね、音痴で」  そう言うと、アキちゃんは肩を揺らして笑う。  そして、俺のカバンを奪うように取り上げてさっさと歩いていくのだ。  昔は隣で並んで視線が丁度同じくらいの高さだったのに、今では追い抜かされている。  アキちゃんは小学校の頃からの友達……なのだろうか、うーん、多分パシリに近いのかもしれない。  都合のいい遊び相手なのだろう、僕が基本断らずにオーケーするからアキちゃんは暇なときとかいつでも僕のところにやってくる。  アキちゃんは飽き性だ。  飽き性の上に気紛れで、自分勝手でおまけに短気。一度キレると手が付かない。けど、顔がいいから許されてしまうのだ。  そろそろ傷んでくるんじゃないかっていうレベルの派手な髪色はコロコロ変わるし、ピアスの数も増えていく。けれどどんな格好しても似合う、なんというかまさに僕とは正反対の位置にいる人間だ。  そんな正反対の僕たちがよく一緒にいる理由は簡単だ、普通の人ならアキちゃんと付き合えないからだ。 「なあ、亜太郎。お前髪ずっとそれだよな。たまには染めたりしねーの?」  カラオケの個室に入るなり、マイクを握るどころかカバンを放り投げてソファーにどかりと座るアキちゃんはそんなこと言い出す。  直前までアキちゃんの髪の色について話してたからだ。  いまの髪の色は青緑、光の加減によっては緑になるし暗い場所では青に見える不思議な色だ。  僕には到底この色に染める勇気はないだろう。 「ん」とぽんぽんと自分の隣を叩くアキちゃんに、僕はそろりと腰を下ろした。今更この距離の近さには戸惑わない。 「染めるも何も、校則で禁止されてるよね……アキちゃんならともかく、僕が染めたら先生たちに囲まれて怒られるよ」 「んなの無視すりゃいいんだって。色は俺に選ばせろよ」 「そのときはそうだね、アキちゃんにお願いしようかな」  なんて返せば、アキちゃんは「まじ?いいの?」と目を丸くする。  こっちを覗き込むように見てくるその目に、少しだけ緊張した。薄暗い室内。隣の部屋の歌声が聞こえてくる。 「もちろん、そのときはだよ。……アキちゃん、色の趣味いいから」 「言ったからな。忘れんなよ亜太郎」 「アキちゃんこそ。……因みに僕に似合う色って?」 「うーんそうだなぁ、明るい色も合うだろうけどお前はやっぱり黒だな」 「ええっ、今とあんまり変わらないじゃん」 「お前色素薄いじゃん。でも、ぜってー黒似合うって。……混じり気のない真っ黒なやつ、見てみてーわ」 「確かに……それなら先生たちに怒られないか……」 「ま、面白そうなのは白か金かドピンクだけどな」 「それ絶対嫌がらせだよね」  ……黒、黒かぁ。  最後はいつものアキちゃんだったけど、そんな風に思ってくれてるのは意外だった。  昔から地毛の色が明るくて怒られたり親に言われたりすることが多かった。けれど、今は僕よりも派手なアキちゃんが隣にいるからかあまり注意されることはなくなったし、地毛だと言うとすんなり受け入れてもらった。 「でもまあ、今が一番だけどな」  なんて、一人満足そうに笑いながらアキちゃんは俺の髪に触れる。触りグセ、なのだろうか。  スキンシップが人よりも過多なところも、アキちゃんがあまり人と仲良くできない理由の一つだった。  よく女の子相手に同じように触れては勘違いさせてしまったと言っていた。  だから、余程気の合う子以外はそばに置かないと。それでも勘違いさせるのだ、けどそれは僕もわかる。男の僕が少しドキッとするのだから異性からしたらもうびっくりものだろう。まあ、それも今ではもう慣れてしまったけど。 「アキちゃん、歌わないの?」 「今は亜太郎と話してんだよ。歌いたいんなら曲入れてもいいぞ」 「いや、いいよ。僕も、アキちゃんと話したい気分だから」  秋庭倫冶の金魚の糞だと言われてることも知っている。  僕は、物心ついたときからずっとアキちゃんの後ろにくっついて歩いていた。アキちゃんと一緒にいるのは楽だった。僕が何もしなくても勝手にアキちゃんが手を取ってどんどん進んでいくからだ。  それに、良くも悪くも目立つアキちゃんといるだけで周りから一目置かれるのだ。もちろん、面倒臭いのに絡まれることだってあるけどそれもアキちゃんが全部追い払ってくれるからプラスマイナスゼロだ。 「亜太郎、なあ、ピアス開けさせろよ」  僕の髪を触ってたアキちゃんは横髪を耳にかけるなり、思いついたようにそんなこと言い出す。このやり取りも何回目だろうか。 「髪の次はピアス?」 「ああ、そうだよ。ピアス、同じのつけようぜ。これとかいいだろ」 「……それ、穴すごい大きいじゃん。僕、痛いの苦手だよ」 「そんなの一瞬だって。……天井の染み数えてたらすぐだし」 「……そんな歯医者じゃあるまいし」  アキちゃんの好きなこともやりたいこともやらせたいが、やっぱり、親の顔が浮かぶと流石にそれは受け入れられないのだ。  うちの親は厳しい。アキちゃんもそれは知ってる。  小さい頃から僕は漫画もゲームも禁止されてた、アニメも親が見ていいと言うものしか見れなかった。  バラエティ番組は低俗だということで、ニュースか教育番組などしか見せてもらえない。  そんな僕に、アキちゃんはこっそりゲームや漫画を貸してくれた。一度漫画を見つかったとき、激昂した親に漫画を破り捨てられたことがある。  それからアキちゃんのことを口汚く罵った、アキちゃんの両親のことまでもだ。それが悲しくて悔しくて、僕は次の日アキちゃんに泣きながら謝った。  けれどアキちゃんは「別にあれ飽きてたしもう読まねえから気にすんなよ」って笑って許してくれて、そのときからますますアキちゃんと一緒にいるようになった。  うちの家が厳しいことはアキちゃんも知ってる。知ってるから無理強いはしてこないが、ここ最近高校卒業が近づくなるに連れ「卒業したら一緒に暮らそう」だとか「このクソ田舎出て、二十四時間遊べるところでルームシェアしようぜ」だとかそんな話が多くなってた。  だからだろう、こうして暇さえあれば僕を遊びに誘ってくれるのは。  確かに自分勝手なところもあるが、根本はいいやつなのだ。アキちゃんは。 「……なあ、亜太郎」  どうしたの、と振り返ったとき、鼻先がぶつかりそうなほど近くにアキちゃんの顔があって少しだけ驚いた。  睫毛が長い。一ミリも逸らさずにこちらを見つめて来るアキちゃんに、「あ」と思った。  先に言っておこう。僕とアキちゃんは友達……多分利用しつつ利用されつつな関係だ。そんな関係だったのだ。  視界が暗くなり、周りの音が更に遠くなる。  重ねられる唇に、舌に開いたピアスの感触に、アキちゃんの香水の匂い。  逃げるという選択肢はなかった。  いつからだろうか、アキちゃんにキスされるようになったのは。元々スキンシップが激しいが、昔はこんな風に触れることはなかった。それは勿論僕もだ。  多分、数ヶ月前、アキちゃんの部屋でセンパイからもらったというお酒を飲んだとき。  あのとき、酔ったアキちゃんにふざけてキスされたのがきっかけだったのだろう。やめ時もわからず、お互い酒を飲んでいたこともあってズルズルと嵌ってしまったのだ。  当たり前だが、それ以上はない。ただのキスだ、唇を合わせただけだと思うとそんなにショックではない。  特に引きずるつもりもなく普通にアキちゃんと接していたつもりだが、その日を堺に、なんだかアキちゃんの様子がおかしくなっていってしまったのだ。 「っ、亜太郎……なあ、舌、出して」  言われるがままに口を開け、舌を出せばアキちゃんの舌に絡め取られる。濡れた音が響く。薄暗いから余計行けないことしてるみたいで、扉の外、人の行き交う影を見るたび少し緊張した。  アキちゃん、最近彼女つくっていないみたいだし、欲求不満なのかな。だから、手短な僕で発散してるのだろう。  別に変な話ではない。……理には適ってるのだ。  心臓の音を殺す、緊張してると思われたくなかった。やり場のない手は、膝の上のカバンを抱き締めていた。  早くこの時間が終わらないかな。思いながら、僕はアキちゃんの舌を、キスを受け入れていた。  アキちゃんとキスしたあとは決まって変な空気になる。  けど、段々いつも通りになって、それから、最終的にはキスしたことも嘘だったみたいにアキちゃんは僕の元から立ち去るのだ。  弄ばれてる。そんなことは一目瞭然だ。だから、嫌だった。  少しでも嫌がればきっとアキちゃんは「亜太郎のくせに何生意気なこと言ってんだ」と怒るだろう。喜んでもそれはそれで「男にキスされて喜ぶとか気持ち悪ィな」なんて言うに違いない。だから、気持ち悪い声も出したくないし気持ち悪い息もしたくなくて息を止める。  キスをするのは苦しい。  平然なんていれるはずがないのに、そうしなきゃならないのだから。  カラオケでは結局歌えてない。  もしかしたらアキちゃんのことだ、僕と二人きりになるためにわざわざ個室を選んでくれたのかもしれない。……なんて考えるのは自惚れ過ぎなのだろうか。
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